中央公論  2002年3月号 掲載

マルクを捨てて「戦後」から解放されたドイツ             熊谷 徹

同時多発テロによって、全世界の目がアフガニスタンと米国に釘付けになっている間も、ヨーロッパでは静かな革命が進行している。二00二年一月一日に、新年を告げるけたたましい花火と爆竹の音とともに、ユーロが現金として流通し始めたのは、そのことを象徴する出来事であった。三億人の住民、十二の国を抱える経済圏が、紙幣と硬貨を一度に切り替えて同じ通貨を使い始めるのは、歴史の上でも例がない。カール大帝やナポレオンも夢見て成し遂げなかった通貨統一が、いま現実の物となった。

仕事始めの一月二日、私の住むミュンヘン市内では、肌を刺す寒気にもかかわらず、マルクをユーロに交換しようとする市民で、銀行と郵便局の前に長蛇の列ができた。銀行側は窓口の職員の数をふだんよりも増やしたが、初めの内は人波をさばき切れなかった。最初の週に大量のマルク硬貨を両替しようとした人は、銀行員から「今週はとても無理です。来週また来て下さい」と言われて追い返された。郵便局では一時間半も待たされることも珍しくなかった。ドイツ人がマルクに強い愛着を持ち、昨年十二月に行われたある世論調査でも回答者の五七%が「マルクがなくなるのは不満だ」と答えていたことを考えると、この殺到の仕方は、やや意外である。しかし実際のところドイツ人たちは、ユーロへの熱狂や関心から、銀行に押しかけたわけではないのである。

ドイツの経済界は欧州連合(EU)の要請に応えて、二月末まではユーロと並んで、マルクでの支払いにも応じることに同意したが、これは法律で義務付けられていたわけではない。したがって、この国では新年早々「ユーロ以外は受け付けません」という張り紙をしたり、「マルクでの支払いは五0マルクまで」などと制限を設けたりしている店があった。また店頭の価格表示もユーロが中心になり、マルクは参考にすぎない。客にとっても、マルクで払ってもユーロの釣り銭が帰ってくるため、お釣りの確認をする時に、一瞬戸惑ってしまい厄介である。さらに一般の銀行でユーロへの両替ができる期間も、二月末までに限られていた。

標準的なドイツ人はせっかちで、懸案を早めに処理しないと気が済まない性格を持っている。こうした国民性も手伝って、市民たちはユーロへの熱狂からではなく、日常生活の中で不便を感じないという極めて現実的な理由のために、銀行に殺到したのである。「最初の週でも、お客さんの三分の二はユーロで支払いました。私自身、まだユーロでの商品の価格を覚え切れていないのですが…・」ミュンヘンのタバコ屋のご主人が言う。帰り道に飲み屋で一杯やっているサラリーマンたちも、「なんだか、あっという間にお金が切り替わったね」と口々に語る。このような感想を人々が抱くほど、ユーロは当初の予想を上回る速度で、まるで潮が急速に満ちていくように、ドイツの日常生活に浸透した。

ミュンヘンの店頭で観察していても、流通開始から二週間後には、マルクで支払う人はほとんど見られなくなった。ドイツ小売業者協会(HDE)によると、一月十三日には店頭での現金支払いの九0%がユーロで行われた。半世紀にわたって戦後西ドイツの復興と経済力のシンボルだったマルクに、ドイツ人がこれほどあっさりと背を向けるとは思わなかった。ドイツ人と話すと、「自分はやはりユーロよりもマルクに愛着がある」という本音を聞くことが今でも少なくないからだ。だが彼らは日常生活での必要に迫られて、マルクへの郷愁を感じている暇もなく、ユーロの世界へ飛び込んだのである。

他の国々でも、ユーロへの切り替えは予想以上にスムーズに進んだ。欧州中央銀行(ECB)によると、今年に入ってからのわずか十日間で、八0億枚ものユーロ紙幣が通貨同盟に参加している十二カ国に行き渡り、これらの国々に送り込まれたユーロ紙幣の価値は、市中で流通している紙幣の価値の五0%を超えたのである。「ユーロ流通は大成功」というECBの声明もあながち誇張とは言えない。ユーロは三年前の誕生以来、対ドル交換レートが下落したために、現金としての日の目を見る前から、市民やマスコミの批判を浴びてきた。しかし今回現金流通が、大きなトラブルもなく軌道に乗ったことは、新通貨の安定性にとって不可欠な、信頼感を深める上で重要な意味を持っている。

さてユーロの導入は、ともすれば経済的な観点からのみ論じられがちだが、実は政治的な意義の方がはるかに大きい。ヨーロッパの指導層は、ユーロが政治統合に弾みをつけることに強い期待を寄せている。

