中央公論 2002年10月号 掲載


対テロ戦争で切るべき日本の外交カード                  熊谷 徹

― 米国の単独主義に対抗する最善の道はなにか ―

日本では、昨年九月十一日の同時多発テロから時間が経つにつれて、国際テロリズムについての問題意識が、急速に薄らいでいる。不良債権やデフレなどの経済問題、外務省の相次ぐスキャンダルなどに圧されて、米国が今も世界各地で繰り広げている対テロリズム戦争についての報道も大幅に減った。「対テロ戦争は、対岸の火事だろう」という意見も強い。多くの日本人にとって、すぐ目の前にある国内問題が最も重要であることは、理解できる。しかし、世界の安全保障政策の潮流が、同時多発テロをきっかけとして、冷戦終結以来最も大きな変化を見せている事実を無視することは、危険である。

ドイツを拠点として定点観測を続けている私の見解では、対テロ戦争をめぐる問題が日本にとって重要になるのは、むしろこれからである。いや、対テロ戦争の次の局面は、日本の安全保障政策に大きな影響を与える可能性が強い。欧州で取材していると、日本政府が昨年成立させたテロ対策特別措置法だけでは、とても収まるような状況ではなく、あらゆる事態に対応できる準備を、早めに始める必要があるということを強く感じる。そうした中で、いつまでも安全保障問題について、本格的な議論を避けることは、日本の将来にとってマイナスになるという思いにかられて、筆を執った。

日本では国際ニュースの比重が欧州に比べて軽く、情報量も圧倒的に少ない。日本に行くと、いわゆる国際社会で重視されている情報から隔離されるような気がすることがある。この「情報枯渇現象」が原因となって、日本では対テロ戦争について、次の三つの重要な事実が忘れられている。

その一つは、「9・11」を境にテロリズムが大きく変質を遂げ、そのことによって安全保障のあり方そのものが、見直しを迫られているということである。これまで安全保障の根幹だった抑止理論は、敵が「戦争を起こしても自分は死にたくない」と考えることを前提としてきた。だが大量殺戮を行うためには、わが身を滅することもいとわない狂信的なテロリスト集団の出現によって、この前提は世界貿易センターのツイン・タワーとともに崩壊した。さらに日本では、テロのグローバル化によって影響を受けるのが欧米だけではなく、我が国を含む全世界であるという意識が欠けている。

日本で十分に認識されていない第二の点は、米国が対テロ戦争についていかに真剣かつ感情的になっているかということだ。建国以来、本土を初めて攻撃され、約二八00人の犠牲者を出した米国では、政治家やマスコミばかりでなく、知識人までもが、「9・11」後の時代を、戦時とみなしている。たとえばジョンズ・ホプキンズ大学のD・ハミルトン教授は、「ヨーロッパ人たちは米国がテロリズムに対する“戦争”という言葉を使うことに不快感を持っている。しかし、世界貿易センターの廃墟は、我々にとって、第二次世界大戦中に破壊された欧州の町を思い起こさせる。米国は直接攻撃を受けたのであり、これは戦争状態に他ならない」と断言している。

また今年二月にS・ハンティントンやF・フクヤマなど米国の著名な歴史学者、政治学者、宗教学者ら六0人が、対テロ戦争を「正しい戦争」として肯定する書簡を新聞紙上などで公開している。この手紙には、市民を攻撃の的にしたテロリストに対して怒りをたぎらせ、政府が遂行する戦争を全面的に支援するという、米国の知識階層を支配している心理状態が浮き彫りになっている。

さらに我が国でしばしば見過ごされているポイントの三番目は、アフガニスタンでの作戦が対テロ戦争の第一幕にすぎず、第二幕はこれまで以上に困難なものになるということである。世界貿易センターが崩壊する映像が全世界を駆け巡った直後には、米国はアフガニスタン攻撃についての理解と支援を、比較的容易に各国から取り付けることができた。だが、その衝撃が時間とともに薄れる中、米国とそれ以外の国々の間では、テロリズムを根絶する方法についての見解の相違など、不協和音が生まれ始めている。今後は、こうした意見の違いがさらに拡大し、統一歩調を取ることが難しくなるだろう。

