講演 格差社会へ移行するドイツ
主催者 エギュゼキュティブ・パートナーズ
2008年7月22日 東京にて 熊谷 徹
ただいまご紹介に預かりました熊谷と申します。本日は、皆様の勉強会にお招き下さり、心から感謝いたします。私はドイツに18年前から住んでいます。東西ドイツの統一や欧州連合の拡大、経済のグローバル化によって、この国がどう変わってきたかを観察し、これまで本を9冊発表してまいりました。
皆様はドイツという言葉を聞くと、何を思い浮かべられるでしょうか。ビールの本場、オペラ劇場といった言葉とともに、ベンツ、ポルシェ、BMWなどの自動車、ゾーリンゲンの刃物などが象徴する、工業国というイメージを抱かれる方もいるでしょう。ドイツは日本と同じく第二次世界大戦で連合国に打ち負かされました。国土は戦争のために荒廃しましたが、日本のようにめざましい経済成長を遂げ、世界でトップクラスの輸出大国になりました。
ドイツは、一極集中型の国ではありません。連邦制を取っているために、人口が分散しています。人口が最も多い首都ベルリンですら、住民の数はおよそ340万人にすぎません。このため都市の過密は大きな問題になっておらず、大きな町でも、中心部に広さが100平方メートルのアパートを借りることは、東京やロンドンほど難しくありません。
このように、「ドイツは豊かな国」というイメージを持たれる方が多いかもしれません。しかし、この国は現在大きく変わりつつあります。一言で申し上げますと、中間階層に属する市民が大幅に減り、所得の格差が急激に広がりつつあります。つまり、日本と似た現象がドイツでも起きているのです。
1 拡大する所得格差
ドイツ政府の労働社会福祉省は、3年おきにドイツの所得格差についての報告書を発表しています。
この報告書によりますと、ドイツ市民の個人資産総額は、1998年から2003年におよそ17%増えて、5兆ユーロ(日本円でおよそ800兆円)を超えました。
資産額が最も多い、全体の10%に相当する市民が、資産の60%を持っています。しかも富裕層が持つ資産の比率は、1998年に比べて2ポイント上昇しています。これに対し、市民の3分の2は全く資産を持っていないか、資産らしい資産を持っていません。
最も裕福な階層に属する、上位10%の市民は、ほぼ全員が不動産を持っていますが、最も貧しい10%の市民の間で不動産を持っているのは、6%にすぎません。ドイツは米国などに比べて一般的に持ち家比率が低く、不動産を持っている市民は42%にとどまっています。
個人資産の総額が増える一方で、貧困階層は、じわじわと拡大しています。
今年5月にドイツ政府が発表した報告書によりますと、ドイツでは毎月の手取り所得が781ユーロを下回る市民が、貧困層と定義されています。
現在は1ユーロがおよそ160円で、ユーロ高になっているため、これを日本円に換算しますと、12万5000円になります。しかし、ドイツでの購買力を考慮に入れますと、781ユーロは、感覚的には7万8000円に近い金額です。
2005年の時点で、貧困層に属していた市民の比率は、13%。およそ8人に1人の割合です。絶対数にして、およそ1000万人が日々のパンにも事欠く暮らしを送っていることになります。
さらに、失業保険の給付金や、子どもの養育手当て、住宅補助などの社会保障支出がなかった場合、実に市民の26%、つまり4人に1人が貧困層に属することになります。つまり、社会保障制度のために、貧困層に属する市民の数が半分に減らされているわけです。
社会の中で最も貧困のリスクにさらされているのが、夫やボーイフレンドと別れた後に、子どもを1人で育てている母親で、全体の48%が貧困層に属しています。また、1年以上失業している市民も、43%が貧困階層です。
比較的豊かと見られていた旧西ドイツでも、貧困層が拡大しています。政府が3年前に発表しました別の報告書によりますと、旧西ドイツで貧困層に属する市民の比率は、1973年にはおよそ8・7%でしたが、1998年には13・1%に増えました。
またドイツで生活保護を受けている市民の数も、1988年から2003年までに33%も増加し、283万人に達しています。生活保護を受けているのは、人口の3・4%ですが、失業率が高いブレーメンでは、実に市民の9・2%、ベルリンでも7・7%が生活保護を受けています。
