中央公論 2001年3月号掲載

2010年「欧州連邦」実現へ                    熊谷 徹

 明治維新以来、日本は近代国家を建設する過程で、列強に対抗するために外国の工業技術、科学、法律体系などを積極的に学び、導入してきた。その際に幕末から明治初期の政治家や知識人たちは、米国と並んで欧州諸国を先達と見なした。

 欧州を好むと好まざるとにかかわらず、わが国のエリ−トにとって、欧州が二000年近い歳月をかけて生んだ学問体系、思想、芸術と取り組むことは、避けて通ることができない道だった。一九世紀後半以降、日本が近代国家の仲間入りをする過程で、欧州から受けた影響は、決して小さいとは言えない。

 ところが、第二次世界大戦以降、日本にとって欧州は急速に重要性を失っていった。その地位は、日本の占領軍であり、安全保障の提供者であり、西側陣営の盟主である米国に完全にとって代わられたのである。

 日本にとって欧州が重要性を失ったことは、欧州が二度の大戦によって自らを深く傷つけた結果、米国とソ連という欧州外からの二つの超大国によって、運命を左右されるようになったことと無縁ではない。欧州は、世界政治の表舞台で主役の座を失ったのである。 欧州大戦とホロコ−ストは、優秀な人材の米国への流出にも拍車をかけた。今日でもIT、遺伝子工学など先端技術の多くの分野で、世界を制しているのは米国である。日本人の欧州への知的関心も、森鴎外や夏目漱石の時代と比べることができないほど、衰えている。経営学や医学、ハイテクの勉強をしたいと思う日本の学生が目指すのは、やはり欧州ではなく米国だろう。日本人の渡航者数、居住者数でも、欧州は米国の足元にも及ばない。 

 今日の欧州は、多くの日本人にとって、製品を売るためのマ−ケット、もしくは美術館かオペラ劇場を訪ねて、過去の遺産を愛でるための観光地にすぎなくなっているようにすら見える。

 しかしいま欧州では、こうした従来の見方ではとらえにくい変化が起きつつある。私は一九九0年以来、ドイツに住んで欧州の動向を観察しているのだが、この一0年間の変化の大きさには驚かされる。しかしその変化は派手な動きに欠けるため、日々のニュ−スに追われる日本の新聞社やテレビ局には取り上げにくいテ−マであり、わが国ではきちんと報道されていない。 

 だが、二一世紀の初めにあたって、我々日本人にとって、一五0年前の先達だった欧州が、長期的に何をめざしているのかを知ることは重要なのではないか。私は過去一0年間の取材の結果、欧州が二一世紀、特に次の一0年間に大きな変化を遂げ、単に経済だけではなく国際政治の分野でも比重を高めると予想している。いやひょっとすると、我々が知らない内に欧州は一つの「国家」になっているかもしれないのだ。

*経済優先から政治統合へ

ヨ−ロッパ統合の初めの段階では、その母胎が欧州石炭鉄鋼共同体、そしてEEC(欧州経済共同体)と呼ばれたように、経済問題に力点が置かれてきた。その最大の理由は、戦争の記憶である。欧州諸国の政治家たちは、ナチスの暴虐による傷痕が癒えていない五0年代に、かつての不倶戴天の敵と協力するには、まず政治や文化を絡ませずに、経済的な利益を追求するのが、手っ取り早いと考えたのである。この「経済優先主義」は、過去半世紀の間に一定の効果を上げ、欧州諸国は金融・サ−ビス業など様々な分野で国家の垣根をなくして、単一市場を作った。さらに九九年には通貨同盟を創設し、単一通貨ユ−ロを導入するまでに至った。

 しかし、ヨ−ロッパ人たちは九0年代に入って、何かが足りないことに気づいた。とりあえず手をつけやすい経済統合に精力を集中させてきた結果、政治面での統合がおいてきぼりを食ったのである。終戦直後には腫れ物に触れるようにしてきた政治統合について、議論を深めるための条件も、今日では整いつつある。西欧諸国は、自分の周りに友好国しか持たず、隣国との間で戦争に巻き込まれる危険がゼロになるという、二千年の歴史の中でも稀な状態に立ち至ったからである。このため彼らは経済のみの統合から抜け出して、本格的な政治統合、つまり「準国家」の創設への道を歩みつつある。