欧州統合は、この地域を荒廃させた戦争を繰り返すまいとする、政界・財界のエリートによるプロジェクトである。実際、ヨーロッパの外交官や多国籍企業の幹部、大学教授などの知識人、またEUで働く公務員らの間には、「自分たちはドイツ人やフランス人でありながら、ヨーロッパ人でもある」という意識が芽生えつつある。金融・電力・ガス市場の自由化、カルテルの取り締まりや企業買収への最終的な承認から、製品の安全基準、ゴミ処理に至るまで、企業活動や国民生活に大きな影響を及ぼすテーマについての基本的な決定は、その大部分がすでに各国の首都ではなく、EU委員会のあるブリュッセルで行われている。これらの問題に関して各国政府は、EU委員会の方針を、国内法に移し変えて実施しているにすぎない。

二000年五月にドイツのフィッシャー外相が、「EU諸国は、最終的に一つの政府と憲法、二院制の議会を持つ連邦を形成するべきだ」と提案したように、ヨーロッパの現状を見れば、西欧諸国の政府が長期的には事実上一つの「国家」に収斂するプロセスにあることは、明白である。

しかし、欧州連邦の形成がエリートのプロジェクトであるがゆえに、その前には重大な障壁が立ちはだかっている。それは、各国の市民たちの間で、ヨーロッパ人としてのアイデンティティ−が希薄だということである。ヨーロッパの特徴の一つは、各国市民の伝統への執着の強さ、狭い地域にひしめき合う文化の多様性である。このため大半の市民の間では、自分がヨーロッパ人であるという意識は低く、市民の意見を聞かずに重要な決定を行うEU委員会への不信感も募りやすい。EUの複雑な組織は、多くの市民にとって、つかみどころのないブラックボックスであり、「EUは民主主義に欠ける」という批判をよく耳にする。九九年の欧州議会選挙の投票率が、ドイツでは前回の六0%から四五%と急激に落ち込んだことは、市民のヨーロッパへの関心の低さを象徴している。

ユーロの現金流通にかけられている期待の一つは、これまでつかみどころのなかった欧州統合に形を与えることによって、市民の間で欠けている欧州人としての意識を芽生えさせることである。すでに九九年に誕生していたユーロだが、これまでは銀行振込や企業間取引など、帳簿の上でしか使われていなかったため、大衆には馴染みがなかった。

それが、今や硬貨と紙幣という、誰もが毎日使用する具体的な存在となり、しかもバカンスで訪れるギリシャやイタリア、スペインでも同じ金を使用することができる。さらにユーロがインフレや対ドル交換レートの急落、加盟国の財政状態の悪化などの危機に直面せず、中長期的に市民の信頼を獲得することに成功すれば、この通貨が人々の間に「自分はヨーロッパ人でもある」という意識の萌芽を生む可能性がある。

ミュンヘン大学応用政治学研究所のW・ヴァイデンフェルト所長は、新通貨の役割をこう表現する。「ユーロは欧州諸国の経済的・政治的な相互依存関係に質的な飛躍をもたらす、パラダイムの変化である。ユーロによって、欧州は外部からの脅威がないにもかかわらず、一種の“存在共同体”を形成し、統合を深める。さらにユーロによるパラダイムの変化は、ヨーロッパ人としてのアイデンティティ−を強化する。ユーロによって、欧州各国の市民は象徴的な意味だけでなく、日常的にも相互に繋がっており、依存しあっていることを、はっきりと感じ取るだろう」。

ヴァイデンフェルト氏によると、ユーロが唯一の通貨となったことによって、将来「ヨーロッパ」という概念は、市民の意識の中に以前よりもくっきりと浮上する。例えば、欧州の特定の国で危機が発生した場合、これまではその国の問題として片付けられ、他国の国民が切実な問題として受けとめることは少なかった。しかしユーロが誕生した今、その危機は自分が毎日使う通貨の安定性に影響を与えるので、もはや一国の問題としては片付けられない。地理的に距離が離れたEU加盟国に住む市民も、同じ通貨を使っているが故に、他国での危機をこれまで以上に自分の問題として感じるようになる。ユーロが目に見えない紐帯になり、各国市民を運命共同体として結び合わせるのである。

国家の枠を超える統合が、現在ほど深くなった時代は、過去の欧州において一度もなかった。ユーロの秘める可能性は、単に現金流通の現象面だけを追っていては理解できず、歴史の文脈の中に置いてみて初めて実感できる。あと数年でEUはポーランド、チェコなど中部ヨーロッパにも広がり、ナチスの暴虐と東西分割で最も辛酸をなめた地域に、経済的・政治的安定を輸出する。欧州は二一世紀という不安定性と不透明感に満ちた時代を生き抜くために、過去二000年間にわたって続いた群雄割拠の状態に別れを告げ、国家権力の部分的な委譲によって、団結する道を選んだのである。

