どこへ行く社民党                                      熊谷 徹

 「今日はドイツが、世界に誇ることができる日だ。ドイツ病はもはや過去の物である」。G・シュレ−ダ−首相は今年7月14日、満面の笑みをたたえてこう宣言した。彼は、六00億マルク(約三兆一二00億円)というこの国で最大の減税規模を持つ税制改革法案を、連邦参議院で通過させたのである。

 経済力の回復を最優先課題とするシュレ−ダ−にとって、大型減税の実現は、二年前に首相の座について以来、最も重要な勝利だ。だがこの減税は、社民党(SPD)の伝統的な路線を修正しようとする、シュレ−ダ−の政治的な試みの一環でもある。そこで本稿では、この国の社民勢力が経験しつつある変化を、最も端的に象徴する出来事として、この税制改革から検証を始めることにする。

*国際競争力の低下

 ドイツは、雇用の三分の一を輸出に依存する貿易立国だが、九0年代に入って、その国際競争力は日本や米国に比べて陰りを見せ始めた。ドイツの財界は「その病根は高い税率と社会保障費用にある」と指摘してきた。民間部門が創出した価値がどれだけ国に吸い取られているかを示す指標として、国内総生産(GDP)に対する国家支出の割合つまり国家比率がしばしば使われる。OECDなどによると、ドイツの九八年の国家比率は四七・一%で、日本(三七・二%)や米国(三0・九%)を大きく上回っている。

 製造業を中心に、企業が生産施設を国外に移す産業の空洞化が進み、外国企業もドイツへの投資に二の足を踏む。このため、失業者数が去年二月には四四0万人を超え、就業可能な市民八・六人のうち一人が路頭に迷うという深刻な事態に陥った。

 「自分の政治家としての価値は、失業者の数を本格的に減らすことができるかどうかで決まる」と言うシュレ−ダ−の狙いは、減税によって、企業が雇用を拡大できる環境を作り出すことだ。今回の法案によって、五年後に所得税の最高税率は五一%から四二%に、最低税率は二二・九%から一五%に下がる。特に企業への恩恵は大きく、法人税の基本税率(内部留保分)は四0%から二五%へ大幅にカットされる。

 ドイツ経済研究所や大蔵省によると、この国では法人税の他に営業税なども課せられるため、企業の内部留保にかかる最高税率の合計は、これまで五六・二%と高かったが、今回の減税で三八・六%に引き下げられる。これは、米国など多くの先進工業国を下回る水準である。ドイツの経営者団体も「ようやく改革への第一歩が踏み出された」として、法案の通過を高く評価している。

*減税をめぐる確執

 もっとも、国際競争力回復のために、九0年以降に大型減税を試みたのは、シュレ−ダ−政権が初めてではない。前のコ−ル政権も、九七年に同様の税制改革を試みている。ただし法案は日本の衆議院にあたる連邦議会を通過した後、連邦参議院で否決された。この時の連邦参議院では、野党の社会民主党が過半数を握っていたためである。

 当時の社民党でコ−ルの減税法案に最も頑強に反対したのは、O・ラフォンテ−ヌ党首だった。彼は党内で左派に位置し、労働者など社会的弱者の利益を重視する伝統的な路線を標榜していた。ラフォンテ−ヌは、「コ−ル政権の減税案は、企業を大幅に優遇し、労働者など低所得者層を不利な立場に追い込む」と主張し、低所得者層の税負担を減らすためには、経済界に都合の悪い政策も辞さないと公言。実際、社民党が九八年の選挙戦で提唱していた減税案は、最高税率の引き下げ幅がコ−ル政権の減税案よりも十ポイントも少ないなど、高所得者層と経済界への恩恵を大幅に薄めたものだった。

 ところが、98年の連邦議会選挙で、キリスト教民主同盟(CDU)など与党を破り、社民党と同盟90・緑の党(以下緑の党とする)の連立政権を誕生させたシュレ−ダ−は、ラフォンテ−ヌとは水と油のように異なる政策の持ち主である。彼は社民党の伝統的な目標である社会的公平の実現だけでなく、民間経済の活性化をも重視する政治家だからである。