 

*なぜ拡大が必要なのか

 同時にヨ−ロッパの新しい動きは、欧州連合(EU)の拡大と改革に強く表れている。今日のEUは、約半世紀前の創設以来、最大の変化と試練に直面している。その直接の理由は、二一世紀に加盟国の数が、現在のほぼ二倍に増えることである。現在EUに入ることを希望しているのは、一三か国。早ければ二00三年から二00五年には、ポ−ランドやチェコなどがゴ−ルインする可能性がある。全ての候補国が加盟すれば、約五億人の人口を持つ共同体が誕生するのだ。

 だが、EUの拡大は同時に深刻なリスクをもはらんでいる。現在のEUの制度は、加盟国が六ヶ国だった創設当時の物であるため、メンバ−の数が三0近くに増えた場合、機能麻痺に陥ることは火を見るよりも明らかだ。つまり、EUは現在の二倍の大所帯に成長した時に、身動きがとれなくなるのを防ぐためには、自らを大胆に改革しなくてはならないのだ。欧州統合に関する交渉に携わっているドイツ大蔵省の幹部が、「ヨ−ロッパ統合は、史上最大のリストラだ」と形容するのを聞いたことがあるが、けだし至言である。 

 さらに、EU拡大は巨額の費用を伴う。たとえば、ポ−ランドやチェコなど十か国の環境汚染を西欧と同じ水準に引き下げるためには、今後二0年間で二000億マルク(約一0兆円)の投資が、また交通網の整備にも今後一五年間で一八00億マルク(約九兆円)の投資が必要になる。その大半は、現在の加盟国が負担しなくてはならない。

 また、ドイツやオ−ストリアなど現在EUの東端にある国の市民の間には、「中欧・東欧の国々がEUに加盟した場合、安い労働力が流れ込み、失業率を悪化させるのではないか」という不安も出ている。オ−ストリアのハイダ−率いる右派政党・自由党が、連立政権への参加に成功した背景の一つにも、EU拡大への国民の不安感がある。

 読者の皆さんの中には、「なぜEUはこれだけの費用をかけ、危険を冒してまで拡大を実施しなくてはならないのか」と不思議に思われる方もあるだろう。だが、ヨ−ロッパがヨ−ロッパであり続けるためには、EUは拡大せざるを得ないのだ。

 現在EUへの加盟を希望している国のほとんどは、冷戦時代にソ連の影響下にあった。フランスの外相を務め、EU創設の父の一人として知られるR・シュ−マンは、六三年にこう語っている。「我々が統合ヨ−ロッパを建設するのは、単に西欧の国民のためだけではない。東欧の国民が軛(くびき)から解放された時に、彼らを受け入れられるように、我々は準備を整えなくてはならない」。

 つまり鉄のカ−テンが崩壊して、桎梏から解放された中欧・東欧諸国をEUが受け入れることを拒否するとしたら、西欧諸国はEU創設時の基本理念を裏切ることになる。東欧諸国の加盟なしには、ヨ−ロッパは未完のままなのである。

*「悪魔は細部にひそむ」

 このEU拡大計画の中で、重要な里程標となったのが、二000年一二月にニ−スで開かれた欧州連合(EU)の首脳会議である。この会議の最大の焦点は、加盟国数の増加に備えてEUの機構を改革することだった。欧米には「悪魔は細部にひそんでいる」という警句がある。ニ−ス会議で各国首脳は、EUが拡大によって機能不全に陥ることを防ぐために、細部の悪魔を取り除こうとしたのである。ニース・サミットは、大国同士、また大国と小国の間で利害関係が鋭く対立して意見の調整が難航したため、EUの歴史で最も長い首脳会議となった。このことは、各国が二一世紀の欧州における力関係を左右する会議として、この会議をいかに重視していたかを示している。