いまミュンヘンの店先では、多くのドイツ人たちがまるで外国にでもやってきたかのように、物を買う前に小銭を手の上に広げてじっと眺め、金額を確認している。まだドイツに十二年間しか暮らしていない私ですら、マルクに慣れ切っているため、ユーロによる金銭感覚がなかなか身に付かない。だがよく見てみると、ユーロの硬貨は他の欧州諸国の通貨よりも、マルクに最も似ている。マルク硬貨の色は金額の大きい順に白銀色、黄銅色、赤銅色になっていたのだが、一ユーロと二ユーロに二種類の金属が使われていることを除けば、ユーロもほぼこの順番である。最も価値が小さい一セントは、一ペニヒ硬貨にそっくりである。ドイツ政府もEUも絶対に公式には認めないだろうが、少なくとも硬貨の色はドイツ市民に馴染みやすい色になっている。欧州中央銀行をドイツ連邦銀行のあるフランクフルトに設置し、連銀同様に政治からの独立性を確保したのと同様に、ユーロ導入の細部にはドイツの筆の痕が色濃く感じられる。

例えば、ユーロ導入に最も積極的なのはドイツの政治家たちだったが、統一通貨から最も大きな利益を得るのもドイツである。製造業界の労働者の二人に一人が輸出に依存し、しかも輸出の六割がEU諸国向けである貿易立国ドイツにとって、一つの通貨を持った巨大市場が誕生することは、経済的に大きな利点である。マルク高によって製品の価格競争力が低下する事態も、少なくともユーロ圏内では避けられる。さらに欧州通貨市場でのマルクの主導的な地位に対し、フランスなど周辺諸国が抱いていた反感も、マルクの消滅によって解消された。九二年にドイツ財務省で通貨統合問題を担当していたG・グロッシェ課長(当時)は私の取材にこう答えている。「マルクが欧州の通貨体制を牛耳り続けることを、他の欧州諸国が長期にわたって容認するとは考えられない。したがって、今の安定性を持続するには、マルクを発展的に解消して新しいシステムを作ることが必要なのだ」。グロッシェは「転石苔を生ぜず」という諺を引き合いに出して、ドイツ政府はマルクの主導的な立場に安住することの危険を認識していたからこそ、マルクをヨーロッパに輸出したという見方を強調した。

ところでEUの委員長だったJ・ドロールが「神を信じないドイツ人はいるが、ドイツ連邦銀行を信じないドイツ人はいない」と言ったように、この国の市民がマルクに寄せる信頼感には、信仰にも似たものがある。敗戦による虚無から出発した彼らにとって、マルクは生活水準の向上、奇跡の経済復興など、善なる物と前向きの変化を体現する「通貨宗教」の対象だった。フランスの哲学者A・グリュックスマンの「もう一度ヒトラーが来るよりは、マルクの方がましだ」という言葉に現われているように、周辺の国々もこの通貨宗教を黙認した。だがドイツは復興のシンボルであるマルクを守り神としている限り、戦後の影を引きずっていたと言うべきであろう。つまりドイツはマルクを捨ててユーロを導入することによって、自国通貨に精神的な拠り所を求める生き方を卒業し、真の意味で「戦後」に終止符を打ったのである。

ところでドイツの戦後が終わったことは、国際的な軍事貢献という側面でもはっきり現われている。この国が対テロリズム戦争やアフガニスタンでの平和維持活動に関して、英国を除けば、欧州諸国の中で最も積極的に貢献しているのは、その一例である。シュレーダー首相は、同時多発テロの翌日には早くも連邦議会で、「ブッシュ大統領に無制限の連帯を約束した」と言明している。

具体的には特殊部隊や対生物・化学戦部隊など三九00人の将兵を米軍の対テロ作戦に参加させることを決定し、すでにフリゲート艦など六隻の艦艇を、ソマリア沖などでの哨戒活動のために出動させている。ドイツ軍がこれだけの数の艦艇を国外へ派遣するのは、第二次世界大戦以来初めてのことである。さらに、タリバン政権崩壊後のアフガニスタンでの平和維持活動にも、一二00人の兵士を派遣する。だがこの任務は危険と不透明性に満ちている。国際治安援助軍(ISAF)の指揮は現在英国が執っているが、英軍はアフガン人の英国への反感に配慮して、四月末までしか駐留しない方針を明らかにしており、その後はどの国が指揮を執るか決まっていない。さらにドイツ軍は長距離飛行の可能な大型輸送機を持っていないため、空輸について他国に依存しなくてはならないほか、武装解除が行われていない地域での平和維持任務に不可欠な、戦車などの兵器を輸送できない。