特に旧東ドイツでは、1991年からの9年間で、生活保護を受けている人の数が、68%も増えました。
この数字は、ドイツ統一後、東ドイツの国営企業が閉鎖されたり、民営化されたりしたことによって、多くの市民が貧困層に転落したことを示しています。
地方自治体などが毎年支出する生活保護の給付金額も、1991年から2006年までの間に32%増えて、204億8300万ユーロ(およそ3兆2770億円)に達しています。
ちなみに日本でも、生活保護を受けている世帯の数は、1990年から2006年までに72%増えて、108万世帯となりました。
さて社会の不平等の度合いを分析する時に、ジニ係数という尺度が使われます。
所得や資産の分配が不公平であるほど、数字は1に近づき、格差が少ないほど0に近づきます。1998年には、所得のジニ係数が、0・255でしたが、2007年には0・32に上昇しており、所得分布の不平等が強まっていることがわかります。
ちなみにドイツでは資産のジニ係数が0・79と極めて高くなっており、資産の格差は、所得の開きよりも大きいことがわかります。
OECD・経済協力開発機構によりますと、ドイツでは1995年の時点で、所得が最も多い上位10%に属する市民と、所得が最も少ない10%の市民の間の所得の格差は、2・79倍でした。しかしこの格差は、2005年には3・13倍と広がっています。
ドイツの所得格差が広がる速度は、OECD加盟国の平均を上回っています。
ちなみに日本でも、高額所得者と低所得層の間の格差は、2005年までの10年間に、3・01倍から3・12倍に拡大しています。
ドイツでは、毎年の所得が100万ユーロ(1億6000万円)を超えている人が、およそ1万2000人います。毎年100万ユーロ以上稼ぐ人の数が、1995年に比べて、73%増えたことになります。
また不動産を除く金融資産が100万ドルを超える市民は、2005年の時点で76万7000人でした。前の年に比べておよそ1%増えたことになります。ちなみに日本では、金融資産が100万ドルを超える市民は4・7%増えて、141万人になっています。
ドイツのほとんどの大手企業は、年次報告書の中で、取締役の所得を公表しています。去年の時点では、大手企業30社の取締役の平均所得は、486万ユーロ・7億7800万円でした。高額所得者のトップは、ドイツ銀行のヨーゼフ・アッカーマン頭取で、去年1434万ユーロ・22億9400万円の所得がありました。
一方、納税義務がある2880万人の市民の22%にあたる620万人は、所得が低すぎて、税金を全く払っていません。
ある時、Mさんというドイツ人の知り合いからメールが届きました。彼は、以前ポルシェのスポーツカーに乗るほどお金があったのですが、病気とアルコール依存症のために失業しました。Mさんはガールフレンドのアパートに住んでいましたが、その女性とけんかしたためにアパートから追い出され、ホームレスになってしまったのです。
Mさんがインターネットカフェから送ってきたメールには、「公園で寝起きしているが、お腹が空いてしかたがない。何も言わずに50ユーロを口座に送金して下さい」と書かれていました。私は「お金は送りますが、酒を買うのに使わないで下さい」とメールを送り、50ユーロを振り込みました。
ミュンヘンは、電機、自動車メーカー、保険会社などの本社が多く、ドイツで最も豊かな町の一つです。失業率は5・5%と、全国平均よりも低くなっています。それでも、駅や商店街でホームレスを見かけることが最近増えてきました。
労働社会福祉省によりますと、ドイツのホームレスの数は、2002年の時点で37万人から45万人の間と推定されています。ホームレスの収容施設が整備されたことから、路上で眠る人の数は、1995年の92万人から、半分以下に減りました。
厚生労働省の調査では、日本のホームレスの数は、2001年の時点で2万4000人と、ドイツよりもはるかに低い水準です。しかし、その数が1999年からの2年間で48%も増えていることには驚かされます。
