ブルガリア紀行(5)バラの谷にて
ブルガリアといえば、ヨーグルトを思い起こす人も多いだろう。
1970年に大阪の万博でブルガリア産の菌を使ってヨーグルトを作った明治製菓が、ブルガリアの名前を広めた。
しかし、ブルガリアの“液体状の金”といえば、むしろバラのエキスである。
濃縮度の高いブルガリア産バラのエキスは、世界のマーケットシェアの80%を占めている。
中部のカザンラック地方はバラの産地。
別名“バラの谷”には、見渡す限り、みごとなバラが咲きほこっていた。
15世紀にブルガリアがトルコの支配下にあった時に、トルコ人の裁判官が、チュニジアから持ち込んだらしい。
山脈に囲まれたブルガリアは、夏は蒸し暑く、冬は寒いという典型的な盆地の気候であるが、5月から6月にかけて、降雨量、曇りぐあい、海抜の高さがダマスカス・バラという種類の育成に適している。
バラには5000もの種類があるが、ダマスカス・バラほど芳しい匂いの種類のバラはあまりない。
バラ農園で花を一輪手にとり嗅いでみる。
見たところ、よくあるバラの種類とは違ってボタンに近い感じで、花びらもふぞろいながら、夢見心地な気分になりそうなかぐわしさ。
ブルガリアのバラのエキスは濃密で、純度の高さでも知られている。
1キログラムのバラのエキスを抽出するためには、約4,000キロのバラの花が圧縮される。
1グラムのバラのエキスを得るためには、1300本から2000本のバラの花びらが必要とあって、高い価格となるのはやむをえまい。
17世紀から香水作りが盛んになったフランスでも、原料の多くはブルガリアのバラだった。
ブルガリア人が発明したケスメという技術は300年間、ほとんど変わらない。
5月から6月にかけての3週間あまりの収穫期には、2000人の労働者が手で花びらを摘む。
収穫時には、豊作を祝う「バラの祭典」も催され、「バラの女王」が選ばれる。
ブルガリア最大の祭りであるこの祭典では、民族衣装をまとった女性たちが踊る。カザンラック地方は19世紀には民族復興運動の舞台ともなった。
オスマン・トルコの圧制に立ち上がった革命の士たちが、村々を渡り歩き、ブルガリア独立への地盤を固めていったが、1878年、露土戦争でロシアがトルコに勝ったため、ブルガリアは500年ぶりにトルコから解放されることになる。(続く)
(文・福田直子、絵・熊谷 徹 2006年7月11日)