トルコ紀行(1)イスタンブールの栄光 

私は、ボスポラス海峡にかけられたガラタ橋の上に立っている。南を向けば、旧市街。モスク(イスラム教寺院)の巨大なドームと尖塔が天をつくように立ち並び、その間を古めかしい建物がびっしりと埋め尽くしている。

やや東を望むと、海峡の向こうになだらかな丘を持った陸地が見える。

そこは小アジアつまり中東地域への入り口であり、はるか彼方にはイラクやイラン、そして中央アジアの平原がある。

今度は橋の北側に目を移す。銀行やホテルの超高層ビルが丘の上に屹立している。

ヨーロッパの都市に見られるようなアール・ヌーボー風の建物も混ざっている。

急傾斜の高台にへばりつくように立っている家々の間でひときわ目立つのは、とがった屋根を持つ石造りのガラタ塔。

中世から海峡を警戒するための監視塔として使われてきた。

橋の上は市電、乗り合いバス、トラック、乗用車がひききりなく行き来し、警笛と騒音が絶えることがない。

歩道にはアノラックに身を固めた市民が冷たい風にさらされながらずらりと並び、欄干から海に釣り糸を垂らしている。

足元のバケツを覗き込むと、釣り上げられた鰯(イワシ)が入っている。魚の生臭い匂いがあたりに漂っている。

橋の付近の地下道や路地など、少しでも雨風をよけられる場所には、商人が店を出して玩具や靴、携帯電話、甘いお菓子や焼き栗、ゴマのついたパンなどを売っている。

彼らが客を呼ぶ声が地下道にこだまして、騒然とした雰囲気である。ここはヨーロッパではない。まるで町全体が中東のバザールであるかのようだ。

やがて、町じゅうのモスクの尖塔(ミナレット)に取り付けられたスピーカーから、アラーを称える祈りの声が流れ始める。

敬虔なイスラム教徒は毎日5回、メッカに向かって祈りを捧げなくてはならない。歌のように抑揚を付け、どこかに悲しみをたたえたような祈りがあちこちのモスクからわき上がり、反響する。

ヨーロッパの町では教会の鐘が時々聞こえるが、イスタンブールでは神に対する祈祷のメロディが1日の区切りをつける。1回目は朝6時15分。信心深いイスラム教徒はこんなに早い時間にモスクに行くのだ。

かつてコンスタンチノープルと呼ばれたイスタンブールは、遷都後のローマ帝国(ビザンチン帝国)そしてオスマン・トルコ帝国の首都として、約1500年にわたり世界史の中で大きな役割を果たした。そして欧米にとってイスラム教世界との関わりが重要になりつつある今、東西の接点トルコへの関心も高まりつつある。(続く)

(文と絵・ミュンヘン在住 熊谷 徹)

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