所得格差が拡大している背景として、失業問題を見過ごすことはできません。統一後のドイツにとって、大量失業は最も深刻な問題の一つでした。
528万8245人。
これは、2005年2月に記録された、戦後ドイツの歴史で最も多い失業者数です。連邦統計庁によりますと、この時失業率は12・7%に達しました。
この国では、失業率が10%を超える状態が、1994年以降、14年間続きました。特に深刻なのは旧東ドイツです。旧東ドイツでは統一以来、今日まで、失業率が10%を割ったことが一度もありません。2003年から3年間は、旧東ドイツで働く意思のある市民の、5人に1人が失業していました。
しかも実際には、失業者の数はもっと多いのです。それは、政府が発表する雇用統計に、含まれていない人々がいるからです。たとえば、企業から解雇されて、国のお金で職業訓練や語学研修を受けている人、肩たたきにあい、退職時期を繰り上げて会社をやめた人、国の雇用創出事業で、仮に雇われている市民。
こうした人々は、統計の中では失業者として記録されません。しかし実態を見れば、彼らも事実上、職を失った人々です。
こうした「隠れた失業者」たちを含めると、失業率は、2005年にはおよそ16%、失業していた市民の数は、じつに600万人に達していました。
これまでドイツで最も失業者が多かったのは、世界大恐慌の直後で、1932年2月に、612万人を記録しました。しかし潜在的な失業者を含めた絶対数を見れば、2005年の失業者数は大恐慌の時に、じわじわと近づいていたのです。
ドイツの不況が長引いた理由の一つは、統一が一時的にもたらした好景気のために、ドイツ企業のリストラ、グローバル経済への対応が遅れたことです。ドイツ統一がもたらした一種の「特需」によって、多くの企業がうるおいました。
イギリスやフランス、スカンジナビアの企業は、すでに1990年の初めに、業績が悪化したために、血のにじむようなリストラを行っていましたが、ドイツ企業は構造改革を先延ばしにしたのです。このため、失業者の数のピークが、2005年という、ヨーロッパでも比較的遅い時期にやってきたのです。
ちなみに、ドイツでは去年景気が回復し始めたため、失業者の数は次第に減りつつあります。今年4月の失業者の数は、2005年に比べて187万人も減り、341万人になりました。失業率は、現在9%を割っています。
2 シュレーダー改革と格差社会
ドイツでは、なぜ所得格差が開きつつあるのでしょうか。日本では小泉首相の時代に所得格差が広がり始めたとよく言われます。ドイツで、その役割を果たしたのは、社会民主党のゲアハルト・シュレーダー前首相です。シュレーダー氏は、1998年から2005年まで、緑の党と連立政権を組んで、政権を担当しました。その際に、戦後最も大胆な社会保障改革を実行に移したのです。
社会民主党は、伝統的に労働組合を重要な支持基盤にしてきました。これに対してシュレーダー氏は、企業経営者や財界と強い結びつきを持つ、社会民主党としては異色の政治家でした。
西ドイツは、世界で最も社会保障制度が充実した国の一つでした。統一までは、定年退職後、公的年金だけで生活していくことが十分可能でした。公的健康保険のカバー範囲も広く、病気やけがをした後の、転地療養のための6週間の休暇まで、保険でカバーされました。失業しても、支出を切り詰めれば、失業保険の給付金だけで生活していくことは、不可能ではありませんでした。
しかし、企業は社員の年金保険や健康保険の保険料の半分を負担しなくてはなりません。このため、ドイツは人件費が世界で最も高い国の一つとなってしまいました。
2004年の時点で、旧西ドイツの加工業の労働者の一時間あたりの労働コストは、27・6ユーロ(4416円)でした。これに対しポーランドは3・29ユーロ(526円)、つまりドイツの8分の1でした。
このため、東西冷戦が終わって、鉄のカーテンがなくなると、多くの企業が、生産拠点を、ドイツから、人件費の安い東ヨーロッパに移し始めました。日本のメーカーが、工場を中国や東南アジアの国々に移したのと同じ状況が、ヨーロッパでも起きていたのです。
