かわりゆく日本

2007年6月某日、午前6時半。東京郊外のX駅。

駅前のロータリーに、パトカーが2台停まっている。パトカーの屋根の上の回転灯が回っているので、緊急出動してきたのだろう。

こわもての男2人と、制服姿の警察官3人が向かい合っている。

警察官たちは、男たちを警察署に連行しようとしているようだが、男は警察官に対し「おまえら、捕まえられるものなら、やってみろよ」と大声でわめいている。

会社に出勤する途中のサラリーマンや、付近の住民たちが遠巻きにして、様子を見守っている。

もしも米国やドイツならば、任意同行に応じない市民に対しては、警察官はピストルを抜いて連行するはずだ。

しかし、警察官たちはパトカーの無線で、警察署の指示を仰ぐばかりで、暴力団員風の男に完全になめられている。

男たちは、20分ほど押し問答を繰り返した後、パトカーに乗り込んで、警察署へ連行された。それにしても、警察官の弱腰な態度、権威のなさは、私に強い印象を与えた。

毎年日本に最低1回は行くが、治安の悪化を年々感じる。

家族内の殺人事件、無理心中、強盗殺人、バラバラ殺人など、私が神戸で事件記者をしていた1980年代とは比べ物にならないほど、凶悪事件が増えたという印象を受ける。パトロールをする警察官が、常に紺色の防弾チョッキを着けているのを見て、驚いた。

私が住んでいるドイツでは、警らのお巡りさんは防弾チョッキを着けずにパトロールをしている。

日本では警察官が防弾チョッキを着けなくてはならないほど、治安が悪化しているのだろうか。

中央線のY駅で、サラリーマン風の男が、駅員に対して、料金の払い戻しをめぐって抗議している。

その口調たるや、暴力団員そのもの。

もう少し丁寧な口調で話せないのか、とこちらが恥ずかしくなるほど、荒れた口ぶりだ。

彼の言葉には、社会に対する不満といらだち、そして常に虐げられている者が、自分よりも弱そうな者に爆発させる理不尽な怒りが込められていた。

彼も数十年前にこの世に生を享けた時には、両親の祝福を受けて、生まれて来たに違いない。

その彼が、人前で暴言を吐きながら、駅員に詰め寄っている。

5000万人分の年金記録が宙に浮くという前代未聞の事態を前にしても、庶民には怒りのやり場がない。

歴代の首相や厚生大臣、社会保険庁の長官たちの内、誰に責任があるのかもはっきりしない。

サウナのような暑熱の中、フォルクス・ツォルン(民の怒り)という古いドイツ語が、ふと私の脳裏をよぎった。

(文と絵・ミュンヘン在住 熊谷 徹) 筆者ホームページ http://www.tkumagai.de