私が冒頭で、反テロ戦争が日本にとって重要になるのはこれからだと述べた理由は、その第二幕が米国のイラク攻撃、つまり第三次湾岸戦争を伴う可能性が強まっているからである。パウエル国務長官が今年二月十三日に議会の公聴会で述べたように、米国は「悪の枢軸」と名指しした三か国の中でも、イラクを特に安全保障上の脅威とみなしている。パウエルは「イランと北朝鮮に対して戦争を始める計画はないが、イラクについては、現政権を倒すことが周辺地域とイラク国民の最善の利益である」と明言している。

特に米国政府が恐れているのは、アル・カイダなどのテロ組織が、核・生物・化学兵器(ABC兵器)を使ったテロを国内で起こすことだが、米国はこうした大量破壊兵器がイラクからテロリストの手に渡ることについて、懸念を抱いている。「9・11」直後に、炭疽菌を使った生物テロにより、米国で初めて死者が出たが、犯人はいまだに検挙されていない。J・ウールズィーCIA元長官は、昨年十一月に行った講演の中で、「あれだけ精密に加工された炭疽菌を、米国人が九月十一日までに開発して保存しておき、世界貿易センターの崩壊を見て、手紙に入れてマスコミなどに送りつける気になったと考えるのは、不自然だ。同時多発テロと炭疽菌テロの犯人の間には、何らかの繋がりがあるのではないか」と述べた上で、炭疽菌がイラクによって加工された可能性が強いという見方を示している。ジョンズ・ホプキンズ大学のハミルトン教授も、「9・11は、テロリストが大量破壊兵器を使って欧米を攻撃する危険が、抽象的な脅威ではなく、現実問題であることを示した」と指摘している。

このことから、イラクがABC兵器に関する国連の査察を拒否し続けた場合、米国が将来イラクに対する軍事攻撃に踏み切り、ABC兵器の製造施設を破壊しようとするのは、ほぼ確実である。

さてこの戦争が日本にとって大きな意味を持つ理由は、一九九一年の湾岸戦争の中にある。当時、日本とドイツは、憲法の制約を理由に米軍を中心とする多国籍軍に対して、戦闘部隊の派遣などの軍事貢献を行わず、日本が九0億ドル、ドイツが六0億ドルの資金援助を行うにとどめた。日独は多額の戦費を拠出したにもかかわらず、軍事貢献を拒否したことで、米国の議会関係者やマスコミから厳しく批判された。あれから十一年経った今、似たような状況が我々の目の前に現われようとしている。しかも前回はイラクのクゥェート侵攻という、誰の目にも明らかな国際法違反があったのに対し、今回の作戦の根拠は、「イラクが大量破壊兵器を保有し、テロリストを援助している」という米国の主張であり、国際社会は明白な証拠を見せられていない。前回以上に、軍事攻撃の大義名分が曖昧で、アラブ諸国の反発を招く恐れが高い作戦なのである。

対イラク戦争の可能性が強まっている中で、日本はどう行動するべきなのだろうか。この問題を検討するために、十一年前に日本と同じ理由で派兵を拒否して、米国から批判を浴びたドイツが、どういう道を取ろうとしているかについて、考えて見たい。

ドイツのシュレーダー首相は、同時多発テロの翌日に早くも連邦議会で、米国を全面的に支援する政府声明を出した。特に注目されるのは、シュレーダーがこの中で「私は米国の大統領に対して“無制限の連帯”を約束した」と明言していることだ。彼は「無制限」という言葉を二度繰り返して、強調している。さらに「我々は米国が希望するあらゆる形の支援を提供する」とはっきり述べた。このことは重要である。無制限の連帯そして「あらゆる形の支援」という言葉は、軍事貢献を含むからである。つまり事件発生の翌日という、テロの全体像が完全に把握できていない時点で、すでにドイツ政府は、軍事貢献も含めて、米国を全面的に支援する姿勢を明確に打ち出したのである。

