戦争とマスコミ
イラク戦争で米国政府は、内外の記者やカメラマン600人を戦闘部隊に同行させるという、異例の措置を取った。前回の湾岸戦争で、厳しい報道管制が敷かれていたのとは大きな違いである。実際、米国のFOXテレビのカメラマンが、バグダッド周辺の攻防戦の際に、戦車の砲塔の上から撮影した戦闘シーンは、これまでの戦争のニュース映像の中でも、最も迫力に満ちたものだった。紛れもない現実の映像が、戦争映画の1シーンのように見えてしまうから、不思議だ。
さらにビデオフォンと呼ばれる衛星電話付きのビデオカメラも、ヘルメットと防弾チョッキを着けた記者が、作戦中の装甲車の後ろから戦闘の模様を実況中継するなど、通信技術の発達によって、これまでの戦争にはなかった形式のニュース報道が行われた。ただし、報道も情報戦という戦争のお先棒を、担がされていることを忘れてはならない。米軍同行記者のリポートは、米軍当局の厳しい監視下に置かれていたため、その種の報道だけでは戦争の全体像はとても理解することはできない。
砂漠を突進する戦車や装甲車、勇敢に戦う海兵隊員の映像は、国民に米軍の活躍をビジュアルに伝えて、士気を鼓舞する意味がある。
今回の戦争では、アラブ版CNNといえるアル・ジャジーラやアブダビ・テレビが存在したことで、イラクの民衆への戦争被害が、前回の湾岸戦争よりも詳しく伝えられた。両腕を切断された少年や、頭を何針も縫った少女の、目をそむけたくなるような映像は、米国のマスコミだけに頼っていたら、伝わってこない。情報の偏りを避けるという観点から言えば、米国のメディアに対抗するマスコミが誕生したことの意義は、大きい。
アル・ジャジーラは早く英語版の放送を始めて、我々非アラブ圏の視聴者も内容を理解できるようにしてほしいものだ。
イラクの民衆への戦争被害といえば、爆弾の炸裂によって、ほとんど原型をとどめていない少年の手をアップで撮影した、毎日新聞社のカメラマンの写真は、バグダッドから伝えられた映像の中でも最もショッキングなものだった。
そしてその写真を撮ったカメラマンが、戦場で拾ったクラスター爆弾の子爆弾をおみやげとして日本に持ち帰ろうとしたところ、空港で爆弾が炸裂して、警備員一人が即死し、数人が負傷した事件は、日本の報道史上に大きな汚点として残るだろう。9月11日事件以降、小型ナイフどころかはさみや剃刀まで、機内持ち込みの手荷物に入れることは禁止されている。
そう考えると、機内に爆弾を持ち込もうとしたカメラマンの神経を疑う。クラスター爆弾の恐怖がこれだけマスコミで伝えられているのに、観光客のようにわざわざそれを拾ってきて、故意ではないにしろ人を殺傷してしまうとは、非常識もはなはだしい。
我々日本人は兵役がないために、弾薬や兵器に関する知識が乏しく、怖さも知らない。私もむかし大手のマスコミで働いていたからわかるのだが、報道関係者の中には、まるで映画の中に出てくるような面白い仕事をしている上に、慢性的な疲労がたまっているために、世間の常識を忘れて、自分が雲の上の人になったかのような錯覚を抱く人が時々いる。このカメラマンもそうだったのかもしれない。
その子どもじみた行為に、同じマスコミ業界に携わる人間の一人として、恥ずかしさを覚えた。(ミュンヘン在住 熊谷 徹)
保険毎日新聞 2003年5月26日号掲載