 まず焦点となったのが、多数決制度の拡大である。これまでEUの最高決定機関である理事会での議決では、加盟国が六カ国だった時の名残で、貿易、外交など重要な議題については、全会一致で決定することが原則だった。しかし加盟国が三0近くになったら、全ての国の賛成を取りつけるのは至難の業である。このため、加盟国の間から「多数決で決める分野を増やすべきだ」という要望が高まっていたのである。あるドイツの外交官は、「全会一致の原則では、どの国でも議決を妨害できるので、小国が拒否権をちらつかせて、大国を“脅迫”する恐れもある。多数決制度が拡大されなければ、EUは荒廃する」と語り、EUの「国連化」を危惧していた。ドイツの思惑通り、ニース会議で各国首脳は、貿易など重要な分野について、例外規定を設けながらも基本的には多数決制度を拡大することで合意した。

 また、理事会での票の配分法の是正についても、激論が交わされた。これまでEUでは、議決の際に人口の少ない小国が大国に比べて不利にならないように、小国に対しては、EUでの総人口に占める人口比率を上回る割合の票が与えられていた。だがEU拡大後は、小国の数が増えるために、現在の票の割り当て方では、逆に大国が不利になってしまう。

 例えばドイツの票の数は一0票だが、現在の配分法のままでは、EU拡大後に、人口の合計がほぼドイツと同数の一七の小国が、五七票を持つことになる。つまり、ドイツ国民は同じ人口の他国民に比べて、票の数が大幅に少なくなるという不公平が生じるわけだ。このためニース会議では、ドイツやフランス、英国などの票数を三0票に増やすとともに、多数決で賛成する国の人口が、EUの人口の六二%を超えなければならないという規定が導入された。

 これらの改革は一見、技術的な細部と思われるが、EUが新しい加盟国を受け入れた後も、行動能力を失わないためには、欠かすことができない基盤である。その意味で、欧州諸国は、ニ−スでの合意によって、EU拡大の実現と機動性の確保に向けて大きく近づいたのである。

 

*欧州連邦をめざして

 さてEU拡大と並んで、現在ヨ−ロッパでは「21世紀のEUは、究極点まで統合を進めた時に、どのような姿になるのか」という問題について活発な議論が行われている。

 この議論に火をつけたのが、ドイツのJ・フィッシャ−外務大臣が、二000年五月一二日にフンボルト大学で行った演説である。フィッシャ−外相はこの演説の中で、EU統合の究極の姿として、ヨ−ロッパが事実上一つの国を作ることを提案した。彼は「EUが直面している様々な問題の解決法は、一つしかない。それは、欧州各国が憲法条約を結び、欧州政府と議会を核とする連邦を形成することだ。ヨ−ロッパは、大胆な決断をしなくては、経済・政治におけるグロ−バルな競争に生き残ることはできない。古い方法論では、二一世紀の課題を解決することは不可能だ」と述べ、発想の転換を求めている。

 具体的にフィッシャ−は、まず立法府の改革と強化を提案する。現在の欧州議会はまだ権限が弱く存在感が薄いため、市民の間で自国の議会ほど、強く意識されていないからだ。具体的には、欧州議会を二院制にして、下院には、各国の議会から議員を送り込む。つまり加盟国の議員が、欧州議会の議員を兼ねることによって、欧州連邦と各国の利害が対立することを避けようというわけだ。

 上院についてフィッシャ−は、米国のように有権者が議員を直接選ぶか、もしくはドイツの制度を踏襲して、各加盟国の代表を参加させることを提案している。ドイツは一六の州からなる連邦国家だが、議会の上院にあたる参議院は、各州政府の代表によって構成されている。フィッシャ−は、地方分権のモデルとして定着した「ドイツ連邦共和国と州」の関係を、「欧州連邦と加盟国」のレベルに適用できないかと考えているのである。

 私はこの提案を読んだ時に、ドイツが戦後一定の成功を収めてきた自国のモデルを、欧州に「輸出」しようとしている印象を持った。欧州中央銀行がドイツ連邦銀行をモデルに作られ、連銀と同じフランクフルトに置かれたことと合わせて、新しいヨ−ロッパの重要な細部に影響を及ぼすことによって、これまで以上に大きな役割を演じようというドイツの意図を感じさせる。さらにフィッシャ−が、現在の欧州理事会をヨ−ロッパ政府に発展させるだけでなく、米国のように、市民がヨ−ロッパ大統領を直接選ぶ方法まで提案しているのも、興味深い。

