イスラエル紀行(2)嘆きの壁にて

嘆きの壁は、エルサレム旧市街のユダヤ人地区にある。

紀元前515年に築かれた第二神殿は、紀元70年にローマ軍に破壊されたが、ヘロデ王が築いた神域の内、西側の壁の基礎部分だけは残った。

それが、現在の嘆きの壁と伝えられており、ユダヤ人にとっては世界で最も重要な聖域である。

高さ18メートルの壁は、ベージュ色の巨岩を積み重ねて造られており、近くに寄ってみると、石の隙間に信徒が願い事を書いた紙切れが、数え切れないほど押し込まれている。

ユダヤ教の安息日シャバトは、金曜日の日没とともに始まる。

壁の前の広場は、祈りの場となっており、フェンスによって女性の場所(向かって右側)、男性の場所(向かって左側)に分けられている。

ここに入る人は、ユダヤ教徒でなくても、キパと呼ばれる丸い被り物を、頭につけなくてはならない。

壁の前では、黒い帽子に丈の長い黒の背広を着け、あごひげと、もみあげを長く伸ばした、信心深いユダヤ教徒が、頭を何度も前に傾けながら祈り続けている姿が常に見られる。

ズボンの腰の部分から左右に、紐を垂らしているのも、熱狂的なユダヤ教徒の特徴である。

シャバトの直前、壁が夕日でオレンジ色に染まると、エルサレムだけでなく周辺の地域からも、ユダヤ教徒たちが、集まってくる。

日がとっぷりと暮れる頃には、広場は千人近いユダヤ教徒で、埋め尽くされた。

テーブルを囲み、安息日の祈りの言葉を唱える人々。壁際の最前列には、黒い衣装をまとった教徒たち。

後ろの方では、
Tシャツやジーンズ、ポロシャツ姿の若いイスラエル人たちが、歌を唄っている。

やがて彼らは肩を組んだり、手をつないだりしながら、輪になって踊り始めた。

さて観光客はほとんど気づかないが、嘆きの壁の前が広場になったのはわずか37年前のことで、それまではマグレブ地区と呼ばれるアラブ人の居住区だった。

1967年のいわゆる六日間戦争で、イスラエルがエルサレム東部を占領した後、この地区に住んでいたアラブ人たちを一方的に追い払い、その家を取り壊して、広場を作ったのである。

嘆きの壁のすぐ東側の丘には、アラブ人の聖地「岩の神殿」の黄金のドームや、アル・アクサ・モスクがそびえている。

この広場では、過去に投石事件なども再三起きている。

現在続いている民族紛争の引き金となったのも、2000年に現在首相のシャロン氏が、「岩の神殿」がある丘に足を踏み入れたことだった。

この地区は、聖地をめぐる、ユダヤ人とパレスチナ人の対立の縮図なのである。

(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)


保険毎日新聞 2004年10月28日