ドイツでは手厚い社会保障のために、労働コストが高くなり、産業の空洞化が進みました。また、高い税率、強い組合、短い労働時間などのために、外国企業も投資せずに、東ヨーロッパへ行ってしまいます。
このためにドイツでは失業率が高まったり、市民の労働意欲が減退したり、企業の国際競争力が下がったりしました。
この現象を私は、「ドイツ病」と呼んでいます。
シュレーダー氏は、失業者の数を大幅に減らすことを、最も重要な政策課題としました。そのためには労働コストを減らして、企業が雇用を増やせるようにすることが必要です。シュレーダー政権が、社会保障サービスを大幅に減らす改革に踏み切ったのは、そのためです。
シュレーダー氏は、ドイツ病の治療に本格的に乗り出した、初めての政治家でした。
ドイツでは、高齢化と少子化のために、公的年金、健康保険ともに赤字がふくらんでいました。このため、社会保障支出を減らすことによって、制度が破綻することを防ぐということも、シュレーダー改革の大きな理由でした。
戦後の西ドイツは、「社会的市場経済」という原則を貫いてきました。これは、自由競争と小さい政府を原則とする、アメリカやイギリスの市場経済とは異なり、政府が一定の枠を決めた中で、企業が競争を行う経済体制です。
競争に敗れた、いわば「負け組」には、政府が社会保障などによって保護の手を差し伸べるのが、特徴です。つまり「人間の顔を持った資本主義」と言うことができます。アングロサクソン型の純粋資本主義に対比して、「ライン型資本主義」と呼ばれることもあります。
ドイツは、毎年、国内総生産の27・6%を、年金や失業手当などの社会保障支出に回しています。金額にして、7000億ユーロ・112兆円という天文学的な数字です。
27・6%という比率は、フランスに次いで世界で2番目に高い数字です。ちなみに、日本の社会保障支出は国内総生産の20・6%で、ドイツを7ポイント下回っています。
ドイツの社会保障支出が国内総生産に占める比率は、ほぼ毎年上昇してきました。ドイツでは2000年代に入ってから成長率が伸び悩んできました。国の富を上回る勢いで、社会保障支出が増大していけば、制度が将来破綻することは、明らかです。
アメリカの経営学者ピーター・ドラッカーは、「ドイツの社会的市場経済は、コストがかかりすぎて、21世紀の経済には適していない」と警告しています。
つまりシュレーダー氏は、イギリスのブレアー首相と同じように、政府による社会保障を減らして、国民の自助努力を増やそうとしたのです。伝統的な社会民主党の路線とは異なる、いわば「第三の道」です。
社会保障支出を減らして、社会保険料を削減することは、企業の人件費が減ることになります。そうすれば、ドイツ企業の価格競争力が高まり、利益の幅が増大する可能性が強まります。このため経済界は、シュレーダー氏の改革を高く評価しました。
具体的には、どのような改革が行われたのでしょうか。まず公的年金については、保険料を払い込む人口が減ると、支給額の伸びにブレーキがかかるように、年金の計算方法を変更しました。また年金の支給開始年齢も、65歳から67歳に引き上げられました。
物価に連動する年金のスライド制も廃止され、年金の額は毎年原則として固定されました。最近ドイツで物価上昇率が高まっていることを考えますと、これは年金が実質的に減らされることを意味します。
ドイツでは長い間、日本に比べて生命保険や民間年金保険への人気が高くありませんでした。しかし、シュレーダー改革が始まってからは、民間の保険会社の年金保険が飛ぶように売れています。これは市民の間で、「公的年金だけでは、老後を迎えてから、貧困層に転落する」という危機感が強まっているからです。
次に失業保険です。シュレーダー氏は、失業者に対する援助があまりにも手厚すぎたことが、失業者が減らない原因の一つだと考えました。具体的には、失業手当の額を生活保護と同じ水準に引き下げ、支給の基準も厳しくしました。
毎月の支給額は、最終的には1人あたり旧西ドイツで345ユーロ、旧東ドイツで331ユーロになります。家賃についての補助も国から出ますが、5万5000円前後の収入では、生活は苦しくなります。
「ハルツIV」と呼ばれるこの改革をシュレーダー氏が実行した理由は、失業手当を大幅に減らすことによって、失業者が新しい仕事を探すように、圧力を高めるためです。