 

*「重力の中心」が連邦の核に

 もう一つこの提案の中で見逃せないのは、フィッシャ−が、ヨ−ロッパ連邦が画餅に終わらないように、その形成プロセスを加速しようとしていることだ。彼によると、EUはこれまで統合の最終形態について青写真を描くことなく、経済を中心にして、基本的に全ての加盟国を巻き込みながら、少しずつ統合を進めてきた。EUの生みの親の一人であるフランスの経済企画庁長官J・モネの名前を取って「モネ方式」と呼ばれるこの方法は、加盟国が少なかった五0年代にはうまく機能したが、加盟国が三0近くなる将来のEUには、適用しにくい。 

 そこでフィッシャ−は、全ての加盟国で準備が整うのを待つのではなく、一部の加盟国が連邦を形成できる状態になったら、他の国に先駆けて「先頭集団」として連邦を創設するべきだと主張した。彼の目的は、「EUの中のEU」を作ることではない。そのことは、彼がこの先頭集団を「重力の中心」と命名したことに表れている。彼は、物体が重力によって地球に引き付けられるように、他の国をも先頭集団に加盟するよう促すことを狙っているのである。

 確かに三0近い国すべてが了承するのを待っていたら、連邦の創設は遠い未来の霧のなかに消えてしまうかもしれない。フィッシャ−は、統合の速度に、国の間で差が生じることをあえて認め、一刻も早く連邦形成への母胎を作ろうとしているのだ。EUが、フランスとドイツを中核とした国際機関(欧州石炭鉄鋼共同体)から出発し、他国を次々に加えて成長してきた歴史を考えると、フィッシャ−の「重力の中心」方式も決して非現実的な構想とは言えない。

 さて興味深いことに、ドイツのこの提案に対し、欧州での反響はきわめて好意的だった。例えば、これまで欧州連邦の構想に前向きではなかったフランスのシラク大統領は、フィッシャ−提案を全面的に支持し、「ドイツとフランスが先頭集団を形成し、二00一年には経済政策や防衛政策の調和を図るべきだ」と主張している。また英国のブレア首相も「重力の中心」が他の国を締め出さないものである限り、フィッシャ−提案に異存はないと述べた。英仏のこうした姿勢には、ヨ−ロッパの政治統合を深める重要なプロセスの中で、ドイツだけに主導権を握らせたくないという思惑がある。つい十年前までは、ドイツが外交面でイニシャチブを握ることに対して、英仏が強い警戒感を見せていたことを考えると、この好意的な反応は、驚くべきことである。英仏が、ドイツの提案に反発せず、原則的に了承したことは、統合をめぐるバランス・オブ・パワ−が徐々にドイツ側に傾きつつあることを物語っているのだ。

 またフィッシャ−らが政治統合へ向けてアクセルを踏もうとしているもう一つの理由は、東西対立の終結によって、欧州諸国の統合への熱意が萎えるのを防ぐことである。戦後、欧州諸国が共同体の創設に必死に努力した背景には、結束を固めることによって、社会主義陣営の脅威に対抗すると言う目的があった。 しかし冷戦が終わった今、そうした動機は弱まり、タガが緩む恐れがある。ユーゴ内戦やオーストリアでの右派政党の台頭に見られるように、Renationalizationつまり国際的共同体の一員としてよりも、民族色、国家色が強まる傾向もある。ミッテランとコールが通貨同盟を創設するために、マーストリヒト条約の成立を急いだのも、東西対立の終結がEUの弱体化につながるのを恐れたためと言われている。欧州諸国が国家エゴを丸出しにした場合、ろくな事態にならないことは、歴史が示している。フィッシャーが打ち出したビジョンには、二一世紀にEUの求心力が弱まるのを防ぐと言う「欧州本流派」政治家たちの悲願もこめられているのだ。

 

*アイデンティティーの欠如

ところでヨ−ロッパ連邦の創設を考える上で、避けて通ることができない問題がある。それは、「ヨ−ロッパ人は一つの国を作ることができるほど、共通のアイデンティティ−を持っているのだろうか?」という問いである。

