ドイツの歴史認識(上)

中国で大規模な反日デモが発生し、日本の領事館や商店が投石などによって損害を受けているというニュースは、ドイツでも大きく報じられている。

特に、日本の財産が壊されている時に、中国の警察官が制止しないというのは、重大な国際問題である。

中国人がデモを行う理由として、日本の歴史認識が取り上げられている。

日本とドイツを単純に比較することはできない。

それでも、ともに敗戦国であるドイツと日本の歴史認識に、大きな違いがあることは興味深い事実である。

私は1989年に
NHKスペシャル「過ぎ去らない過去」という1時間番組を制作するために、西ドイツとポーランドで、3ヶ月にわたり取材し、戦後のドイツが、若者に対する教育と戦犯に対する刑事訴追という二つの角度から、ナチスドイツの犯罪とどのように対決してきたかについて、詳しく調べた。

西ドイツでも、戦後20年くらいの間は、ナチスの問題について批判的に取り組むことは、タブーだった。

多くの人々にとって、ドイツ人の同胞が、強制収容所でユダヤ人や外国人を何百万人も虐殺したという事実は、直視することが耐え難かったからである。

また、政府の要職からナチス党員が追放されたとはいえ、裁判官や情報機関の関係者の間には、ナチス関係者が残っていた。

だが、1964年にフランクフルトで、アウシュビッツ強制収容所で虐殺に加担したドイツ人らに対する刑事裁判が開かれ、ユダヤ人らに対する迫害の詳細な事実が、世間に報道された。

また1968年の学生闘争でドイツ社会が揺さぶられた時、若者たちは父親や祖父たちに対して、「あなたたちは、ナチスの時代に何をしていたのか?」という問いを発し始めた。

さらに1979年には、ナチスのユダヤ人迫害を克明に再現した、米国のテレビ映画「ホロコースト」がドイツで放映されて、市民に強い衝撃を与えた。

このようにして、ドイツ社会では、70年代以降、戦争中の暗い過去と対決し、ナチスを糾弾する姿勢が、社会の主流となっていったのである。ドイツはユダヤ人の団体や、強制労働をさせられた外国人に多額の賠償金を払ってきた。

だが被害者たちが謝罪の言葉や、賠償金以上に重視しているのは、ドイツの歴史教科書のほとんどが、ナチスの時代に100ページ近くを割き、強制収容所の惨状やナチスが外国に与えた戦争被害について、写真入りで詳しく伝えていることだ。

「子どもたちにここまで残酷な内容を教えるのか」と思うほど、悲惨な記述もある。つまりドイツ人が過去を美化せず、若い世代にドイツの恥部を包み隠さず伝えていることが、周辺諸国に「同じ過ちは繰り返さない」というメッセージと、一種の安心感を与えているのだ。(続く)

(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

2005年5月23日 保険毎日新聞