実際、シュレーダー改革が行われる前には、ホテルやレストランの従業員など、給料が低い仕事につくと、税金や社会保険料を差し引かれるために、失業手当よりも手取りが少なくなるというケースが多かったのです。これでは、なかなか就職しようという気にはなりません。
公的健康保険についても、カバーの範囲を大幅に減らしたほか、医師が一人の患者に対して支出できる医療費に上限をもうけました。来年からは、公的健康保険の運営をより効率的に行うための、新しい制度がスタートします。
シュレーダー改革によって、ドイツの社会保障コストの伸びには、ブレーキがかかりつつあります。去年から失業者の数が減っている背景にも、改革の影響があるものと思われます。
しかし、シュレーダー氏が行った改革は、失業者への給付金を大幅に減らすことによって、所得格差を広げる原因の一つとなりました。
ミュンヘンで16年前から失業しているある女性は、生活保護の給付金だけでは十分に食事をできないので、毎週木曜日に福祉団体から、食料品店の売れ残りの野菜や果物をわけてもらいます。もちろん、子どもとレストランに食事に行くためのお金もありません。
特に失業率が西側の2倍に達している旧東ドイツでは、シュレーダー氏が失業手当を大きく減らしたことは、市民の間に強い反発を引き起こしました。
ドイツが誇っていた、高い医療サービスにも、ひびが入り始めています。
この国では、差額ベッド代を払わなくても、入院する時の病室は、1人部屋か2人部屋があたりまえでした。私が18年前にミュンヘンに住み始めた時には、「ドイツの医療サービスはぜいたくだなあ」という印象を持ちました。
ところが、健康保険制度や、医療制度の改革によって、医師の収入は以前に比べて大幅に減りました。このため、公的健康保険に入っている患者は受け付けず、民間の健康保険に入っている患者しか診察しないという医師も増えています。公的健康保険の患者について支出できる医療費には、上限が設定されているのに対し、民間の健康保険に入っている患者には、上限がないからです。
ドイツ市民の90%が公的健康保険に入っていますが、医師にとっては公的健保の患者よりも民間健保の患者を診察した方が、もうかるのです。
このため、民間健康保険の患者は、医師とのアポイントメントをすぐ取れるのに対し、公的健康保険に入っている市民は、何ヶ月も待たされることがあります。今年5月にドイツ医師会の会長は、「国民全員に、等しく充実した医療サービスを提供できる時代は終わった」と語っています。
つまり、収入によって、受けられる医療サービスに、大きな差が表われるというわけです。
自営業者は公的健康保険に入ることができないので、民間の健康保険に入らなくてはなりません。ところが、収入が減ったり、廃業したりしたために、保険料を払うことができなくなり、健康保険に入っていない市民の数は20万人にのぼります。
国民皆保険を原則とする、福祉国家ドイツの足元が大きく揺らいでいることは、こうした所にも現れています。
さきほど、ドイツの失業者の数が減り始めていると申し上げました。しかし、「ドイツの労働コストは相変わらず高すぎる」として、工場を閉鎖する企業は、後を絶ちません。
今年初めフィンランドの携帯電話メーカー、ノキアは、ドイツ北部のボッフムにある工場を閉鎖し、ルーマニアに新しい工場を建設することを発表しました。ルーマニアの労働コストは、ドイツのおよそ10分の1です。このために、ドイツで2300人が失業しました。
ドイツ・テレコムは2010年までに社員の数を、1万2000人減らす予定です。
またミュンヘンに本社を持つBMWも、従業員の数をおよそ8000人減らす方針を、去年暮れに突然明らかにしました。BMWは、2012年までに製造コストを60億ユーロ減らし、利益率を改善しようとしているのです。また、化学製品のメーカーであるヘンケルでは、従業員数をおよそ3000人減らす予定です。ヨーロッパ最大の電機メーカー・シーメンスも、電話関連部門で雇用している従業員の数を、全世界で7000人減らしますが、その内2000人はドイツで働く人々です。