 このためシュレ−ダ−と蔵相に就任したラフォンテ−ヌは、経済政策などをめぐって、ことごとに対立する。シュレ−ダ−が主導権の奪回を図ったのが、九九年三月九日の閣議である。彼は、閣僚に対して民間経済に悪影響を与える決定を独断で行うことを禁じ、「経済界と対立しながらこの国を治めることはできない。経済界の利益にならない政策を取ることは、私が許さない」と警告した。この閣議の数日後、ラフォンテ−ヌは彼の路線に抗議して、蔵相、社民党の党首、議員の全ての役職から辞任した。シュレ−ダ−が、減税に消極的だった社民党の姿勢を大きく改め、六00億マルクという、コ−ル政権の法案に匹敵する規模の減税措置を打ち出し得たことは、経済界寄りの実務派が、左派との路線闘争に勝ったことを抜きにしては考えられないのだ。

*シュレ−ダ−の鬼手

 ただしシュレ−ダ−もまた、連邦参議院の高いハ−ドルを乗り越えなくてはならない。参議院は州政府の代表によって構成されているが、現在のドイツでは、キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が州政府で政権を担当しているか、連立政権を構成している州が多い。つまり、連邦参議院の議席の過半数は、CDUの手に握られていたのである。CDUは減税措置の細部に関する意見の相違を理由に、シュレ−ダ−政権の法案に反対していた。このため社民党の減税案も、三年前廃案になったコ−ル政権の法案と同じように否決されるかに見えた。

 ところが、輸出が好調で景気が回復の兆しを見せているドイツでは、経済界からCDUに対して「減税法案が成立しなかったら、景気に悪影響が出る。なんとか妥協して、減税法案を通過させてくれ」という要望が強かった。減税をめぐって何回も落胆させられてきた経済界にとっては、税率さえ大幅に下がってくれれば、政権を担当しているのがCDUか社民党かは二の次だったのである。

 さらにシュレ−ダ−は、予想外の鬼手を使う。彼は、CDUが主導権を握っているベルリンなどの三州に対して、文化遺産の修復や治安強化などのために特別の資金援助を行うと約束することなどによって、減税法案に賛成させたのである。「現金によって票を買うようなシュレ−ダ−の手法は、議会制民主主義に反する」という批判も出ているが、社会全体で見ると、長年の懸案だった減税が実現することを評価する声の方がはるかに大きい。皮肉なのは、かつての与党CDUが連邦参議院での敗北後に出した声明である。「今回の減税法案は、個人企業よりも大企業、小口の株主よりも大株主を利するものであり、労働者と中小企業が敗者になった」。この言葉は、かつて野党だった社民党の政府批判を思い起こさせる。つい数年前までは財界の声を代弁していたCDUが、今や攻守ところを代えて、庶民の味方を装っているというわけだ。減税法案可決の過程は、ラフォンテ−ヌが政治の舞台を去って以来、両党の経済政策が、いかに類似性を強めているかを象徴している。つまり冷戦が終わってイデオロギ−論争よりも、失業禍の克服など経済問題が重要性を増した今、減税や社会保障費用の削減は、保守・リベラルを問わず、どの党にとっても避けて通ることができなくなっているのだ。 シュレ−ダ−は、「イデオロギ−よりも経済」という時代精神を体現する政治家だ。「アウト・マン(自動車男)」というあだ名を持つ彼は、ニ−ダ−ザクセン州の首相だった時に、地元の有力企業フォルクスワ−ゲン社の監査役会に名を連ね、同社のピエヒ社長と親交を持つなど、経済界との結びつきが強いことで知られる。

