SARSの猛威

ことし四月下旬に成田空港に行ったら、ゴールデンウイークが間近だというのに、乗客の姿は少なく、閑古鳥が鳴いていた。そればかりでなく、私が予約していたミュンヘン行きのルフトハンザの直行便も、乗客不足のためにキャンセルされていた。このため、私はフランクフルト経由の全日空便に押し込まれてしまった。中国南部に端を発した新型肺炎SARSの影響で、海外へ旅行する人が大幅に減っているのだ。

欧州からアジアへ旅行する人の数も急激に減っており、バイエルン州の首相シュトイバー氏が中国訪問をとりやめた。旅客機も空席だらけだ。香港で同じアパートに住む人が多数感染したり、北京に出張した
ILOの局長が、入国後に感染して10日後に死亡したりするなど、感染力の強さが気になる。

私が奇妙に思ったのは、中国や香港で急激に感染者の数が増えていた4月中旬の時点でも、日本での感染者の数がゼロだったことである。中国から1万キロ離れたドイツですら、すでに3月末の時点で、6人の感染者が確認され、特別な病院に隔離されて治療を受けていた。ドイツの感染者のほとんどは、中国南部へ旅行した後に発病していた。シンガポールからフランクフルトへ向かう飛行機の中で、乗客の一人が
SARSによる高熱を発したが、この乗客の世話をしたスチュワーデスや、近くに座っていた乗客が感染したという例もある。

 ドイツに比べると、わが国と中国、香港、シンガポールの間を行き来する人の数は、比較にならないほど多い。こう考えると、4月中旬の時点で、これらの国々に近い日本で全く感染者が確認されていないというのは、やや不自然に思われた。

SARSの感染力が強いことを考慮すると、検査体制や広報活動を強化して、東京などの過密都市で病気が急激に拡大するのを予防する必要がある。SARSをめぐる問題は、旅客機によって長距離を短い時間で移動することが可能になった今日、一つの地域で発生した病気が、またたく間に世界中に広がる危険が増大したことを意味している。

万一テロリストが米国やイスラエルで天然痘の病原体をばらまいた場合、旅行者を媒介にして、疫病が短期間で世界中に広がる危険がある。
SARSの致死率は5%前後だが、天然痘では感染者の約25%が死亡する恐れがある。各国政府は、SARSの問題を教訓として、生物テロが近未来SF映画の中だけのものではないことを再認識し、危機管理のための体制を整えて欲しいものだ。(ミュンヘン在住 熊谷 徹)