年金大国ドイツにメスは入るか

副題;シュレーダー政権はリュールップ委員会の提言を実行に移せるか?

 「この改革案が、年金生活者が受け取る年金額に痛みを伴う変化をもたらし、負担を増加させることは間違いありません。しかし、年金制度を長期的に安定させるには、この痛みは必要だと思います」。痩身でいかにも学者の雰囲気を漂わせたB・リュールップ教授は、8月末に発表した、社会保障制度の改革に関する報告書の中で、こう断言した。

* 手厚い年金制度

彼は、シュレーダー首相とシュミット社会福祉大臣から、ドイツの社会保障制度を建て直すための提言をまとめるよう委託された、諮問委員会の座長である。

 「この提案は、政府関係者に政治的な議論を巻き起こすと確信しています。しかし同時に、社会保障制度を刷新するという重要な目的のためには、そうした努力はむだではありません」。

 現在ドイツの年金生活者は、離職時の手取り所得の約70%を公的年金として受け取ることができる。ドイツ経済研究所によると、その平均額は、旧西ドイツの男性で1041ユーロ(約14万6000円)、女性で475ユーロ(約6万7000円)、旧東ドイツでは男性が1011ユーロ(約14万2000円)、女性が634ユーロ(約8万9000円)である。(旧東ドイツの女性の年金額が西よりも高いのは、社会主義時代に女性の90%が就職していたためと推定される)つまり、いま引退生活を送っているドイツ人の多くは、支出を切り詰め、それほど贅沢をしなければ、公的年金だけでも暮らしていくことが可能なのである。大手企業で長年働いた人ならば、これに手厚い企業年金が加わり、公的年金とあわせて、退職時の手取り所得と同じ額を手にすることも不可能ではない。

* 年金制度・破綻の危機

だが社会の高齢化と少子化によって、ドイツの公的年金制度は破綻の危機に瀕している。連邦統計局の予測によると、1・4という低い出生率により、毎年10万人ずつ外国からの移民を受けいれても、1999年には8200万人だったドイツの人口は、2050年には18%も減って6700万人になる。さらに、65歳以上の市民の比率が15・9%から30・2%に急増し、逆に20歳から65歳の経済を支えるべき年齢層の比率は、62・6%から54%に激減する。

つまりドイツは、人口がどんどん増えている米国や中国とは異なり、21世紀に縮みの傾向を強める「たそがれの国」なのである。人口学者でなくても、これでは、若い世代が勤労によって、高齢者を養うという世代間契約が機能しないことが、はっきり理解できる。

* 国の支出の3割が年金補填に

年金制度はドイツ政府にも大きな負担となりつつある。現在でもすでに、市民が払う年金保険料だけでは、年金をカバーできないのだ。支払われる年金の内、払い込まれた年金保険料でカバーできない額は、連邦政府の予算で支給されているが、その額は1960年に比べて27・5倍に増えて、一年に730億ユーロ(約10兆2200億円)という巨額な数字になっている。これは、ドイツ連邦政府の支出の30%が、年金の補填に使われていることを意味する。

* 年金支給年齢を67歳に

リュールップ教授は、年金制度への国民の理解を維持するには、少子化と高齢化による経済的な負担が勤労世代に集中するのを防ぎ、高齢者にも分配することが重要だと主張する。現在の制度のままでは、現在19・5%である年金保険料率が、2030年には24%に上昇してしまう。保険料率の上昇は、労働費用を増大させ、ドイツ企業の国際競争力を弱め、雇用の拡大を妨げるという弊害も伴う。そこで教授は、年金支給開始年齢を、現在の65歳から67歳に引き上げるとともに、年金の算定方式を変更して、年金受給者が増え、保険料を払い込む人が減っても、保険料率が上昇しないように制度を変更することを提案している。これによって保険料率は最高22%にとどまるという。(私には2ポイントの違いはそれほど大きく思えないのだが)また介護保険についても、2010年から年金生活者が支払う保険料を引き上げることを提案している。

* 政界からは不満の声

リュールップ教授の提案は、ドイツの政治家たちにとって「苦い薬」だったようだ。提言を依頼したシュレーダー首相を初めとして、政界のあちこちからは年金支給開始年齢の引き上げについて、消極的な声が相次いでいる。政治家は生き残りのために、常に二つの矛盾する顔を使い分けている。一つは選挙で負けないために、市民に負担の増加や生活水準の引き下げなど、痛みを伴う改革を避けること。もう一つは年金制度のような国家の将来にかかわる制度が存続するように、改革を実施すること。これまでドイツの社会保障制度改革への試みは、この二つの面が持つ矛盾によって、線香花火のようにはかなく消えていった。どの政治家も、改革が必要なことはわかっているが、それを実行に移すことは、自分の政治生命を危険にさらす可能性があるからだ。

シュレーダーがリュールップ教授の提案を全面的に支持しなかったことは、経済問題に関して失政を指摘されることが多い首相が、秋に迫った地方議会選挙を前に、ふたたび国民に対して良い顔をするために、改革に消極的な姿勢を見せたのかもしれない。シュレーダーは、原則や哲学を貫くよりは、首相の椅子という権力を死守することを優先する、実務的な政治家である。その意味で私は、彼がリュールップ教授の提案を実行するかどうかについては、いささか懐疑的である。

週刊 ドイツニュースダイジェスト 2003年10月3日号掲載