今年の第1・四半期までに、ドイツの大手企業が減らすと発表した従業員の数を合計しますと、実に4万人にのぼります。これらの企業が増やす予定の従業員の数は2万3000人ですから、実質的には削減になります。
この背景には、サブプライム危機や、原油価格の高騰による景気の冷え込み、ドルに対するユーロの為替レートが高くなっていることなども影響しています。
これらの大手企業のほとんどは、黒字を計上しています。それでも、グローバル経済で生き残るためには、常にコストをカットして、株価が下がるのを防がなくては、投資家を喜ばせることはできません。
私の周辺でも、黒字を計上している企業で働いていたのに、解雇されるサラリーマンが増えています。ある人は、大手保険会社で働いていましたが、最近解雇を言い渡されました。2人の子どもを抱えているほか、最近家を買ったばかりなので、急いで新しい仕事を見つけなくてはなりません。
私はあるパーティーで、中年のカップルと知り合いました。女性は大手航空機メーカーに勤めていましたが、解雇されて失業中です。男性の方は、大手電機メーカーに20年以上勤めていましたが、リストラの影響でまもなく解雇されます。こんな話があちこちから、聞こえてくるのです。
つまり、グローバル企業で働いているサラリーマンたちにとって、雇用状況は決して安定していないのです。政府が「失業者の数が減っている」と誇らしげに発表しても、市民の間には漠然とした不安感が残っているのです。
昔の西ドイツでは、銀行に勤めれば、「一生安泰」と考えられていました。実際、一つの企業で30年以上働く人も珍しくありませんでした。しかし、今ではドイツの銀行は、最もリストラの危険が高い職種の一つとみられています。最近も、ドイツ最大手の保険会社アリアンツが、子会社のドレスナー銀行を売却する方針を明らかにしました。
さらに、ドイツで雇用が増えているのは事実ですが、その中で人材派遣会社の比率が高まっています。
たとえば、2006年に500人以上新しく社員を採用すると発表していた企業39社の内、上位4社は、人材派遣会社でした。この4社は2006年に2万1500人を採用しました。この国では、8000社を超える人材派遣会社が活動しています。
去年6月の時点で、ドイツの人材派遣会社に雇用されて、企業に派遣されている市民は63万人に達しています。これは、前の年に比べて32%増加したことを意味しています。人材派遣会社の業界団体は、2010年の末には、人材派遣会社に雇用される市民の数が100万人を超えると予想しています。
2006年に大手の人材派遣会社25社の売上高は、前の年に比べて43%も増えています。現在、メーカーなど工業界で働く人々の半分は、人材派遣会社から送られてきています。
2006年に人材派遣会社に新しく採用された人々の68%は、以前失業者でした。
ドイツには、「解雇から従業員を守る法律」があり、労働組合の力は日本とは比べ物にならないほど強くなっています。このため、経営者にとっては、勤続年数が長い社員を解雇するのは、時間とコストがかかります。したがって、労働組合によって守られていない派遣社員を雇った方が、経営者にとっては有利なのです。もちろん、給料も正社員に比べると大幅に安いので、人件費を節約できます。
人材派遣会社から企業に送られている勤労者の内、その企業で正社員として採用されるのは、30%にすぎません。
つまり、ドイツで雇用が増えていることは事実なのですが、企業に正社員として採用される人の比率は減っているのです。これは、ドイツの伝統的な雇用形態が崩れつつあることを示しています。
ドイツでは仕事が見つからないので、外国へ移住する人も増えています。去年には、16万5000人のドイツ人が、スイスやオーストリアへ移住しました。前の年に比べて、移民の数は1万人増えました。彼らは主に、ドイツ語が通じる国で、ホテルやレストランの従業員などとして働いています。
高度経済成長期のドイツは、単純労働者の不足を補うために、トルコやユーゴスラビアから、ガストアルバイターつまり移民労働者を受け入れました。ところが今では、国内で仕事が見つからないために、周りの国々へ移住するドイツ人労働者が増えているのです。時代の移り変わりを物語る数字です。