 その意味で、彼は従来の社民党員のイメ−ジとは異質な政治家である。私は社民党の初めての首相であるW・ブラントにも、シュレ−ダ−にも直接会って質問をしたことがあるが、二人の間に大きな違いを感じた。ブラントの言葉には、ナチスによる追及や冷戦の辛酸をなめた経験を踏まえ、ドイツ分割を克服するために、戦い続けてきた人間の深みが感じられた。歴史に翻弄された市民の窮状を、政治の力で和らげようとしてきた人物の世界観、そして多くの社民党員が彼を尊敬する理由が理解できた。これに対しシュレ−ダ−は、ブランド物の背広に身を包み、立ち居振る舞いこそ洗練されているが、言葉に人間的な重みは感じられない。社民勢力のリ−ダ−というよりは、実務に長けた企業の重役を連想させた。

*改革の野望

 さてシュレ−ダ−は同時に、社民勢力の体質を、21世紀に適応できるように、根本的に改革するという野心を持っている。その意図を最もはっきり表わしているのが、彼が九九年六月に英国のブレア首相と共同で発表した「シュレ−ダ−・ブレア文書」である。この文書によって、シュレ−ダ−の「新しい中道路線(ノイエ・ミッテ)」とは、「第三の道」を標榜する英国労働党のように、リベラル勢力を伝統的な路線から脱皮させることを意図したものであることが明確になったため、党内で大きな論争を巻き起こした。

 この中でシュレ−ダ−は「社民勢力は、今後も社会的公平、連帯、機会均等の実現という目標を放棄することはない」としながらも、「国家は経済界を支援することはできても、経済界の代わりになることはできない。したがって、我々は国家が市場メカニズムを邪魔しないような政治システムを築かなくてはならない」と述べ、政府は民間経済の活力や創造性を阻害しないように、民間部門への介入を最小限にするべきだと主張している。

 さらに彼は「社会的公平への要求は、これまで結果の平等にすりかえられてしまい、市民の自己責任がしばしば無視され、努力が報われてこなかった」として、市民の生活の安定が過度に重視されてきたため、社会に創造性や進取の精神よりも凡庸さ、悪平等がはびこる原因になってきたと指摘する。

 さらにシュレ−ダ−は、雇用問題でも市民に厳しい立場を取る。彼はグロ−バル化の時代には一つの企業に一生勤めることは難しいとした上で、市民は社会や経済の変化に対しこれまで以上に柔軟に適応していかなくてはならないと主張する。

 一言でいえば、シュレ−ダ−は硬直化した「ライン型経済」に、米国などアングロサクソン型経済の息吹きを持ち込もうとしているのだ。戦後のドイツ経済は市場メカニズムを最重視する米国経済とは一線を画して、国家が経済活動の枠組みを規定し、市民が失業したり病気になったりした時のために、手厚く安全網を張るいわゆる「社会的市場経済」の原則を採用してきた。

 シュレ−ダ−はこの原則を廃止しないまでも、政府の役割を縮小し、規制緩和を行うことによって市場がこれまで以上に活躍できる経済システムをめざしている。国民も今後は政府の手厚い保護を期待せず、年金や健康保険のために自己負担が増えることを覚悟せよというわけだ。

 これは、90年代の初めから日本の経団連にあたるBDIなど経営者団体が、繰り返し行ってきた主張でもあり、また前のコ−ル政権が歩み始めていた道でもある。つまりシュレ−ダ−は市場メカニズムの強化こそがドイツ経済の活力を回復し、失業を減らす近道であるとして、社民党のハンドルを大きく財界寄りの方向に切ろうとしているのだ。

