イギリスはおいしいか?

ロンドンの金融街シティの裏路地。

まるでディケンズの小説に出てくるような、狭く入り組んだ小路が続いている。

所々に、古めかしい看板を掲げた、居酒屋(パブ)がある。

昼を過ぎると、パブの前で、金融マンたちが、はやくも黒ビールのグラスを傾けて上機嫌だ。

英国でも居酒屋やレストランで煙草を吸うことが禁じられてからは、店の前の路上でビールを飲んでいる人の数が、以前よりも増えた。

人だかりのせいか、町は一段と賑やかな雰囲気に包まれている。

こうした裏路地の一角に、ビクトリア朝時代をほうふつとさせる、食堂がある。

ギギッという音のする扉を開けると、人いきれと大きな話し声、食べ物、ビールの匂いが外に飛び出してくる。壁には古い版画がかけられ、天井からは時代物のシャンデリアがぶら下がっている。

歴史を持った建物が、第二次世界大戦中のドイツ軍の爆撃で破壊されなかったのは、幸いである。

ここには、英国人の大好きな地元料理しかない。

たとえば有名なステーク・アンド・キドニー・パイ。牛肉のぶつ切りと、豚か羊の腎臓を包んだパイ。

これに肉のソースをかけて食べる。

または、バブル・アンド・スクイーク。これは、細かく切ったキャベツ、豆、にんじんなどをマッシュト・ポテトに混ぜて、油で揚げた野菜の天ぷらのようなもの。

中に入れる野菜には、前日のディナーの残りが、しばしば使われる。食べ物をむだにしない、庶民の知恵だ。

飲み物は、ジョンブル(英国人たちの総称)たちが好む、黒ビール。

ドイツのビールを飲みなれた者には、独特のコクがある黒ビールも、たまにはうまい。

喧騒に満ちた店内でこうした料理を味わうと、最先端の金融テクノロジーと伝統が同居するロンドンに来たという実感に包まれる。

英国は、ドイツやフランスなど欧州大陸の国々とはずいぶん異質である。

欧州の中では最も米国に似た国だろう。だが伝統に固執するという意味では、米国とも一線を画しており、やはり欧州の一員だという気がする。

ロンドンの魅力は、国際色豊かなレストランである。

欧州大陸には、我々アジア人を満足させる中華料理店はあまりないが、ロンドンには良い店がたくさんある。

たとえばソーホーの翠園という店の、とろみでくるんだ海老と野菜をかけた炒麺(焼きそば)を食べるだけで、ロンドンの特殊性が確認できる。

牛なん飯(ぎゅうなんはん)まであった。

これは広東地方に多い料理で、ご飯に牛のばら肉と野菜をのせ、牡蠣油で仕立てたソースをかけたもの。

牛なん飯を置いている店は、日本でもめったにない。

もちろんインド料理も、すばらしい。私はカレーのマニアである。

一度独特な香草の効いたカレーをムンバイ(ボンベイ)で味わって、鮮烈な印象を受けたのだが、ロンドンのカレーはその瞬間を思い出させるほど、美味だった。

イギリスは、やはりおいしいようだ。

(文と絵・ミュンヘン在住 熊谷 徹)筆者ホームページ http://www.tkumagai.de

保険毎日新聞 2007年9月