トルコ紀行(7)トルコ人と日本人

イスタンブールを歩いていると、トルコ人の男たちが流暢な日本語で「どこから来たんですか?」とひとなつこく話しかけてくる。

妻とバザール(市場)の中を歩いていたらトルコ人が「新婚さんですか?」などと日本語でお世辞を言ってきた。(結婚して15年になるのですが)

日本語で話しかけてくるのは絨毯(じゅうたん)商人やレストランの客引きであり、物を売ったり食堂に誘い込んだりするという魂胆があるのだが、それにしても日本語になまりがなく、上手である。

日本から1万キロも離れた町で「カラスミ、おいしいですよ。いかがですか」などと日本語で話しかけられると、奇妙な感じがする。

あるトルコ人は「私は10年間、名古屋のトルコ料理店で働いていました。日本は大好きです」と日本語で話しかけてきた。

ミュンヘンに19年間住んで、ヨーロッパや中東のいろいろな国を旅行しているが、外国でこれだけ見知らぬ人から日本語で話しかけられたのは、トルコが初めてである。

がいして、トルコ人は日本人に親しい感情を抱いているようだ。もちろん多くの日本人観光客はよく買い物をするので、金回りの良い客と見られているのだろう。

ただ彼らの日本人への親近感は、商売のためだけではなさそうだ。

彼らの祖先は中央アジアの遊牧民だった。「自分たちにはヨーロッパではなく、アジアの血が流れている」という感情があるのかもしれない。

トルコ語は日本語やフィンランド語、ハンガリーのマジャール語と同じようにウラル・アルタイ語族に属し、前置詞ではなく後置詞を使う。(つまり「学校へ」は、
to the schoolではなく、 the school toになる)

彼らはヨーロッパ人に比べると、客を手厚くもてなす傾向が強い。ホテルやレストランのウエイターも笑顔を絶やさずとても親切である。食事の後にデザートやコーヒーをサービスしてくれることもある。

またレストランでは水を無料で飲ませてくれるが、これも日本に似ている。ヨーロッパのレストランならば、水も金を出して注文しなくてはならない。

明治23年(1890年)にトルコ海軍のエルトルル号という軍艦が来航したが、和歌山県の沖で台風のために沈没して500人以上が死亡するという大惨事があった。

この時に日本側が生存者69人を救助しただけでなく、「比叡」などの軍艦に乗せてトルコに帰国させた。このことも、トルコの日本びいきにつながっているようである。日本人の間にイスタンブールの熱狂的なファンがいる理由もわかるような気がする。(続く)

(文と絵・ミュンヘン在住 熊谷 徹)