なぜドイツはこれほど迅速に、踏み込んだ発言をできたのだろうか。その理由は、ドイツが第二次湾岸戦争で屈辱を体験した後、十年の時間をかけて、憲法論議も含めた様々な「宿題」をこなし、米国と他の欧州諸国と歩調を合わせる方向に、安全保障政策を大きく転換させてきたことである。私はドイツへ来た一九九0年以来、日本同様に第二次世界大戦の敗戦国であるこの国が、その安全保障政策を大きく変える様を目の当たりにして強い関心を抱き、取材と執筆の重点の一つとしてきた。

 第二次世界大戦中にナチスが欧州諸国に与えた被害に配慮して、戦後の西ドイツはNATOやEUなどの国際機関に身を埋めて単独行動を避け、軍事作戦への参加については日本と同じく消極的な態度を貫いてきた。特に戦中派のコール首相は、湾岸戦争だけでなく、当初は旧ユーゴでの平和維持活動についても、派兵に消極的だった。

だが旧ユーゴ内戦でドイツ軍兵士がアドリア海での哨戒活動に参加したり、NATOの空中警戒管制機に搭乗したりしたことが合憲かどうかをめぐって、連邦憲法裁判所に持ち込まれた訴訟が、一種の露払いの役割を果たした。裁判所が一九九四年に下した判決で、ドイツ政府は、「ドイツ軍が平和維持活動のために、NATO加盟国以外の地域に派兵することは合憲」というお墨付きを得たのである。これ以降、ドイツ軍は他のNATO加盟国とともに、内戦後のクロアチアやボスニアに戦闘部隊を送り、平和維持活動に積極的に参加するようになる。

だがドイツの安全保障政策を何よりも決定的に塗り替えたのは、一九九九年のコソボ危機で、ドイツ軍がNATOのセルビア空爆に参加し、戦後初めて他国への軍事攻撃に加わったことである。コソボ情勢が悪化していた一九九八年秋には、ドイツ軍を初の武力行使に参加させるかどうかについて、連邦議会で激論が戦わされたが、「セルビア人によるコソボのアルバニア系住民に対する弾圧に歯止めをかけるには、武力介入しかない」という政府の主張が受け入れられ、議会は圧倒的多数で参戦を承認している。

つまり、ドイツはすでに三年前に米国や他の欧州諸国と共同歩調を取り、戦争に参加するというルビコンを渡っているのである。私はある時シュレーダー首相に、「コソボで初めて武力行使に参加したということは、ドイツが軍事貢献については消極姿勢を貫くという基本原則に、別れを告げたということか」と質問したことがある。彼は「ドイツは分割状態が終わったのだから、同盟の中でいつまでも特別な立場を理由として、責任を回避することはできない。ドイツは戦争中、各国に被害を与えたのだから、今度は我々が被害を防ぐ番だ」と答え、米国など同盟国と足並みを揃えることが、ドイツの利益だという姿勢を示した。

シュレーダーが同時多発テロの翌日に、「あらゆる形の支援をする」と断言できた背景には、湾岸戦争以降の十一年間に、ドイツ人が域外派兵をめぐる憲法論議、議会での論戦、初の軍事攻撃参加というステップを踏んできたという事実がある。戦後西ドイツがナチスの過去と対決する姿勢を貫き、あくまでもNATOの枠内で行動する道を選んできたため、軍事貢献の増大も、周辺諸国から歓迎されこそすれ、批判されることは全くなかった。