また、ドイツでは健康保険改革のために、医師の収入が減っていることから、イギリスやアメリカへ移住するドイツ人の医師も増えています。私の知り合いのドイツ人は、5年前にイギリスに移り住み、ロンドン郊外の病院で働いていますが、ドイツよりもはるかに収入が高く、労働条件も良いので、祖国に帰る気は全くないと話しています。
かつてのドイツは、森鴎外も留学した医学の先進国でした。そうした国から、医師が国外に流出していくというのは、私には意外に思われました。
人口の流出といえば、統一から20年近く経った今も、旧東ドイツから西側に移り住む人の数は減っていません。旧東ドイツの人口は、毎年およそ13万人ずつ減っています。
連邦統計庁によりますと、旧東ドイツの人口は、1990年には1810万人でしたが、2003年までの12年間におよそ120万人も減りました。これは6・6%の減少です。ベルリンの壁崩壊から2006年までに、旧東ドイツを去った市民の数は、およそ150万人に達すると推定されています。
ミュンヘンのレストランや酒場では、ザクセンなまりのドイツ語を話す、旧東ドイツからの移民をよく見かけます。彼らは、旧東ドイツでは仕事が見つからないので、景気が良いバイエルン州に移ってきたのです。家族全員でミュンヘンに移住してきた東ドイツ人も知っています。特に、才能を持ち、若くてやる気のある人ほど、旧東ドイツに見切りをつけて、西側に移住する傾向が強いようです。旧東ドイツ経済の見通しがいかに暗いかが、おわかり頂けると思います。
2006年にフリードリヒ・エバート財団という研究機関が行った世論調査は、ドイツ市民が持っている不安感を浮き彫りにしています。
3000人の市民を対象にして行われたこのアンケートによりますと、回答者の8%が、「自分は社会から置いてきぼりにされた、下層階級に属する」と答えました。旧東ドイツでは、この数字が25%にものぼっています。
そして、回答者の63%が「社会の変化によって、不安を持っている」と答えたほか、61%が、「中間階層はなくなり、富裕層と貧困層しかない」と答えました。また、回答者の39%が、「老後には、生活保護を受けなくてはならないだろう」という不安を訴えています。
この調査結果は、ドイツ社会を、不安の影が覆っていることを示しています。
3 政局への影響
市民の格差社会への不満は、政治の世界に大きな影響を与えています。
今年ニーダーザクセン、ヘッセン、ハンブルクで行われた州議会選挙で、左派政党「リンクス・パルタイ」が大きく得票率を伸ばして、議会に進出したのです。
ドイツでは、小さな党の乱立を防ぐために、得票率が5%を超えない政党は、会派として議席を持つことができない仕組みになっています。左派政党は、これらの州で5%条項の壁を突破して、議会入りを果たしたのです。
リンクス・パルタイの母体は、社会主義時代の東ドイツで、独裁的な権力を持っていた、SED(ドイツ社会主義統一党)です。統一後は、PDS(民主社会党)と名前を変えました。
この党は、旧東ドイツでは平均30%の支持率を得ていましたが、西側ではほとんど注目されませんでした。しかし、社会民主党のシュレーダー路線に反発して党を辞めた左派勢力が、去年合流したことから、旧西ドイツでも急速に人気が高まっています。これで、ドイツの16州の内、10の州でリンクス・パルタイが議会入りしたことになります。
この党が旧西ドイツの地方選挙でも躍進を続けている最大の理由は、多くの市民が社会保障の削減に強い不安を抱き、格差の拡大に反対していることです。
リンクス・パルタイは、失業者への給付金の引き上げ、年金支給開始年齢を67歳から65歳に戻すこと、ヘッジファンドの禁止、取締役へのストックオプションの禁止などを求めています。さらに、「政府は教育や社会福祉に、500億ユーロ・8兆円の投資を行うべきだ」と主張しています。
つまり、所得格差の是正を前面に打ち出しているのです。このことが、現状に不満を持つ市民の心に訴えかけたのです。左派政党の躍進は、「格差の拡大に歯止めをかけてほしい」という有権者の抗議の表われといえるでしょう。
