NHK出版 2009年8月1日
オペル救済をめぐる論争
Der SPD-Kanzlerkandidat und Vizekanzler Frank-Walter
Steinmeier
Sieger sind die Beschaeftigten bei Opel.
Darum ging es doch: Eine tragfaehige Perspektive
fuer das Unternehmen, fuer die Arbeitnehmer,
fuer ihre Familien. Fuer sie sind endlich
Wochen und Monate der Verunsicherung vorbei.
Wir haben jetzt ein zukunftsfaehiges Konzept,
einen engagierten Investor und eine Einigung
mit der amerikanischen Seite. Dafuer habe
ich in den letzten Tagen und Wochen intensiv
gearbeitet und immer wieder mit den Beteiligten
gesprochen. Ich bin sehr, sehr froh, dass
wir den Knoten jetzt endlich durchschlagen
haben.“ (31. Mai 2009)
社会民主党の連邦首相候補・フランク・ヴァルター・シュタインマイヤー副首相(2009年5月当時の肩書)が、オペル救済に関する合意が成立した直後に行った発言。
「(今回の合意の)勝利者は、オペルの従業員たちです。最も重要なことは、企業、社員、その家族にとって確実な見通しを与えることでした。彼らにとって、不安に満ちた時期は終わりました。今やわれわれは、将来への希望につながる計画、真剣な投資家、そして米国側との合意を獲得しました。私は目標を達成するためにここ数週間必死で働き、関係者と話し合いを繰り返してきました。(合意を妨げていた)問題点を排除することができて、本当に嬉しく思っています」。(2009年5月31日)
出典・Internetseite der SPD 社会民主党のホームページ
今年5月30日、「倒産の危機に瀕していた自動車メーカー、オペルが救われた」というニュースがドイツ全土をかけめぐりました。当時大連立政権を率いていたメルケル首相、シュタインマイヤー副首相(外務大臣も兼務)、シュタインブリュック財務大臣らは連日深夜まで協議を行い、オペル破綻の一歩手前で救済策をまとめ上げることに成功したのです。
オペルは米国最大の自動車メーカー、ジェネラル・モーターズ(GM)の子会社でしたが、当時GMの破綻が目前に迫っていました。政府首脳はその前にオペルの救済計画を作り上げなくてはならず、正に時間との戦いでした。シュタインマイヤー氏の言葉には、ぎりぎりの所で難関を突破したことへの喜びが感じられます。
この時に政府がオペルの長期的な買収企業として白羽の矢を立てたのは、カナダの大手自動車部品メーカー・マグナでした。同社はとりあえず株式の20%を取得します。さらにロシアの銀行スベールバンクとGMが株式の35%をそれぞれ保有し、残りはオペルの従業員が持つことになっていました。
イタリアの自動車メーカー、フィアットも買い手として名乗りを上げていましたが、ドイツ政府は「マグナの計画の方が、リストラの過程で削減する従業員数がフィアットよりも少ない」としてこのカナダ企業に軍配を上げました。
しかしこの救済計画は、政府と国民に大きな重荷となります。連邦政府と州政府はまず15億ユーロ(約1950億円)のつなぎ融資と、少なくとも45億ユーロ(約5850億円)もの連帯保証を迫られるからです。これに対し、マグナとスベールバンクが投じる自己資本は、7億ユーロ(約910億円)にすぎません。このためグッテンベルク経済大臣は深夜の会議の席上でこの救済案について「国民に過重な負担をかけるリスクが大きい」として反対し、辞任も匂わせましたがメルケル氏に慰留されるという一幕もありました。
車に対する需要に比べて生産能力がだぶついていたため、オペルの業績は金融危機が深刻になる前からすでに悪くなっていました。このためグッテンベルク氏は、民間企業の負担よりも政府の負担が大きくなる救済計画について不満だったのです。(ちなみに、夏に入って米国の投資会社がマグナよりも条件の良い再建計画を提示したため、この原稿を書いている7月末の時点では、最終的な買収会社について再び交渉が行われています。このためマグナ以外の会社がオペルの大株主になる可能性もあります)
GMが破綻する直前、当時のメルケル政権は、政府にとって不利な条件にもかかわらず、なぜオペルを救ったのでしょうか。1862年に創業された老舗オペルは、ドイツ市民に最もなじみが深い自動車メーカーの一つです。Ruesselsheim(リュッセルハイム) の本社のほか、Bochum(ボーフム)、Kaiserslautern(カイザースラウテルン)、Eisenach(アイゼナハ)の工場で2万5000人あまりが働いています。
同社のマーケットシェアは90年代から減り始めていましたが、去年秋に金融危機(Finanzkrise)が本格化し車への需要が急激に冷え込んでからは、オペルは売上高の減少に苦しんできました。欧州自動車工業会によりますと、今年の第1・四半期のオペルの新車販売台数は、欧州全体で前年の同じ時期に比べて24・8%も減っています。
親会社のGMは6月1日に連邦破産法の適用を申請し、一時的に破綻しました。もしもドイツ政府がその直前に救済策をまとめ上げていなかったら、オペルも同じ道をたどっていたはずです。同社の倒産によって多数の労働者が失業したら、当時の大連立政権に対して強い批判の声が上がったでしょう。メルケル氏やシュタインマイヤー氏としては、オペル倒産が自動車産業で働く有権者を失望させ、9月末の連邦議会選挙(Bundestagswahl)に悪い影響を与えることを恐れたのです。
自動車産業は、ドイツ経済にとって最も重要な業種の一つです。この国の就業者の7人に1人が、少なくとも間接的に自動車に関連のある産業で働いています。
ドイツ政府は初めのうち公的資金による救済の対象を金融機関に限っていました。当時国民の間では、「金融危機の原因となった銀行は救われるのに、メーカーなど他の業種は見殺しにするのか」という批判の声が上がっていました。その意味でオペル救済には、「政府はドイツ経済の根幹である自動車産業を見捨てない」というメッセージがこめられているのです。
オペルが救済されて以降は、同じように公的支援を求める声が他の業種からも上がっています。たとえば業績悪化のために苦しんでいたデパート経営会社・アルカンドア(Arcandor)もその一つです。しかしドイツ政府は首を縦に振らず、同社は6月9日に会社更生法の適用を申請しました。このため同社の傘下にあったデパートのカールシュタット(Karstadt) や通信販売会社クヴェレ(Quelle)も破綻したのです。
ドイツ政府は、あらゆる企業を助けるというわけにはいきません。この国の財政状態は文字通り火の車だからです。財務省の予測によりますと、連邦政府の財政赤字は今年度476億ユーロ(約6兆1880億円)、来年度には861億ユーロ(約11兆1930億円)にふくらみます。これは戦後最高の財政赤字です。ドイツ政府は過剰な借金によって、景気を刺激したり企業を救済したりすることには本来慎重です。しかし今回は戦後例のない不況に襲われているために、やむをえず天文学的な額の赤字を認めることになりました。
財政状態が逼迫する中、これからもドイツ人たちは「どの企業を救うのか」という難しい問いに直面し続けるでしょう。不況の暗雲がドイツだけでなく、世界中の人々の頭上から一刻も早く去ることを望みます。 (イラストも筆者)