 私は米国で特派員として働いていた時、どの国からの移民も、出身国にかかわらず、米国人としての強いアイデンティティ−を持っていることに気づいた。アメリカ的価値を信ずることは、米国社会で成功するための必要条件であり、アイデンティティ−こそが、多民族国家アメリカの分解を防ぐかすがいになっている。米国の訴訟・法律制度が社会にもたらす多額のコストを、米国人たちが甘受しているのも、自由競争や法の下の平等など、アイデンティティ−に由来する建前を守るために他ならない。

 これに対し欧州には、ヨ−ロッパ人としての強いアイデンティティ−が欠如している。ブリュッセルのEU本部で働く国際公務員や、欧州の多国籍企業の役員などを除けば、自分はヨ−ロッパ人だと考えている人は少ない。庶民の間では、今もドイツ人やギリシャ人といった従来の民族国家に基づくアイデンティティ−の方が、根強いのだ。欧州は米国のような民族のサラダ・ボウルですらなく、むしろ様々な果実が種類ごとに枠で区切られて、並べられた果物店の店先に似ている。

 なぜ欧州では、ヨ−ロッパ人というアイデンティティ−が育たなかったのだろうか。その最大の原因は、冒頭にも触れたように、ナチスによる暴虐の傷痕が生々しい時期には、とてもヨ−ロッパ人の共通性を語る余裕がなかったことである。このため彼らは政治や文化、アイデンティティ−というややこしい問題を後回しにして、最も共通の利益を見出だしやすい経済の分野で、統合を始めた。例えばフランス政府が、五0年代に国内の反対を押し切って、ドイツを巻き込んで欧州統合への第一歩を踏み出すことに成功した裏には、ナショナリズムに満ちた政治家ではなく、ジャン・モネという銀行畑出身の経済官僚を起用したことがある。

 しかし、欧州統合における経済優先主義は、政治・文化の共通性、そしてヨ−ロッパ人としてのアイデンティティ−が不足するという弊害も生んだ。そのことは九0年代に入って、頻繁に指摘されるようになってきた。

 ドイツの経営者団体BDI(ドイツ産業連盟)のL・フォン・ヴァルテンベルグ専務理事は、私の取材に対してこう語っている。

「EUを連邦に発展させるに十分なほど、ヨ−ロッパ人としての意識は国民の間に育っていない。欧州の国民はグロ−バルに考える視点を十分に持っていないので、ヨ−ロッパ人というアイデンティティ−を定義することができないのだ。経済的な統合だけでなく、政治的・文化的なアイデンティティ−を発展させる努力をしなくてはならない。通貨を同じにしても、各国が共通の政策を取らなくては、EUの目的は達成されない」。

 ドイツの連邦憲法裁判所の裁判官だったE・W・ベッケンフェルデ判事も、フランクフルタ−・アルゲマイネ紙に寄せた論文の中で、アイデンティティ−の欠如に警鐘を鳴らす。「EUは、様々な民族や国民を抱えているが、一つのヨ−ロッパ国民が欠けている・・・(中略)マクロ経済的な動機だけを欧州統合の原動力にしていたら、欧州諸国は分裂し、袋小路に陥る。我々は、なぜヨ−ロッパが必要なのかという政治的な討論を行わなくてはならない」。

 つまりヨ−ロッパのアイデンティティ−なしには、欧州統合は成功しないという危機感が強まっているのだ。EU創設の父の一人モネはこのことに気づいていたと見られ、死の直前に「欧州統合をもう一度初めから行うとしたら、何から始めるか」と尋ねられた時に「文化から始める」と答えている。

 

*未来のヨーロッパ憲法

 ではヨ−ロッパのアイデンティティ−とは何か。この問題を解く鍵の一つが、ニ−スの首脳会議で採択された「基本権に関するEU憲章」である。ドイツのヘルツォ−ク元大統領らがEUの委託を受けて起草したこの文書は、EU市民の基本的権利を明文化したもの。憲章という形を取っているが、読んでみると憲法に近く、将来ヨ−ロッパ連邦で憲法が制定される場合、叩き台の一つになるものと見られている。