実際、ドイツは三九00人の兵士を対テロ作戦「永続的な平和」に参加させており、アフガニスタンではすでに特殊部隊KSKの兵士百人が、タリバンやアル・カイダの残存勢力を掃討するための地上戦に加わっている。またドイツはフリゲート艦など六隻からなる艦隊をアフリカ沖に派遣したが、これはドイツ海軍の実戦任務としては戦後最大の規模である。これとは別に、ドイツは国連のアフガニスタンでの平和維持活動にも、一二00人の将兵を派遣している。

シュレーダーは、米国を全面的に支持する理由として、米独間の歴史を引き合いに出す。第二次世界大戦中、米国は多大な犠牲を払って、ナチスの暴力支配から欧州を解放するために大きく貢献したほか、冷戦時代には、ヨーロッパに大部隊を配置し、ワルシャワ条約機構に対して欧州を防衛するという重責を担っている。特に米国のプレゼンスがなかったら、西ベルリンは共産側に飲み込まれていたかもしれない。さらにベルリンの壁崩壊後、欧州諸国が強いドイツの出現に懐疑的だったのとは対照的に、ブッシュ大統領の父親は、統一を全面的に支持した。このことは、ドイツの指導層によって深い感謝の念とともに記憶されている。つまりドイツは戦後半世紀経って国家主権を回復できたことについて、米国に負う所が多いのだ。

さらにシュレーダーは直接言及していないが、米国との連帯の背景には、経済的な思惑もあろう。米国はフランスに次いで二番目に多くドイツ製品を輸入する、通商上で重要なパートナーであり、長期的に良好な関係を保つことは、ドイツの国益にかなう。

ただしドイツにとっても、グローバルな規模で行われる対テロ戦争への参加は、決して容易な決断ではなかった。欧州を遠く離れたアフガニスタンでの任務は、コソボ危機とは比較にならないほど大きな危険を伴うからだ。ドイツ外務省のG・プロイガー外務次官は、国連やワシントンに駐在した後、フィッシャー外相の腹心として、コソボ危機・同時多発テロという重大局面で、ドイツが安全保障政策の舵を切る作業を、黒子として支えてきたベテラン外交官である。

プロイガー次官は私の取材に対して、「アフガニスタン派兵によって、テロとの戦いの中で国際的な責任を負うことは、我々にとって政治的・心理的に過去と一線を画す、困難な決定であった」と述べ、対テロ戦争への参加することの危険を強く意識していることを伺わせた。「テロリズムの根を断つには、政治的、経済的、社会的な政策を含んだ包括的な対策が必要である。しかし、危機管理のためには軍事的手段を避けて通ることはできない。米国に対して連帯を示すという意味からも、我々はテロに対する戦いに軍事的側面からも参加することを決めたのである」。彼は、米国に軍事的手段を含めて無制限の連帯を示すという首相の決断については、その後連邦議会などで盛んに議論が行われ、議員たちによって承認されたことを指摘し、軍事攻撃への参加を含めた国民的合意が出来上がっている点を強調した。

さてドイツは、米国がイラク攻撃を決定した場合、どういう態度に出るのだろうか。私はベルリン西部の目抜き通り・クアフュルステンダムに近い、重厚な建物の門をくぐった。ドイツ連邦首相府に直属のシンクタンクで、政府や議会に安全保障・外交政策に関する助言を行う研究機関「政治科学財団(SWP)」である。C・ベルトラム所長の語り口は、明快かつ率直だった。「米国がイラク攻撃を決定した場合、ドイツは軍事攻撃への参加を拒否して、資金援助だけで済ますことはできない。これは政府部内で主流となっている見解であり、今年秋の選挙で誰が首相になっても変わることはないだろう」。つまり、ドイツは前回の湾岸戦争の二の舞を避けるために、対イラク戦争が勃発した場合には、軍事貢献を行う方針を固めているのだ。

