イスラエル紀行・6    虐殺の証人たち

エルサレムの西の丘陵地に、ナチスによるホロコースト(ユダヤ人虐殺)の犠牲者をしのぶ博物館ヤド・バシェムがある。

私にとっては去年9月に続いて2度目の訪問だが、今年新しい建物が完成して展示内容が一新されたため、テルアビブから車を走らせてやって来たのである。

建物は、巨大な三角柱を丘の上に寝かしてトンネルにしたような、奇抜なデザインである。

ナチスの台頭からユダヤ人迫害、絶滅収容所での虐殺、解放、終戦からイスラエル建国に至る展示内容は、以前とあまり変わらない。

この博物館の最大の特徴は、迫害や収容所を経験したユダヤ人たちの証言を、ビデオと音声で常に流していることである。

語られる言葉は、本や写真とは比べ物にならないくらい、鮮烈な印象を残す。

家畜を運ぶ貨物列車に詰め込まれて、アウシュビッツ収容所に到着した女性が抱いた恐怖感。ある被害者は、飢えが人間を鬼にすることを、語る。

アウシュビッツ収容所で、病気のために瀕死の父親が、枕の下にパンを隠していたことを知っていた息子は、飢えによる苦しさから、「父親はどうせもうすぐ死ぬのだから、明日父の所へ行って、枕の下からパンを取って食べよう」と決意する。

翌日病棟に行ってみると、すでに父は亡くなって遺体は片づけられており、枕の下のパンもなかった。

ビデオの中で彼は、「私はその時、けだものになっていたのです」と涙を流しながら語る。

ナチスが、彼に一瞬であれ人間性を失わせ、この人物が一生にわたり悔恨とともに生きる運命を与えたのである。

この人物は、ある時懲罰として、気温が零下30度の日に、高圧電流が通った有刺鉄線の間に薄着のまま立たされる。

彼は、自分よりも屈強そうな男たちが寒さに耐えられず、2時間立たされた後、有刺鉄線に触れて自殺したことを知っていた。

この人は、8時間にわたり寒さに耐えて生き残った。

その体験を語る彼の言葉は、聞く者の胸を突き刺す。

こうした証言を聞くと、ナチスによるユダヤ人迫害が、生存者の心に残した傷、トラウマがいかに深いかを改めて感じさせられる。

ある女性は、子どもが生まれた時には収容所での体験を残らず語ろうと思ったが、結局は恥を感じて何も語ることができなかったと述懐する。

人間の感情とは、正にそういうものであろう。

博物館は、民族の悲劇について学ぼうとするユダヤ人たちで満員だった。

全ての展示を見終わると、まるで長いトンネルから抜け出たように、緑と日差しに溢れた、エルサレム郊外の風景が目に飛び込んでくる。

1933年からの12年間にドイツ民族は、途方もない罪を犯したものである。

(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

保険毎日新聞 2005年10月