パリとミュンヘン・二都物語
ミュンヘンからパリまで飛行機で飛べばわずか一時間半で着いてしまうが、その美しさと優雅さにおいては、何千万キロも離れているような気がする。

かつてヨーロッパ全体を震え上がらせた大帝国の首都と、ドイツ南部の一地方都市の差を上回るものがある。

パリでは、展覧会を見るために、何千人という人が、冬の寒気の中、美術館の前で辛抱強く待ったり、映画館の前で行列を作ったりしている。

この芸術を楽しむためのパワーというか、執着心はパリ独特のものである。

この美に対する人々の貪欲さは、ミュンヘンにはない。

さらに、パリは第二次世界大戦で歴史的な建造物が全く壊されなかったことも、この都市の美しさを保つ上で大きく貢献している。

ミュンヘンが連合軍の空爆で灰燼と帰し、歴史的な建築物のほとんどが、戦後再建されたものであるのとは大きな違いである。

冬の青空を背景に、優美な彫像で飾られた建物が、陽光を浴びて燦然とかがやく様は、思わず立ち止まって見とれてしまうような豪奢さを秘めている。

戦争末期の1944年にヒトラーは、ドイツ軍のパリ総司令官だったフォン・コルティッツ将軍に、「撤退する時には歴史的な建築物など主要な建物をすべて爆破せよ」という命令を出していた。

美しいものが自分の手に残らないとなると、他人に渡さないために自分で壊してしまうという、わがままな幼児のような性格である。

しかしコルティッツ将軍はパリを破壊することで、世界史の中に極悪人として名前が残ることを恐れて、ヒトラーの命令を実行しなかった。

ワルシャワなど、戦争のために過去の面影を失った都市は少なくない。

もしもこの人物が頭の固い狂信者で、総統の命令をそのまま実行していたら、パリは今日の美しさを失っていた。

そう思うと、ぞっとする。 

さてパリではミュンヘンのように店の営業時間を法律で規制していないために、日曜日や深夜でも店が開いており、町に活気がある。

東京で生まれ育った私には、こうした大都会はやはりなつかしい。

だがパリとミュンヘンの間でいちばん違うのは、人間の性格である。ドイツでは商店などに入ると、店員からまるで敵が入ってきたような顔をされることがあるが、パリでは暖かい笑顔で迎えられることが多い。

店員の物腰も穏やかなので、ほっとさせられる。

「ドイツ人の態度にはあまり感情が感じられない」とひそかにささやくヨーロッパの国民は少なくない。

ドイツ人は仕事をてきぱきやるし、能率も高いけれども、個人主義が強いために、共同生活に必要な心の余裕や、他人を思いやる心に欠けた人が多いように思われる。

隣同士の国なのに、どうしてこんなに人間の性格が違うのか、私には大きな謎である。(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

保険毎日新聞 2004年2月18日