ベルトラム所長によると、ドイツがどのような形で軍事貢献を行うかについては、まだ決定されていない。彼は、イラクに侵攻する攻撃部隊の主力は米英軍になるため、ドイツが直接攻撃に参加する可能性は低いと見ている。むしろ、イラクがイスラエルやトルコなどの周辺諸国を攻撃する事態に備えて、ドイツ軍がこれらの国々の防衛任務を負う可能性が高いとベルトラム氏は語る。

実際、ドイツは核、生物、化学兵器が戦場で使用された場合に、放射能や細菌などを検知できる特殊装甲車「フクス」と、ABC兵器に対応できる防護部隊を、同時多発テロ発生後に、クウェートに移動させており、対イラク戦が始まった場合に、この部隊が周辺国を守る任務につくことは、十分に考えられる。ではなぜドイツは、イラクに対する戦争に関して軍事貢献を行う決意を固めているのだろうか。

ベルトラム所長は米国一辺倒の人物ではなく、「テロリズムを軍事手段だけで根絶することは不可能であり、警察・情報機関の強化と、貧困などテロ組織がはびこる土壌を第三世界から減らすことの方が重要だ」という意見を持っている。そして米国が対テロ戦争の行方について、欧州諸国と十分に協議しようとしないことや、イラクや北朝鮮などを悪の枢軸と決めつけた態度にも、不満を抱いている。

それでも、彼が対イラク戦争でドイツは軍事貢献をせざるを得ないと考えている理由は、米国が深めつつある単独主義(unilateralism)に歯止めをかけるためだという。

「ヨーロッパ諸国は、米国の単独主義を批判するだけで、自主的に独自の政策を実行できない。つまり、米国の単独主義は、欧州が無力であることの裏返しなのである。我々は、説得力のある独自の政策を遂行しなくては、米国が一目置くようなパートナーになることは出来ない。つまり我々が行動することこそが、米国がさらに単独主義を強めることを思いとどまらせるための、最良の道なのである」。ドイツが十一年前とは異なり、軍事貢献を行おうとしている背景には、危険な任務を引き受けることによって、米国に対して自分たちの努力を見せ、米国の対等なパートナーに近づこうという意図がある。何らかの貢献をしなくては、米国に対して発言権を持ち、同じ土俵に上ることはできないというわけだ。

では我々日本人は、どう行動するべきなのだろうか。まず日本政府は、米国とイラクとの軍事衝突を防ぐために、イラクが国連の査察を全面的に受け入れるように、外交努力を強化するべきだ。しかし同時に、我々はイラクが査察を拒否して、米軍のイラク攻撃が避けられなくなる事態についても、準備を整えておく必要がある。十一年前には憲法の制約を理由に、紛争地域への戦闘部隊の派遣を拒否していたドイツすら、軍事貢献を行おうとしている。日本が再び軍事貢献を拒否し、資金援助だけにとどめる場合、我々がこれまで以上に西側先進諸国の中で孤立することは間違いない。

私自身は、米国が戦後日本の民主化と経済発展の過程を助けたこと、現在も貿易・防衛の面で日本にとって最も重要なパートナーであることを考慮すると、米国が国連決議に基づいて軍事行動に踏み切る場合、他の同盟国とともに軍事面で協力することは、それが攻撃への直接の参加でない限り、日本の国益にかなうと考える。

米国から一目置かれる存在になるためには、圧力によってではなく、独自の判断で軍事貢献を行う必要がある。また大量破壊兵器の拡散を防ぐことは、米国だけでなく日本にとっても重要であり、イラクが国連の査察を拒否し続け、国際社会がそうした態度を放置しておいた場合、将来他の国々がイラクのやり方を模倣する危険がある。

その意味で、私は対イラク戦争で、日本が周辺の中東諸国の防衛任務など、間接的な軍事貢献を行うべきだと考える。日本政府が今回も後手に回り、十一年前の失態を繰り返した時、日米関係は深い傷を負うだろう。米国にとって、冷戦並みの重要度を持っている対テロ戦争で、我が国がどう振る舞うかは、今後数十年間の日米関係に大きな影響を及ぼすに違いない。

