子どもたちの抗争      熊谷 徹(在独ジャーナリスト)

 

ベルリン南部のノイケルン区にある、公立のリュトリ学校。この学校の入り口の前に、去年12月10日から、濃紺の制服を着た警備員が立ち、生徒たちの証明書を点検し始めた。同区が全国で初めて、13の公立学校の前にガードマンを配置し始めたのは、学校を舞台にした暴力事件が増えているため。2006年には区内の学校で139件の暴力事件が起きたが、その内19%は、生徒ではない若者たちが学校の敷地に侵入して、起こしたもの。ノイケルンのブシュコフスキー区長は、「このままでは生徒の安全を保証できない」として、警備員の配置に踏み切った。

実はリュトリ学校は、おととしの3月にも全国的に注目を集めていた。教師たちがベルリン市の文部当局にあてて、学校の荒廃について訴える手紙を送り、子どもたちの暴力の前に、事実上白旗を掲げたからだ。教師たちは「生徒が授業中に教師に物を投げつけたり、教師の言うことを無視したりするので、正常な授業は全く不可能」と報告。

子どもたちは、ゴミ箱をボール代わりに使ってサッカーをしたり、教室の扉を蹴破ったり、爆竹を鳴らしたりする。「生徒に襲われた時に助けを求められるように、授業に行く時に必ず携帯電話を持っていく教師もいる。ストレスのために健康を害して欠勤する教師も多い」。リュトリ校では、生徒の83%がトルコ系、アラブ系など外国人で、多くの両親が失業者。この学校は基幹学校(ハウプト・シューレ)と呼ばれ、比較的学力が低い若者が通う。

私は今年5月に、同区にあるグロピウス・センターという商店街へ行った。頭を布で覆った、イスラム教徒の女性が目立つ。武装した警察官たちが、若者たちに目を光らせ、時々職務質問を行っている。

ノイケルンの市民の22・5%が、外国人。外国人の比率がベルリンで最が高い地域の一つだ。特に最近ではトルコ人の若者が一種のギャング団を作って、他のグループと抗争を繰り返すのが目立つ。バタフライ・ナイフが禁止されたために、少年たちの間では、長さを縮めてポケットに隠しやすい伸縮式の警棒や、じゅうたんを切るのに使われるカッター、肉切り包丁を武器として使うのが流行っている。

警察官に対する暴力も、日常茶飯事だ。今年5月には、他のグループに襲われた若者が、パトロールカーの後部座席に逃げ込んだところ、12人の若者がパトロールカーに襲いかかり、警察官が無線で応援を要請しなくてはならなかった。

また、殴り合っていた若者を取り押さえた警官が反撃され、負傷する事件も起きている。ベルリン警察組合のプファルツグラーフ委員長は「多くの若者は、もはや暴力の限度を知らない。警官と戦うことが、流行になっているほどだ」と嘆く。

ドイツ連邦刑事局の調べによると、青少年による暴力事件は、年々増加している。青少年による、重大な傷害事件の件数は、去年6・3%増えた。1993年には、暴力事件の容疑者に18歳未満の青少年が占める比率は、18・9%だった。しかし去年この比率は、27・1%に増加した。暴力事件で摘発された子ども(14歳未満)の数は、過去14年間で、170%も増加した。

プファルツグラーフ氏は「ノイケルンでは、ドイツ人社会と外国人社会が完全に分かれてしまい、法治国家が危機にさらされている」と指摘する。なぜこのような「パラレル・ワールド」ができたのか。その原因はドイツ人側にもある。

1960年代からの高度経済成長期に、西ドイツは労働力不足を補うために、トルコなどから多数の移民労働者とその家族を受け入れた。ドイツ政府は彼らに言語の習得を義務づけず、社会に融合させる努力を怠ってきた。このためドイツの各地に、トルコ語だけで生活できるコミュニティーが誕生したのだ。30年間住んでもドイツ語を話せないトルコ人は珍しくない。

現在荒れている多くの若者の親たちは、失業している。ドイツの生徒たちは、10歳という早い時期に、学力に応じて選別され、進む学校が分かれる。移民の子どもの多くは、リュトリ校のような基幹学校に送られる。家庭でドイツ語を話さないので、ドイツ語で正しい読み書きができない子どもが多い。基幹学校に行った子どもの多くは、将来安定した職業を見つけるのが難しい。貧困階級や、失業者の予備軍である。

格差社会化が進むドイツで、将来に望みを見出せない子どもたちが、絶望感のはけ口を求めて、学校やショッピングセンターで抗争を繰り広げているのだ。青少年の暴力は、ベルリンだけの問題ではない。

去年暮れにはミュンヘンでも、トルコ人とギリシャ人の若者が、地下鉄の駅でお年寄りに殴る蹴るの暴行を加えて、瀕死の重傷を負わせた。ドイツ社会は吹き荒れる暴力の前に、有効な対策を見つけられないでいる。校門にガードマンを配置するような対症療法では、問題の根本的な解決にならない。移民を社会に融合させ、「パラレル・ワールド」をなくさない限り、子どもたちの抗争は続くだろう。

 

小学館 サピオ 2008年7月9日号 掲載