60年を迎えたドイツ基本法
Bundesinnenminister Wolfgang Schaeuble
?Vor 60 Jahren haben wir uns unter dem Grundgesetz
versammelt. Es war ein Neubeginn nach den
Bruchen und Verheerungen der ersten Haelfte
des 20. Jahrhunderts. (中略) Die neue Rechts- und Werteordnung ermoeglichte,
die Hinterlassenschaften einer im monarchischen
Prinzip erstarrten, verspaeteten Nation,
vor allem aber den wertezersetzenden und
staatsverbrecherischen Totalitarismus der
NS-Diktatur zu bewaeltigen.“
ヴォルフガング・ショイブレ連邦内務大臣の論文から抜粋
「60年前に我々は基本法の下に集まりました。それは、20世紀前半の挫折と荒廃からの新たな出発でした。(中略)
新たな法律と価値の秩序は、君主制の原則のために硬直し発展が遅れた国家の残滓(ざんし)、そしてとりわけ価値を破壊し国家が犯罪者となった、ナチス独裁政権下の全体主義を克服することを可能にしました。」
出典・Frankfurter Allgemeine Zeitung(2009年5月22日付けフランクフルター・アルゲマイネ紙・憲法特集第3ページより)
ドイツ連邦共和国、そしてこの国の憲法である基本法(Grundgesetz)は、今年60歳の誕生日を迎えました。
敗戦から4年後の1949年。爆撃や市街戦の傷痕が深く残るドイツの西部は、まだ米英仏・連合軍の統治下にありました。この年の5月8日に、今日の連邦議会に相当する議員評議会(Parlamentarischer Rat)が基本法について投票を行いました。法案は賛成多数で採択され、5月23日に基本法が発効します。この日、議員評議会の議長で後に初代首相となるコンラート・アデナウアー(Konrad Adenauer)や各州の代表たちは、基本法の発効と新国家の樹立を宣言する文書に署名しました。ドイツ連邦共和国(当時の西ドイツ)が産声を上げた瞬間です。
今年5月には、ベルリンでドイツの建国と基本法の制定60周年を祝う式典が行われたほか、多くの日刊紙や雑誌が憲法についての特集記事を掲載しました。今日の欧州では、基本法を高く評価する意見が主流です。冒頭にご紹介した論文の中で、ショイブレ内務大臣は「西ドイツが社会としての結束を維持する上で、さらに東西ドイツの統一をすみやかに完遂する上で、基本法は重要な役割を果たした」と指摘しています。また欧州裁判所のヴァシリオス・スクーリス長官も「柔軟性に富むドイツの基本法は、欧州の統合にとっても模範となるべき憲法だ」とほめたたえました。
ショイブレ氏が述べているように、基本法にはナチスドイツの暴力支配に対する深い反省がこめられています。そのことは、基本的な権利に関する条文に現れています。
Artikel 1 (1) Die Wuerde des Menschen ist
untastbar. Sie zu beachten und zu schuetzen
ist Verpflichtung aller staatlichen Gewalt.
(第1条・第1項 人間の尊厳は不可侵である。人間の尊厳を重んじ、守ることは全ての国家権力の義務である。)
この言葉には、ナチスが多数のユダヤ人を強制収容所で虐殺したり、他国民を弾圧したりしたことに対する、戦後ドイツ政府の強い批判がこめられているのです。
また第3項は性別、人種、言語、出身、信仰、政治思想などによる差別を禁止しています。これも、ナチスがユダヤ人やシンティ・ロマなどを人種や宗教的な理由で差別したことに対する反省に基づいています。つまり基本法は、戦後ドイツが「ナチスによる惨劇を絶対に繰り返さない」と宣言した決意表明でもあるのです。
21世紀に入ってから欧州連合(EU)が一時導入を試みた「欧州憲法」でも、「人間の尊厳を重視する」というドイツ憲法の精神が生かされているのを見て、私は興味深く思いました。
また基本法を60年前に起草した人々は、すでに欧州統合への道を準備していました。第24条がそのことを明確に示しています。「連邦政府は、主権を国際機関に移譲できる。欧州の平和的、永続的な秩序を確保するためには、集団安全保障の枠組みに参加したり、国家主権の制限に同意したりすることができる」。敗戦直後のドイツ人たちは半世紀以上も前に、ドイツを国際的な組織の一員にすることを重視していたのです。ドイツがEUの主要メンバーとなった今、その理想はみごとに現実化したといえるでしょう。
読者の皆さんの中には、なぜドイツが日本や米国のように憲法(Verfassung)という言葉を使わずに、基本法という言葉を使うのか、不思議に思われた方もいるでしょう。その理由は1949年に西ドイツ人たちがこの憲法を、東西ドイツが統一されるまでの「過渡期の憲法」とみなしたからです。当時欧州では、米ソ対立の兆しが現れており、ソ連の影響下にあったドイツ東部の市民たちは、この憲法の策定に加わることができませんでした。つまり「基本法」という言葉そのものが、ドイツの分断という厳しい現実を表わしているのです。
1949年に起草された基本法の前文には、次のような言葉があります。「ドイツ西部の州の国民は、起草に参加できなかった人々(筆者注・ドイツ東部の国民のこと)をも代表して基本法を作った。全てのドイツ人は、自由な決定によってドイツの統一と自由を達成するよう努力しなくてはならない」
私は末尾の言葉 ?Das gesamte deutsche Volk bleibt aufgefordert,
in freier Selbstbestimmung die Einheit und
Freiheit Deutschlands zu vollenden.“を読むたびに、1990年に完遂された東西ドイツ統一が、正に国民の悲願だったことを強く感じます。そして41年後にその願いが現実となったことを嬉しく思います。
もちろん統一が達成されてから、この前文は変更されました。しかしドイツ政府は過渡期が終わった今も、「基本法」という言葉を使い続けています。多くの市民が慣れ親しんだ言葉を変更する必要はないということでしょう。欧州を連邦に近づける構想は、今のところフランスやアイルランドの国民の反対で暗礁に乗り上げています。しかし何十年も先に、欧州諸国が連邦になって一つの憲法を持つ可能性は、皆無ではありません。その時こそ基本法は任務を終えて憲法という言葉になるのかもしれません。基本法はこれからも、ドイツの政治、経済、社会の基礎を形作るという重要な役割を担い続けるでしょう。
NHK ドイツ語テレビ会話