さて対イラク戦争で軍事貢献を行う場合には、紛争地域に自衛隊を派遣することになるため、憲法論議を避けて通ることはできない。同時多発テロの直後に、日本政府が突っ込んだ憲法論議を避けて、あわてて成立させたテロ対策特別措置法では、対イラク攻撃作戦に関する軍事貢献までカバーすることは不可能だ。私は憲法の戦争規定の見直しと、有事法制について、国民を巻き込んだ、オープンな憲法論議を今すぐ始めるべきだと考えている。

確かに太平洋戦争後に我々が手にした平和憲法は、崇高な理想に基づいているが、当時と今日を比べると、日本だけでなく世界の情勢も大きく変化していることを、無視するべきではない。米国との戦争で疲弊し、焼け野原からの復興に乗り出した半世紀前の日本と、先進国首脳会議に出席するだけの経済力を持ち、民主主義国のサークルの一員として認知されている今日の日本との間には大きな違いがあり、憲法を国情や世界情勢に適応させていくことは、決して恥じるべきことではない。日本は、九八年に三七0億ドルという膨大な費用を防衛のために回しており、防衛支出の絶対額では、すでに世界第四位の軍事大国である。それにも関わらず、憲法第九条第2項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という規定をそのままにしておくのは、外国から見ると憲法が形骸化しているか、政府が憲法を無視しているようにしか見えない。

また東西対立が終結したことによって、これまで冷戦の枠内に封じ込められていた様々な矛盾が噴出し、局地紛争やテロが増え、世界が冷戦の時代に比べて危険になったことは、旧ユーゴの民族紛争やインドネシアの騒乱、同時多発テロ、身近な所では地下鉄サリン事件などを思い起こせば、誰の目にも明らかである。「国の交戦権は、これを認めない」という憲法の規定も、太平洋戦争の傷痕がうずいている昭和二十年代には心情的に理解できても、どのような予想外の事態が生じるかわからない二十一世紀には、もはや時代の要請に答え切れていないのではないか。日本だけが戦う権利を放棄しても、ほとんどの外国は戦う権利を放棄していないからだ。

世界中の国際紛争や民族対立に関する情報が、日本よりもはるかに多く流れ込んでくるドイツに十二年間住み、旧ユーゴの国々やイスラエルなどを頻繁に訪れている私には、政府が自国民を守ったり、国連の決議に基づいて、他国とともに軍事作戦を遂行したりする権利を持つのは、当然と思われる。第九条第1項を「侵略戦争は、これを放棄する」と変更して、かつて日本やドイツが行ったような、国連の決議などに基づかずに他国を侵略する可能性を閉ざす。さらに軍隊の派遣には国会の事前承認を義務づければ、平和憲法の精神は十分守ることができると私は思う。

日本が憲法を改正して紛争地域への派兵を可能にする場合に、私が強く懸念するのは、第二次世界大戦中に日本が被害を与えた周辺諸国が抱く不安感である。戦後NATOやEUの一員として単独行動を避け、ナチスの過去と対決する姿勢を半世紀近く示し続けてきたドイツと異なり、日本はアジアにおける信頼醸成措置を長い間怠ってきた。その結果、アジア諸国の日本に対する不信感は消えていない。米国の軍事的な庇護の下で、日本が経済成長に専念する一方、倫理的外交を置き去りにしてきたために、我々は周辺諸国から常に批判される隙(すき)を作ってきた。このため日本が軍事貢献の度合いを高める場合、周辺諸国から批判を招く恐れがある。過去半世紀のつけが、今我々に突き付けられようとしているのだ。

