2002年3月16日       週刊 ドイツニュースダイジェスト掲載

戦犯を追え            熊谷 徹

 

三月上旬、春のような日差しとは裏腹に、サラエボの空気はいつもより張り詰めていた。

上空を旋回する米軍のヘリ。ホテルへの進入路を塞ぐSFOR(安定化部隊)のジープや大型バス。私が定宿にしているホリディ・インのロビーでは、迷彩服を着た兵士や、無線機を持った私服警官が、鋭い目つきで周囲を見回している。

深夜にホテルへ帰ってきて、エレベーターに乗ったら、自動小銃をかかえた、私服の兵士たちがドヤドヤと乗り込んで来た。憔悴した顔つきに、泥で汚れた荷物。リュックサックのポケットから拳銃の台尻が覗いている。彼らは黙りこくったまま、緑色の塗料で迷彩を施したM16小銃を、まるで雨傘ででもあるかのように、無造作に抱えて、ホテルの客室に消えていった。世界中のあちこちでホテルに泊まったが、武装兵士とエレベーターで乗り合わせるホテルというのは、めったにない。バルカン半島には、ユーゴ内戦の終結から6年経った今も、まだワイルドな雰囲気が残っている。

サラエボに緊張感が漂っていた理由は、ドイツ軍兵士を含むSFORの部隊が、戦犯として起訴されているセルビア人指導者ラドバン・カラジチを逮捕しようとして、失敗したことである。SFORはボスニア南東部の村を急襲したが、カラジチの隠れ家と見られていた場所は、もぬけのからだった。

このため、SFORは探索を続けている。軍服でなく、私服で行動する兵士は、通常の兵士ではない。私がホテルで目撃したのは、戦犯の捜索にあたっている特殊部隊の兵士たちだったのかもしれない。

ユーゴ内戦では、15万人ものモスレム系ボスニア人が虐殺され、400万人が故郷から追放されている。カラジチは、セルビア人地区の元大統領として、軍の指揮官だったムラジチらとともに、民族虐殺などの罪で、ハーグの国際戦争犯罪裁判所から起訴されている。

セルビアがミロシェビッチを司直の手に引き渡した今、虐殺により直接的に責任のある指導者たちが、自由を謳歌しているのは、許されない。ユーゴ側からSFORへの圧力も高まっていることだろう。西側諸国は、一刻も早く戦犯を逮捕し、刑事責任を追及しなくてはならない。さもなければ、今もボスニアの土の中で朽ち果てている、無数の犠牲者たちの魂が浮かばれることは決してないだろう。