 今回実現した大型減税は、こうした新しい社民路線の第一弾である。だが、減税を行うからには、支出も大幅に削減しなくてはならない。シュレ−ダ−政権が去年六月に発表した財政緊縮計画によると、政府は二000年からの四年間に、連邦予算を合計約一六00億マルク(約八兆三二00億円)も削減する。その中で最も大幅な支出カットを迫られるのが、現在ドイツの省庁の中で最も多額の予算を持つ連邦労働省、つまり年金や失業保険など社会保障を担当している部門である。  すでに政府は、年金への連邦予算からの補填額を削減することや、年金額の伸び率の抑制など、社会保障の切り詰めを始めている。これに対しドイツの組合の上部組織・DGB(ドイツ労働組合連盟)は、「企業が減税によってこうむる恩恵に比べると、失業者や年金受給者への皺寄せが大きすぎる。社会の弱者に大きな負担を強いる緊縮計画は、組合の視点から見ると、社会的公平の精神に反している」と批判している。またDGBは、「社会民主党の支持者たちは、社会保障の削減によって節約された金が、減税という形で大企業の懐に入るのではないかという不信感を強めている」として、草の根の党員の間にもシュレ−ダ−の路線への批判が強まっていることを示唆する。社民党の重要な基盤である組合が、批判的な姿勢を見せているのは、特筆すべきことである。

 シュレ−ダ−はこうした批判に対して「多額の債務は将来のドイツに不当な負担を残すものであり、放置できない。財政緊縮計画を実行する以外に道はない」と反論し、新しい経済政策を堅持する姿勢を崩していない。

*苦戦する社民党

 だが、新しい社民路線への批判はすでに選挙結果に表れている。もともとシュレ−ダ−政権は、九八年の連邦議会選挙で、国民から積極的に選ばれたわけではない。最大の勝因は、多くの有権者が、十六年間続いたコ−ル政権に終止符を打ち、長期政権による停滞を打破したいと考えたことだった。ドイツは九0年代半ばに戦後最悪の不況を経験したが、大量失業など山積する問題に、コ−ル政権は解決策を見出だすことができなかった。つまり社民党・緑の党の連立政権は、コ−ル政権が国民から落第点を与えられたために、消去法で選ばれたにすぎない。

 実際、国民がシュレ−ダ−政権に対して深い失望感を表わすのに、それほど時間はかからなかった。九九年二月に行われたヘッセン州の州議会選挙では、CDUが得票率を前回の選挙に比べて約五ポイント伸ばしたのに対し、社民党の伸びは一ポイントに留まり、緑の党は約四ポイントも得票率を減らすという惨憺たる結果に終わった。このため社民党・緑の党はヘッセン州政府から駆逐されCDUに政権を明け渡すことになったのである。ヘッセン州は社民党の牙城の一つと見られていただけに、赤・緑連立政権の誕生からわずか五ヵ月後の惨敗は、シュレ−ダ−政権に衝撃を与えた。

 保守系有力紙「フランクフルタ−・アルゲマイネ(FAZ)」紙で国政・地方選挙の分析を担当しているK・ロイマン記者によると、ヘッセンでは、伝統的に社民党を支持してきた労働者と失業者が、CDUや極右政党に乗り換えるという現象が見られた。CDUの得票率が労働者の間で七ポイント、失業者の間で六ポイント増えたのに対し、逆に社民党の労働者と失業者からの得票率は、五ポイント減っている。社民党の伝統的な支持基盤がシュレ−ダ−政権誕生の直後に同党に背を向け始めたのは、興味深い事実である。

 また十八才から二五才までの若者の間で、CDUが得票率を約九ポイント伸ばしているのに対し、社民党は約二ポイント、緑の党に至っては約九ポイント減らしている。このように若年層の支持率が低下していることも、赤緑連立政権にとって深刻な問題である。

 これに対し社民党が新たな支持者を獲得したのはサラリ−マン層で、前回に比べて得票率が五ポイント増加した。さらに、前回の選挙で緑の党を支持した有権者の内約六万人が、社民党に鞍替えしている。これは中央政府で緑の党の発言権が弱く、社民党にほぼ完全に牛耳られていることへの不満の表れと見られる。こうした人々は、緑の党の支持者の中でも、左派に属する熱心な環境主義者ではなく、社民党の路線を許容できる穏健派、実務派に属する市民であろう。