こうした悪条件にもかかわらず、シュレーダー首相は、「ナチスの犯罪という過去の出来事を隠れ蓑にして、同盟国に対する責任から逃げるわけにはいかない」として、派兵に積極的である。「ドイツが国際的な軍事作戦で補助的な役割しか担えないという時代は、今や完全に終わった。ドイツには戦闘行動を伴う作戦にも参加するという新しい責任がある」。実際、コール政権が湾岸戦争への派兵を拒んだ十二年前に比べると、同じ国とは思えないほどの変わり様である。ドイツ軍はコソボ危機で戦後初めてNATO諸国とともに他国への空爆に参加した他、ボスニア、コソボ、マケドニアで平和維持活動を行っている。

ナチスの問題が重く肩にのしかかっている前の世代とは異なり、シュレーダーのフットワークは軽い。彼は、対テロ戦争を積極的に支援することが、二一世紀の対米関係にとってプラスとなり、ドイツの国益にかなうと考えたからこそ、世界貿易センター崩壊の翌日には、高々と旗を掲げた。その意味で、国外派兵に慎重な姿勢を崩さなかった戦中派のコールと戦後派のシュレーダーの間には、太い境界線が引かれている。

ユーロ導入と対テロ戦争への積極的な貢献によって、「戦後」にはっきりと別れを告げたドイツは、欧州政治の中での立場を強めていくだろう。ユーロ導入をめぐって英国が足踏みを続けていることで、その傾向に拍車がかかることが予想される。

勿論ドイツの前途は平坦ではない。特にユーロは待ったなしの経済構造改革を迫っている。今年一月には失業者数が四00万人を超えた他、昨年には財政赤字が国内総生産に占める比率が二・六%と、EU加盟国の中で最悪の数字を記録した。これは、通貨同盟に参加するための「当選ライン」である三%すれすれの水準である。経済成長率も0・六%に落ち込み、EU経済の機関車役どころか、全体の足を引っ張る存在になってしまった。勿論シュレーダーは手を拱いていたわけではなく、税制・年金改革によって、長期的にドイツ経済の構造改革を行うための布石は打っている。

政府が国民のために社会保障の手厚い安全ネットを張る、「社会的市場経済」に、国民のリスク負担を増やし、政府の負担を減らす「第三の道」の発想を持ちこむ試みはすでに始まっている。もっとも、この改革によって、企業の法人税や社会保障費用について負担削減の効果が現われ、国際競争力が改善されるのは、まだ数年先のことである。したがって、シュレーダーが短期的な経済政策の失敗を理由に、今年秋の連邦議会選挙で、首相の座から追われる可能性も皆無とは言えない。だがこの国の財政状況を考えれば、誰が首相になっても、ドイツ経済に米英型経済の息吹を持ちこむ努力を続けざるを得ない。民間経済はユーロ導入によって価格や効率性をめぐる競争が一段と激しくなることに備えて、すでに本格的なリストラを始めている。

例えばドイツ銀行など大手四行は、去年末に三万人を超える、従業員数の大幅削減を発表している。以前は「十年間同じ会社に勤めれば、クビになることはほとんどない」という不文律があったが、今では数十年働いた社員でも退職を迫られることも珍しくない。十年前にはほとんど語られることのなかった「株主価値の増進」など米国流の経営哲学が、急速に浸透しつつある。多くの大企業では、労働時間の制限に違反するサービス残業がしばしば行われている。この国の様々な規制や高い税金、社会保障費用は、米英型経済にとっては時代遅れなのである。ドイツ経済がいま味わっているのは、これらの足枷を減らすための構造改革に伴う、産みの苦しみに他ならない。

欧州では比較的歴史の浅いドイツは、「ヨーロッパ大陸の中の米国」だと私は常々思っている。米国のような純粋資本主義の国になることはないだろうが、米国経済の強さを取り入れようとするドイツ人の努力に、ユーロ導入が拍車をかけることだけは間違いない。この国が米英型経済の要素を増やすことに成功すれば、ユーロ圏の機関車役の地位に返り咲く可能性もある。世に出たばかりのユーロ紙幣や硬貨は、まだ人々の手垢に汚れておらず光沢すら放っているため、なんとなく現実の貨幣らしからぬ印象を与えるが、実はドイツを戦後半世紀にわたる経済と政治の桎梏から解き放ち、「普通の国」として復権させる重要な触媒としての役割を担っているのだ。