去年の発足以来、リンクス・パルタイの党員の数は1万人増えましたが、その内のほとんどが旧西ドイツ人だと言われています。現在この党は、旧西ドイツでも有権者の12%が支持しています。
興味深いのは、左派政党「リンクス・パルタイ」では60歳以上の市民が、党員の70%を占めていることです。つまり、リストラや年金の削減によって、格差社会の中でもっとも皺寄せを受けている世代が、この党を最も強く応援しているのです。したがって、左派政党は選挙戦で、年金の目減りに歯止めをかけるという点を強調しています。
ドイツでは高齢化が進んでいることから、中高年層に照準を合わせた選挙戦略は、効果を上げつつあるのです。
現在連立政権を作っている社会民主党と、キリスト教民主・社会同盟では、60歳以上の市民の比率は半分以下にとどまっています。
しかし、左派政党の躍進と対照的に、社会民主党と、キリスト教民主・社会同盟への支持率は下がる傾向にあります。
この2大政党は、前回の選挙で単独過半数を取れませんでした。それは、どちらの党に対しても国民が失望感を抱いているからです。これに対し、左派政党「リンクス・パルタイ」は、ドイツを社会主義国にすることを目指しているわけですから、主張がわかりやすいのです。
来年9月の連邦議会選挙では、所得格差の是正と、社会的公正の実現が、争点になるものと見られています。このため、左派政党が躍進することは、確実と予想されています。
与党側は今年に入ってから、年金の一時的な引き上げや、減税を提案し、支持率の低下に歯止めをかけようと、必死です。
特に社会民主党では、前の首相だったシュレーダー氏の改革路線について、国民の不満が高まっていることから、社会保障の見直しにブレーキをかける姿勢を強めています。つまり、シュレーダー路線から距離を保つことによって、国民の支持を回復しようとしているわけです。
このため、私は、今後しばらくの間、ドイツ病を治療しようとする改革の動きが、しばらくストップするのではないかと思っています。
ちなみに、ドイツだけでなくヨーロッパ大陸の市民の間には、経済のグローバル化は所得格差の拡大につながるとして、強く反対が見られます。人々の間では、欧州連合が強い権力を持つことを、グローバル化の表われとみなす意見が強くなっています。
2005年に、フランスとオランダで、欧州連合の憲法条約の批准をめぐる国民投票が行われましたが、国民の半分以上が、条約批准を拒否しました。また今年6月にはアイルランドの国民も、欧州連合のリスボン条約の批准を拒否しました。これは、グローバル化に対する人々の不安をはっきりと表わしています。
人々は、欧州連合の拡大や、政治的な統合が強化されることをグローバル化と、ほぼ同じ意味に解釈しています。
グローバル化が進めば、産業の空洞化が起こり、失業の危険が高まります。つまり欧州連合の権限が強まると、格差社会への道が開かれると懸念しているのです。
左派政党「リンクス・パルタイ」は、経済のグローバル化に批判的で、アングロサクソン型の資本主義を拒否する姿勢を打ち出しています。このため、リンクス・パルタイが格差社会に反対する市民の支持を得て、ドイツ社会が左旋回した場合、この国でもグローバル化に反対する動きが強まる可能性があります。
ドイツ病を治療しようとした、シュレーダー氏のために、この国の振り子は、社会保障削減の方向に揺れ始めていました。しかし、この治療は所得格差の拡大と、不公平感の高まりという副作用を生みました。
患者は、この副作用に対して強い拒否反応を示しています。ただし、ドイツがグローバル経済の一員となっている限り、労働コストを下げる努力は避けて通ることができません。改革を怠れば、景気が悪化した時に失業者の数が再び増えることは間違いありません。
果たして、ドイツ政府は、こうした難しい状況の中で、改革の努力を続けることができるでしょうか。ドイツは日本と同じく、貿易立国として、戦後めざましい経済成長を遂げました。しかし現在では、労働コストが安い新興国に追い上げられて、低成長に苦しんでいます。成熟期を迎えた経済大国が、経済のグローバル化に適合して、新しく成長できるどうかを占う上で、ドイツの状況は貴重な材料を提供しているように思います。
ご清聴どうもありがとうございました。