私は、アジアの緊張を減らし、日本の軍事貢献が他国に不信感を与えるのを防ぐには、この地域にNATOのような集団的安全保障のための機関を作るべきだと考えてきた。米国の対イラク戦争を前にして、そうした組織を創設しようとするのはすでに泥縄式であるが、日本が米国を支援するために軍事貢献を行うには、アジア版NATOの創設など、周辺諸国の不信感を取り除くための措置を、同時に進める必要がある。そして日本が原則的には単独ではなく他国と共同で軍事行動を取ることを制度化することも、他国の不安を和らげることにつながるだろう。

もちろん日本では「不磨の大典」を変えたくないという感情が強いことも理解できる。このため、日本国民が、日米関係に亀裂を生じさせ、国際社会で孤立することを覚悟の上で、「日本は紛争地域に派兵をしない」という立場を貫き、対イラク戦争への関与を再び資金援助にとどめることも、国家の一つの選択である。しかしいずれにしても、国民の意見が十分に反映されるような、真剣な論争を国会で繰り広げてからにして欲しい。どちらの道を選ぶにしても、憲法論議はできるだけ早く始めるべきだ。防衛庁の情報公開申請者リスト問題や、官房長官の核兵器保有をめぐる問題発言も確かに重要であるが、それを理由に有事法制に関する議論を棚上げにしてしまうのは、理解できない。国連がサダム・フセインに最後通牒を突き付けてから、国会で泥縄式の議論を始めるのでは、遅すぎるのである。

私は、テロ対策特別措置法のように日本の針路を大きく左右するような法律が、国民を巻き込んだ十分な議論なしに成立したことに、強い懸念を抱いている。日本が進みつつある道は、国民に犠牲を強いる可能性があるからだ。軍事貢献に伴う危険についての意識を高めるには、徹底的に議論を行う必要がある。アル・カイダのような国際的なテロ組織は、米国を支援し、テロリストを摘発する国家に対して報復を行う可能性があるからだ。日本に多数ある米軍基地や大使館・領事館がアル・カイダの攻撃目標になる恐れもある。

たとえば、ドイツはアル・カイダの軍事キャンプで訓練を受けたイスラム過激派組織のメンバーを逮捕しているが、今年四月にはチュニジアで自爆テロが発生し、ドイツ人観光客十四人を含む二十人が殺害されている。捜査当局はこの事件について、ドイツ政府がテロ組織への取締りを強化していることに対する、報復だった可能性もあると見ている。つまり、米国の対テロ戦争を支援することによって、自衛隊員ばかりでなく、我が国の民間人に犠牲者が出る可能性もあるのだ。それだけに、軍事貢献に際しては、国会などで議論を尽くして、事前に国民的合意を形成することは、極めて重要である。

ドイツがコソボ危機に軍事介入するべきかどうかをめぐる審議が、ドイツ議会で行われた時、ある議員は「我々は若い兵士たちを戦場へ送る決定をすることになるが、この任務によって、彼らは命を落とすかもしれない」と述べ、議員たちの責任の重さを強調している。対テロ戦争において軍事貢献を行うことの重みを、我々は十分意識しているだろうか。テロ対策特別措置法が成立し、自衛隊に米軍への支援を行わせることを決定した時、我々の代表である国会議員たちは、そのことによって日本人の命が失われることになるかもしれないということを意識しながら、票を投じたであろうか。

これまで日本では安全保障問題というと、政治家もマスコミ関係者も議論を避けようとする傾向があった。私は同時多発テロ以降、日本と外国の間の安全保障に関する意識のギャップが、一段と開きつつあることに、強い懸念を感じる。米国がイラクを攻撃する際に、日本が軍事貢献をするにせよ、資金援助にとどめるにせよ、真っ向から憲法問題について議論することを避けないで欲しい。世界第二位の経済大国で、自主的な外交・安全保障政策が不在という異常事態をいつまでも放置することは許されない。日本が国際的な責任を果たし、周辺諸国、欧米諸国から一目置かれる国になるための第一歩は、タブーを作らずに議論を行うことではないだろうか。