鋼鉄の猛獣たち 

ドイツは、ナチス時代の歴史を批判的にとらえ、周囲の国々やユダヤ人に謝罪することを、国家の基本理念の一つとしている。

一方で、軍の歴史については、客観的に国民に情報を与えている。

北ドイツのムンスターに、連邦軍の戦車学校があるが、ここにはナチス時代のドイツ戦車を展示した博物館がある。

海軍国日本が、戦艦大和など優れた軍艦を建造したように、陸軍国ドイツは、当時欧州でトップクラスだった工業技術を駆使して、様々な戦車を生産した。

この博物館には、スペイン内乱やポーランド侵攻に使われた、軽戦車「
I号戦車」を初め、II号・III号・IV号戦車、大戦末期に連合軍の脅威となった、重量70トンの「ケーニヒスティーガー(王虎)」などが、ずらりと並んでいる。

ドイツ軍は、戦場での経験を生かして、武装や装甲を矢継ぎ早に改良していったため、戦車の形の変化、そして大型化は、1939年からのわずか6年間で起きたとは思えないほど、激しい。

たとえば、ドイツ軍の戦車の前面装甲板は、当初90度の直角だった。

だが、ドイツ軍は
1941年のソ連侵攻で、傑作戦車T34型戦車に遭遇して、傾斜をつけて砲弾をはじきやすくした構造に衝撃を受けた。

そこで
T34をまねて、初めて傾斜装甲を採用したのがV号戦車「パンター(豹)」であり、ムンスターの博物館にも展示されている。

この戦車の前で、白髪のドイツ人が、「わしはこの戦車に乗って、1944年にアルデンヌ戦線で戦ったものだ」と、子どもたちに話していた。

武骨な「ティーガー
I型」は、有名な88ミリ高射砲を改造した戦車砲を搭載し、前面の装甲板が30センチ近くある。

正面から戦って、この戦車を破壊することができる戦車は、連合軍側にはなかった。ムンスターのティーガーは、装甲板を一部切り取って、中が見えるようになっているので、装甲板の厚さがわかるが、こんな鋼鉄の塊がよく走ったものだと感じる。

ドイツ戦車は、戦場での一騎打ちでは強かったが、優秀な戦車も、生産台数の多いソ連や米国の戦車には非力で、怒涛のように本土に押し寄せた連合軍を、押しとどめることはできなかった。

ドイツ軍に苦しめられた欧州諸国にも、ドイツ戦車を展示した博物館がある。

たとえば、フランスのソミュール博物館では、これらの戦車が走れる状態に修復してある他、モスクワ郊外のクビンカ博物館には、世界最大のドイツ戦車のコレクションがある。

現在各国で使われている戦車や兵器にも、当時のドイツ戦車の設計思想が生きているものが少なくない。

ドイツ人が過去の兵器を堂々と展示できるのも、「自分たちはナチスの過去を反省し、謝罪し続ける」という決意を過去60年間にわたり、内外に示してきたからなのである。

そうでなければ、周りの国々が抗議してくるだろう。

(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

保険毎日新聞 2005年6月