パウエル訪独の背景

5月16日に米国のパウエル国務長官が、イラク戦争後初めてドイツを訪れ、シュレーダー首相と会談した。

テレビカメラに対して見せる、にこやかな表情とは裏腹に、彼の言葉には「同盟国ドイツが、米国の政策を邪魔するような態度を取ったことには、大いに失望した」という厳しい批判が込められていた。そう、国務長官とシュレーダーが握手をしても、米独間の亀裂が埋められたわけでは決してない。現実政治の必要性に迫られて、ドイツと実務的な協力関係を続けるために、ベルリンを訪れたにすぎない。

たとえば米国は、イラクの復興のために経済大国ドイツの協力を必要としている。さらに米国は、サダム・フセイン政権が消滅したことから、国連がイラクに課している経済制裁を解除する決議案を、国連安全保障理事会で採択させようとしている。ドイツ側も、米国との関係改善をめざしていることから、シュレーダー首相はパウエルとの会談後、米国の決議案を支持する姿勢を明らかにした。

しかし、ブッシュ大統領はシュレーダーに対する個人的な怒りを今も失っておらず、ドイツの首相との本格的な個別会談は当面予定されていない。さらに、パウエルがベルリンでシュレーダーに会った同じ日に、
CDU(キリスト教民主同盟)に属するヘッセン州のコッホ首相が、ホワイトハウスでチェイニー副大統領に会っている時に、突然ブッシュが現れた。彼はコッホが州首相に再選されたことについて、祝福する言葉を述べたほか、わずか17分だったが会談し、その様子をマスコミに撮影させた。

これは、ブッシュのシュレーダーに対する、ほとんど個人的なあてつけ以外の何物でもない。米国のイラク攻撃を支持した
CDUに対しては、地方政治家といえども、ブッシュが直々に対応し、シュレーダーには電話すらかけない。造反した部下に対する「帝国」の皇帝の怒りは深いのである。米独関係が表面的に改善するような兆しを見せても、半世紀をかけて築き上げられた後、イラク危機で一瞬の内に砕かれた、協調関係のかけらは、今も地面の上に散らばったままなのである。


週刊 ドイツニュースダイジェスト 2003年5月24日号掲載