ドイツの学校は再生できるか?
今月の言葉・Schulmisere(学校の荒廃)
今年3月、ベルリンの新聞が掲載した1通の手紙は、全国の教師や政治家、子どもを持つ人々に強い衝撃を与えました。ベルリンでも外国人の比率が高い、ノイケルン(Neukolln)地区のリュトリ基幹学校(Hauptschule)の先生たちが、市の文部当局にあてた手紙です。先生たちはこの手紙の中で、「生徒が授業中に教師に物を投げつけたり、教師の言うことを全く無視したりするので、正常な授業は全く不可能になっています」と教育現場のすさんだ実態を報告した上で、長期的には基幹学校という形の学校を廃止して、他の学校と統合するよう求めました。この手紙によると生徒たちは、ゴミ箱をボール代わりに使ってサッカーをしたり、教室の扉を蹴破ったり、爆竹を鳴らしたりするなど、乱暴狼藉の限りを尽くしています。
先生たちは、「生徒に襲われた時に外部に連絡が取れるように、授業に行く時には必ず携帯電話を持っていく教師もいます。ストレスのために健康を害して欠勤する教師も多く、他の学校に転勤したくても、この学校で働こうという教師が見つからないので、転勤できません」と述べ、事実上生徒たちの暴力の前に、白旗を掲げているのです。
驚いたベルリン市当局が、警察官を学校に派遣して、登校する生徒たちが凶器を持っていないか調べさせたり、パトロールをさせたりするという、アメリカの問題校並みの異常な事態になりました。この学校では、生徒の83%がトルコ系、アラブ系など外国人の子どもたちで、多くの両親が失業しています。先生たちは「社会からも、両親からも将来への希望を与えてもらえない子どもたちを、基幹学校に集めることに意味はあるでしょうか?」と絶望的な問いを発しています。
もちろんドイツのほとんどの学校では、正常に授業が行われており、リュトリ基幹学校のように極端な例は、一部にすぎません。しかし教師が生徒の暴力に降参し、文部当局に助けを求めたのは、この国で初めてのことです。
ドイツでは、この手紙がきっかけとなって、一部の学校で教育荒廃(Schulmisere)が起きている原因について、教育関係者や政治家の間で、激しい議論が行われています。
教育の荒廃といえば、2000年にOECD(経済協力開発機構)が行ったPISA(国際学生評価プログラム)の結果も、ドイツの教育関係者や両親たちに、ショックを与えました。このテストは、32か国で、15歳の生徒26万5000人の学力を比べたものです。その結果、ドイツの生徒の学力は、読解能力で21位から25位、数学で20位から22位、自然科学で19位から23位と、平均を大幅に下回ることがわかったのです。2003年の調査では若干改善しましたが、上位を占めるフィンランド、日本、韓国の足元にも及びません。
この惨憺たる成績の原因は何でしょうか。ドイツでは、生徒1人当たりの教育投資額が、OECD平均を下回っている上、小学校での教師1人に対する生徒の数も24人と、OECD平均の14人を大幅に上回っています。授業ではあまり競争が重視されず、夏休みには全く宿題が出ません。
また10歳という早い段階で、将来高等教育を受けるかどうかなどの進路を決めなくてはならないという、ドイツ独特の仕組みの問題点も、指摘されています。両親が裕福で、知識水準が高い家庭の子どもは、ギムナジウムに進む傾向があります。しかし教育を重視しない家庭の子どもは、基幹学校、実科学校(Realschule)など、教育水準が相対的に低い学校に進む傾向が強く、大学に進学する可能性は低いのです。10歳で人生の進む道が決まってしまい、「敗者復活戦」の道もほとんどないというのは、子どもにとって、いささか厳しすぎるのではないでしょうか。ドイツ人の間でも、10歳で進路の決定を迫られる、今の制度は、社会階層を固定化してしまうという批判的な声が上がり始めています。
さて、学校の荒廃をめぐる論争は、外国人のドイツ人社会への融合(Integration)についての議論にも発展しつつあります。バイエルンに地盤を持つキリスト教社会同盟(CSU)など、保守派に属する政治家たちは、外国人の比率が高い学校で、教育の荒廃が起きているのは、「一部の移民がドイツ語を学ぼうとせず、この国の社会に積極的に溶け込もうとしないことが原因だ」と主張しています。「ドイツの言語や価値を受け入れたくない外国人は、国へ帰れ」と極端な発言をする政治家もいます。
1960年代から1970年代の高度経済成長期に、西ドイツは労働力の不足を補うために、トルコなどから多数の労働移民(Gastarbeiter)を受け入れました。政府は、彼らが家族を呼び寄せることも許可したため、ルール工業地帯やベルリンには、トルコ人の大コミュニティーが出来上がりました。そこでは、トルコ語だけで十分暮らすことができたために、10年以上住んでいても、あまりドイツ語が上達しないというケースも現われてしまったのです。当時の西ドイツ社会では、労働力には関心がありましたが、外国人の社会への融合を現在ほど重視してきませんでした。そうした移民の子どもたちが、いまリュトリ基幹学校などで、問題を起こしているのです。
つまり、学校の荒廃の原因は、ドイツ人と外国人の双方にあると言えます。教育水準の低下は、この国の競争力(Wettbewerbsfahigkeit)にも、悪影響を及ぼしかねません。メルケル政権は、この困難な課題にどう取り組むのでしょうか。
NHKドイツ語会話テキスト 2006年7月