自爆テロとイスラエル(上)
9月中旬、私はイスラエル随一の経済都市、テルアビブにいた。
目抜き通りの一つであるアレンビー通りを歩いていると、乗り合いバスがすぐ横を通り過ぎていく。私の脳裏には、身体にぐるりと爆薬を巻きつけたテロリストがバスの中で、発火装置のスイッチを押し、乗客もろともバスを粉砕する光景が、ちらりと浮かんだ。幸いなことに、バスは火の玉になることなく、通り過ぎていった。
私の滞在中にイスラエルの新聞が、頻発する自爆テロが社会に及ぼす影響について特集記事を組み、ページ全体を覆うくらいの大きさで、自爆テロにあったバスの写真を掲載した。車体の上半分は、爆発の衝撃でほぼ完全に吹き飛び、骸骨のような金属の枠組みだけが、残っている。真っ黒に焼け焦げた車体には、乗客の遺体が累々と横たわり、警察官が被害者の写真を撮影している。遺体にかけられた白いビニールシートの端から、生気のない手がだらりと垂れ下がっている。
南国の日差しと青い海、活気のある町並みのテルアビブだが、日常生活の中にまぎれこむ自爆テロリストによって、いつ阿鼻叫喚の地獄が発生するかわからないという一面がある。イスラエルでは、2000年9月にパレスチナ人との紛争が深刻化して以来、103件の自爆テロや発砲事件によって、イスラエル人約800人が死亡し、約6000人が重軽傷を負っている。
外国でテレビや新聞の報道だけを見ていると、イスラエルは危険極まりない地域に見えるが、テルアビブやエルサレムでは、人々は外出を控えることもなく、極力ふつうの生活を送っている。彼らの中には、「テロにおびえて萎縮したら、テロリストに負けたことになる。ふだんと同じ生活を送ることが、テロリズムと戦う最良の手段だ」と思っている人が多いからである。
ユダヤ人ではないのだが、イスラエルの人々と気候が好きで、2年前にテルアビブに移住したあるドイツ人は、「私はふだんバスに乗るし、市場にも行く。生活のリズムをテロで崩されたくないからだ」と語り、すっかりイスラエル的な生き方を身につけていた。
だがイスラエル人たちの間にも、3年前から続いている自爆テロの波に不安を強め、バスにはなるべく乗らず、商店街や市場にはなるべく行かないようにしている人がいる。私の知人はテルアビブ市内で乗り合いバスに対する自爆テロがあった時、「娘がちょうどバスを使わなくてはならない用事があったため、娘がそのバスに乗っていなかったことを確認するまで、命が縮む思いだった」と、暗い声で話していた。
別の知り合いは、友人の娘が乗っていたバスで、テロリストが自爆したと語った。遺体の損傷がひどかったため、DNA鑑定を行うまで、身元の確認ができなかったという。過去3年間にテロの被害にあったのは630万人の人口の内、0・1%にすぎず、確率としてはそれほど大きくない。しかし、1000人あたり1人がテロの被害にあっているわけで、確率がゼロというわけではない。
回転式の弾倉を持つ拳銃に一発だけ弾を込めて、弾倉を回転させ、ピストルを頭にあてて引き金をひく、「ラシアン・ルーレット」という危険な賭けがあるが、イスラエル人はどこで自爆テロに出くわすかわからない日常生活を、このルーレットによくたとえる。(続く)
(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)
2003年10月28日 保険毎日新聞掲載