 つまりヘッセンの選挙は、社民党の中心的な支持基盤がブル−カラ−層から、リベラルな思想傾向を持つサラリ−マンなどに移りつつある可能性を示唆している。この新しい支持層は、ブル−カラ−よりも所得水準が高く、経済のグロ−バル化について労働者層ほど強い抵抗感は抱いていない。実際、シュレ−ダ−が提案している社会保障の削減に対応するために、民間の年金保険や健康保険を買ったり、株式投資を行ったりする経済的な余力があるのは、ホワイトカラ−層である。これに対しシュレ−ダ−の要求によって最も不利な立場に追い込まれるのは、労働者など第一次産業に従事する階層であり、これらの層に属する有権者が社民党の「新中道路線」に疎外感を持つことは容易に想像できる。

 FAZ紙とアレンスバッハ研究所の世論調査によると、シュレ−ダ−政権は、最初の一年間で大幅に支持者を失った。社民党への支持率は、連邦議会選挙直前の九八年九月には四一%だったが、その約一年後には三0%まで低下した。逆にCDUへの支持率は同時期に三六%から四五%に上昇している。

 「現在の首相の政策は正しいと思う」と答えた回答者は、去年七月の時点で全体の二二%にすぎず、アレンスバッハ研究所が世論調査を始めた四九年以来最低の数字を記録した。社民党の後退は特に旧東独で激しく、支持率が九八年九月からの一年間で三七%から十六ポイントも落ち込んでいる。シュレ−ダ−・ブレア文書発表後の三つの州の州議会選挙でも、社民党・緑の党は惨敗を重ねている。 こうした支持率の下落は何を意味しているのだろうか。私は去年十月に「ヴェルト・アム・ゾンタ−ク」紙のベルリン支局で、政治面を担当するR・ロイト記者にシュレ−ダ−政権の不振の原因について尋ねたことがある。「コ−ルが政権から追い落とされた理由の一つは、社会保障の削減など、国民に生活水準の引き下げを迫ったことだ。このため一部の有権者は”社民党を選べば、社会保障の削減が避けられるかもしれない”と考えて社民党に投票した。ところが、シュレ−ダ−も首相就任後、この問題を避けて通ることができず、コ−ル政権と同じ政策を取っているため一部の有権者は失望しているわけだ」。

 つまり、シュレ−ダ−がめざす市場重視のネオリベラリズム的政策が、従来の支持層の反発を買っている可能性があるのだ。その後シュレ−ダ−政権への支持率が若干持ち直したのは、九九年十一月にコ−ルらに対する不正献金疑惑が浮上し、CDUが深刻な危機に陥ったからにすぎない。だが社民党は今年五月にドイツ最大の人口を持つノルトライン・ヴェストファ−レン州で行われた州議会選挙で、約三ポイント近く得票率を減らし、再び失速傾向を見せている。

 シュレ−ダ−は減税法案の可決で、企業だけでなく組合や市民からも得点を稼ぐことに成功したが、年金改革という、庶民に痛みを強いる外科手術が、本格的に始まるのはこれからである。社民党の役員会でも、旧東独出身の役員を中心として、年金改革をめぐるシュレ−ダ−の方針には、反対が残っている。年金削減は、社民党が重視する社会的公平の根幹に触れる問題だ。このため、シュレ−ダ−が「企業に甘く庶民に厳しい」というイメ−ジを払拭できない場合、社民勢力への支持率が今後さらに低下する可能性もある。

*どこへ行く、ドイツのリベラリズム

 社民党は、その起源を十九世紀後半の労働運動にさかのぼる、ドイツで最も長い歴史を持つ政党である。この党は、庶民の利益を代弁し、国家に異義を申し立てる反対勢力として、ドイツ社会が形成される上で重要な役割を果たしてきた。

 ドイツ帝国の誕生とともに急速に進んだ工業化は、人口の中に労働者が占める割合を増やしただけでなく、都市の生活条件の悪化などの深刻な問題をもたらした。このため社民勢力は、労働者の生活水準の向上を求めて、ビスマルク体制に対する抗議活動を続け、弾圧にもかかわらず、労働者の心を着実につかんでいった。ビスマルクが労働者を懐柔するために社会保険制度を導入したのも、社民勢力の活躍なしには考えられない。

