シンドラーの工場

ポーランドの古都クラコフ。

この町の南部に、ポドゴルズという地区がある。町工場や、オフィスビル、廃品置き場が多い、殺風景な場所だ。この工場街の一角、リポヴァ通りという道に面して、ベージュ色の壁の建物がある。

錆が目立つ鉄の門をくぐって中に入ると、古めかしい工場が、ひっそりと立ち並んでいる。

壁土が剥げ落ち、建物の傷みが目立つ。

第二次世界大戦中に、ナチスの党員でもあったドイツ人のビジネスマン、オスカー・シンドラーが、一時管理していた工場である。

彼は、ここでユダヤ人を働かせてエナメルの食器や砲弾などを製造していた。

シンドラーは、ユダヤ人がナチスに弾圧、虐殺されていることを知って心を痛め、1944年にこの工場で働いていた1000人近いユダヤ人を、現在チェコ領のブリュンリッツに疎開させて、強制収容所での虐殺から救った。

この事実は、スティーブン・スピルバーグの映画「シンドラーのリスト」の下地となっている。

1974年に、シンドラーによって救われたユダヤ人が、彼に「なぜ我々を救ったのだ?」と尋ねたことがある。

シンドラーは「私もナチ党員だった。だが、私はナチスドイツが、罪もない人々を殺しているのは、邪悪なことだと思い、できる限り多くの人々を救おうと思ったのだ」と語っている。彼は戦後事業に失敗しておちぶれていたが、彼に救われたユダヤ人たちは資金援助を申し出ている。

1965年には西ドイツ政府から連邦勲功十字章を与えられたほか、その3年後には、ローマ教皇からも聖シルベスター勲章を授与されている。

シンドラーは1974年にドイツで死んだが、亡骸は彼の希望でエルサレムのシオン山の墓地に葬られた。

私は、エルサレムのホロコースト博物館ヤド・バシェムを訪れた時に、「諸国民の中の正しき人々」という名前をつけられた道があるのに、気づいた。

この道沿いには、戦争中にユダヤ人をナチスの魔手から救った人々の名前をつけた、オリーブの木が植えられている。

私は、この道を歩いていて、「オスカー・シンドラー」という名札をつけた木を見つけた。

イスラエル人たちは、中東の太陽が照りつけるこの道を歩きながら、自分の命を危険にさらして、ユダヤ人に救いの手を差し伸べた人々に思いを馳せるのだ。

シンドラーがユダヤ人を救った動機については、「自分の保身のためだ」という批判もある。

欧州全体で殺されたユダヤ人の数は、600万人にのぼる。

それに比べると、1000人という数はほんの一握りだ。

だがシンドラーの工場の壁には、ユダヤ教の宗教書タルムードの一節が記されている。「一人の命を救う者は、全世界を救う」。

絶望的な現実の前に、この言葉とシンドラーの行為は、将来への一縷(いちる)の望みを与えてくれるのではないだろうか。

(文と絵・ミュンヘン在住 熊谷 徹)筆者ホームページ http://www.tkumagai.de

2007年8月 保険毎日新聞