 自分の属する共同体のアイデンティティ−を強く自覚するのは、異なる民族や国家に触れて、違いを意識した時である。そこでEU憲章を米国や日本の憲法と比べてみたところ、ヨ−ロッパ特有の価値が浮かび上がってきた。そこで前面に押し出されているのは、半世紀前のヨ−ロッパがナチスによる暴虐を防げなかったことに対する悔恨である。

 例えばEU憲章の本文は、「人間の尊厳は不可侵であり、重視され、守られなくてはならない」という一文で始まっているが、これはドイツの憲法の第一条をほぼそのまま持ち込んだものである。この条文には、ナチスがユダヤ人やシンティ・ロマ、精神病患者などの絶滅を図ったことへの反省が込められている。キリスト教的人道主義に裏打ちされていたはずの欧州の精神性が、いともたやすく獣性に踏み躙られてしまったことの苦い教訓である。九九年に欧州諸国がセルビアへの軍事攻撃に踏み切った背景にも、ユ−ゴ政府によるアルバニア系市民への迫害を傍観することは、西欧のアイデンティティ−に反するという判断があった。

 EU憲章が、優生学的に人間を選択する行為、利潤のための臓器売買、人間の生殖を目的とするクロ−ン行為を禁止していることの背景にも、キリスト教的倫理感と同時に戦争中の苦い記憶から、生命を重視するという傾向が認められる。 またEU憲章が第二条で死刑を禁じていることも、日米とは一線を画する。対象が犯罪者とはいえ、国家が市民を殺害する死刑制度を拒否する姿勢には、今日の欧州諸国のアイデンティティ−となるべき思想が反映している。さらにこの憲章が、EU域外で政治的迫害を受けている外国人に、EU加盟国に亡命する権利を認めていることも、ナチスの時代の経験なしには、考えられない。

 この憲章の根幹をなしているのは、「モラルなき権力」による犯罪をしばしば経験してきたヨ−ロッパの、未来の世代への警鐘なのである。つまりヨ−ロッパのアイデンティティ−は、この地域に大きな打撃を与えた戦争と人種政策への反省、それに基づく社会的弱者や、国家による迫害にさらされる外国人への保護の精神に現われていると言える。 

 同じアイデンティティ−を持つには、共通の経験が欠かせない。北欧のノルウェ−からギリシャのクレタ島に至るまで、ヨ−ロッパの人々が広く経験し、今もその精神性に深い影を落としている共通の出来事は、第二次世界大戦である。ヨ−ロッパ人としてのアイデンティティ−が、戦争体験への反動として湧き上がってくる理由は、そこにあるのだ。 欧州諸国が憲法草案ともいうべき文書について合意し、ヨーロッパ人のアイデンティティーを追求し始めていることも、政治統合を深化するための布石と言うことができる。

 

*十年後にも連邦創設?

ところで、欧州の政界・経済界の指導層と、大衆の間には、ヨ−ロッパ統合に関する意識をめぐって、大きな隔たりがある。庶民の大半にとって欧州統合は、日常生活とは関係の薄い出来事である。憲章に見られるヨ−ロッパ人としてのアイデンティティ−は、各国のエリ−トが共有する物であっても、大衆がそれを強く意識することは少ない。ドイツの若い政治家の間ですら、選挙での票集めのために、民族性や地域性を重視する動きが、統一前に比べて目立つようになってきている。

 そう考えると、ヨ−ロッパ人としてのアイデンティティ−が、個々の国民が持っている民族国家へのアイデンティティ−に取って代る可能性は、低いのではないか。私はこの疑問を、ドイツ外務省でEU問題を担当するG・プロイガ−外務次官にぶつけてみた。彼はフィッシャ−外相の懐刀として全幅の信頼を受けており、ヨ−ロッパ連邦創設の提案を作成する際にも、重要な役割を果たしている。ベルリンの執務室で、次官はこう語った。

 「市民の間に不安感があることは否定できない。そこで我々は、フィッシャ−提案の中で、欧州の民族国家を解消して連邦を形成するのではなく、個々の国々の存在を維持しながら、連邦を作るべきだと主張したのだ。国民のアイデンティティ−を確保するために、民族国家は欠かせない。民族国家は、文化的・歴史的・学問上の財産を伝える役割を持っているからだ。この文化と歴史の多様性も、ヨ−ロッパの財産なのである」

