東北の秘湯につかる

ヨーロッパには、温度が高く、硫黄の匂いがたちこめているような温泉は、あまりない。

ドイツで知られるバーデン・バーデンの温泉に行っても、われわれ日本人には湯がぬるすぎて、風邪でもひきそうな感じがする。

身体を温めるにはサウナに行かなければならないが、狭くて窓もない部屋に図体の大きな白人たちと一緒に詰め込まれるので、開放感がない。

というわけで、日本に帰った時には、一度は本格的な温泉へ行くことにしている。

秋田県の乳頭温泉郷は、地図の上ではかなり辺鄙な山奥にあるが、実際に行ってみると観光客が多いので、びっくりした。

江戸時代には秋田藩主も訪れたといわれ、この温泉地帯で最も古い「鶴の湯」は、どぶろくのように白く濁ったお湯が特徴である。

脱衣所も時代を感じさせる木造で、茅葺き屋根の宿泊施設には、囲炉裏まである。番台に入浴料を払ってから、露天風呂に行くのだが、仕切りも何もないので、別に入浴料を払わなくても入ることができそうだ。

このおおらかさは、まるで駅の改札のように出入りが厳しく管理されている、バーデン・バーデンの温泉の入り口とは、天と地のような違いである。

小川のせせらぎを聞き、山を眺めながら露天風呂に入るのは、ヨーロッパにはない爽快さである。

つげ義春の放浪記に、寒村の温泉宿が出てくるが、乳頭温泉郷にはそんな感じがなくもない。(これで人が少なければ、もっといいのですが・・・・)

乳頭温泉郷から南西、盛岡市から車で30分くらいの所に、つなぎ温泉というあまり全国的に有名でない温泉がある。

私は、観光客が少ないのでこの温泉が気に入っている。

露天風呂にも、人影は少なく、源泉からの湯は、トポトポと音をたてながら、たえまなく流れ続ける。

湯に打たれる岩は、硫黄の成分で白や黄色に変色している。これだけ大量の湯が自然に湧き出し、しかも湯を循環させずに、流れるままにしているというのは、水不足で悩む中東などでは考えられないような、贅沢である。

火山による地熱と、ふんだんな雨水、地下水という、わが国に与えられた自然の恵みを感じる。

私は大学生の時に、叔父が運転する車で、東京から富山へ車で旅行したことがある。

東京を夕方に出発したので、夜中にはどこかの山道に車を停め、車内で仮眠した。

朝になってあたりを見回すと、森の奥から湯気が立ち上っている。

行ってみると、自然の露天風呂である。

朝日が射し込む山の中で、小鳥のさえずりを聞きながら、うっそうとした針葉樹に囲まれた温泉で、朝風呂に入るのは、どのような欧米の高級ホテルでも体験することができない、無上の喜びだった。

この山奥の無人の露天風呂をしのぐ、爽快感をまだ味わったことがない。

(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

保険毎日新聞 2004年7月14日