 だが社民党は、その路線を、時代状況に応じて、現実的な方向に大きく転換する柔軟性も持ち合わせていた。同党は、一八九一年の党大会で採択した「エアフルト綱領」で、政治や経済体制の変革のための理論的根拠として、マルクス主義を採用する。民主主義を基本とする社民勢力は、プロレタリア−ト独裁を目標とする共産勢力との間に路線上の違いはあったものの、ヒトラ−が台頭すると、共産勢力と同じくナチスに対する抵抗運動に参加した。

 だが第二次世界大戦後には東西対立が先鋭化し、ドイツの共産勢力と社民勢力の間の亀裂は大きく広がる。後に東独になるソ連占領地域で、社民党が共産党と強制的に統合される中、西側の社民勢力の間では共産勢力の路線に対する疎外感が強まる。このため西独の社民党は五九年に採択した「ゴ−デスベルグ綱領」の中で、マルクス主義と決別するとともに、CDUが標榜する「社会的市場経済」と西側軍事同盟への参加を是認する。社民党はこうした路線変更によって、現実に政権を担当できる国民政党としての信頼性を高めてきたのである。

 だが今日シュレ−ダ−が提案している路線変更は、労働者層という重要な支持基盤に大きな影響を与えるものだ。彼はなぜそのような荒療治に踏み切ったのだろうか。

 その背景には、ドイツの就業者構成の変化もあると推測される。連邦統計庁によると、十九世紀後半のドイツでは、就業者の中に労働者が占める比率は五六%だったのに対し、サラリ−マンは六%にすぎなかった。現在ではこの比率が労働者の三四%に対し、サラリ−マンが四九%と逆転し、労働者の比重は下がる傾向にある。つまり労働者など第一次産業に従事する人口の比率が低下し、情報関連産業を中心としたサ−ビス業に従事する人口が増える中、シュレ−ダ−は伝統的な基盤である労働者に反対されても、社民路線の改革に踏み切ったものと思われる。

 社民党が十九世紀以来、労働者や社会的弱者の権利拡大を求めることによって、成長してきたことを考えると、同じ党が労働運動の重要な副産物である社会保障の削減に乗り出すのは、歴史の皮肉である。

 その意味で、冷戦終結前の「リベラル」の定義は今日のドイツの社民党には、もはやあてはまらない。大量失業という宿痾を撲滅するには、保守・リベラルというレッテルにこだわらず、ドイツ経済の国際競争力を高める以外に方法がないというのがシュレ−ダ−の主張なのである。

 だが彼の改革が成功する保証はない。日本や米国、英国と異なりドイツ市民の間には「社会福祉を重視する国家(Sozialstaat)」の伝統が深く浸透しているからだ。ラフォンテ−ヌ元党首は、著書の中で「社民党員は、経済優先の原則の下に狂暴化したアングロサクソンの資本主義を押さえ付け、欧州の社会福祉国家の思想を提示しなくてはならない」と主張し、シュレ−ダ−の路線を修正しない限り社民党は選挙で敗北し続けると予測している。一連の地方議会選挙の結果は、ラフォンテ−ヌの予言を裏付けているように見える。

 つまり、シュレ−ダ−ら社民党の主流派は、経済的な必要性に力点を置くあまり、二十一世紀にどのような国家を望むのかについて、国民的な合意ができていない前に、システムの変更に着手したと言える。改革が成功するかどうかは未知数だが、シュレ−ダ−の実験が、政策面で保守勢力との境界を一段と曖昧なものにし、リベラリズムの独自性を減らす危険をはらんでいることは間違いない。時代の変化に応じて迫られる、原則の放棄をどこまで行い、党の独自性を維持するために、どの原則については妥協を禁じるのか。ドイツの社民勢力は、戦後のマルクス主義放棄の時にも似た、重大な選択の時を迎えているのだ。シュレ−ダ−政権の苦悩は、冷戦後の経済優先の時代に、リベラル勢力が直面せざるを得ない試練を象徴していると言えるだろう。