 プロイガ−の言葉は、欧州統合を進めるエリ−トたちが、連邦創設を実現するために、理想を追求する段階から現実的な段階に移行しつつあることを示している。彼はドイツの例を引いて言う。「ドイツの知識階層は、ナチスが行った犯罪が原因で、暗い影がまとわりついた自国のアイデンティティ−を、ヨ−ロッパ人としての前向きなアイデンティティ−によって代替できると考えてきた。しかし、それは幻想である。欧州の他の国々もそうであるように、我々ドイツ人も自国のアイデンティティ−を意識しなくてはならない」。 

次官は、ヨ−ロッパ人としてのアイデンティティ−は個々の国家のアイデンティティ−の上に追加的に生じるものであり、民族国家ぬき、もしくは民族国家に対立する形でヨ−ロッパを建設することはできないと説明する。戦後生まれのフィッシャ−は、こうしたドイツの新しい思想を外国に向けて発信するには、格好の人材だったわけだ。

 民族国家と共存する連邦を創設するためには、「連邦と加盟国の間で、主権をどのように分かち合うか」という問題を避けて通ることができない。実際、EUは三年後にこのテ−マについて具体的な協議を始める予定だ。プロイガ−次官は、「連邦の創設が遠い未来のことになるとは限らない」という楽観的な見方をしている。EUでは、現在でもすでに多くの加盟国が、通貨政策のように重要な主権を、EUおよびその関係機関に譲り渡しており、連邦に近い形態を取っているからだ。

「EUはまだ中央政府と欧州軍を持っていないが、我々はすでにその創設へ向けて努力している。この二つがそろい、中央政府と加盟国の間でどう主権を分かち合うかが決まれば、連邦としての要件は整う。全てがうまく運べば、ヨ−ロッパ連邦が十年後に形成される可能性もある」。外務省ナンバ−2の言葉には、強い自信がこめられていた。

 彼らの発想の特徴は、「民族国家を止揚したヨ−ロッパ連邦」という理想主義ではなく、「民族国家と共に生きるヨ−ロッパ連邦」という現実主義である。つまり、まだ市民の間に浸透していない「ヨ−ロッパ人のアイデンティティ−」に基づき、国の枠を超えた議会制民主主義体制をめざしていては、ヨ−ロッパ連邦はいつ完成するかわからない。そこでフィッシャ−らは、すでに存在するドイツや米国の制度をモデルにすることによって、現在の民族国家を否定するのではなく、民族国家を基礎にした連邦の創設を提唱した。

東西対立の終焉によって、ヨーロッパで民族性、地域性を重視する動きが強まっている中、国家の枠を解消する構想よりも、現在の国家の枠を尊重する連邦構想の方が、国民に受け入れられやすいことは、明らかである。その意味で、ヨ−ロッパを一つの国にするという壮大なプロジェクトは、理想論の域を脱して、これまで以上の現実性を帯びたということができる。

 ヨ−ロッパ連邦の創設は、世界大戦と冷戦によって国際的な地位を低下させた欧州が、捲土重来をめざす過程の中で、重要な一ステップである。欧州諸国が経済統合への偏重から脱して、政治統合、そしてヨ−ロッパ人としてのアイデンティティ−の追求に乗り出したことは、彼らが失地回復に向けての道を本格的に歩み始めたことを物語っている。

 連邦創設への道は決して平坦ではないが、国際政治の中での比重を高め、米国に対する発言権を増すという長期的・戦略的な目的を、欧州諸国が諦めることはないだろう。現在欧州で起きている変化のうねりは、米国偏重の視座だけでは、新しいヨ−ロッパ像の誕生を見過ごす恐れがあることを物語っている。二一世紀の我々日本人にとっては、ユ−ロ安などの現象を理由に、欧州統合の短期的な問題だけに目を奪われるのではなく、二0世紀とは違う尺度で、ヨ−ロッパについて新しい視点を持つ必要があるのではないだろうか。(文中敬称略)