サッカー・ワールドカップ 特集

ミヒャエル・バラクは東西ドイツ間の「見えない壁」を破れるか?

 

旧東独人の中で、統一後すべてのドイツ人から注目を浴び、世界的な栄光を手にした人は、ほんの一握りしかいない。メルケル首相と並んで、その数少ない栄誉に浴したのが、ドイツ・ナショナルチームの主将、ミヒャエル・バラク選手(二十九歳)である。

左右どちらの足でも鋭いゴールを決められる、ドイツチーム最強のキッカーであるバラクは、この国でも数少ない、世界的プレーヤーへの道を進んでいる。

* 東独のスポーツエリート

バラクは、ドイツの東半分が社会主義国だった一九七六年に、ポーランド国境に近いゲルリッツで生まれ、少年時代をザクセン州の工業都市カール・マルクス・シュタット(現ケムニッツ)で過ごした。彼は東独のスポーツ選手のエリート養成校だった、スポーツ・ギムナジウムに通い、頭角を表わす。十歳の時から、地元のサッカークラブであるFCカール・マルクス・シュタットでプレーを始めた。

ドイツ統一後は、旧西独のカイザースラウテルン、レーバークーゼンのチームに加わり、ブンデスリーガで優秀な記録を残す。二00二年からは名門FCバイエルン・ミュンヘンで活躍して、サッカーファンの血をわかした。

今年五月には、英国チェルシーで三年間プレーする契約に調印し、本格的に国際的プレーヤーとしての道を踏み出すことになった。ロシアの富豪をスポンサーに持つチェルシーが、バラクに払う報酬は公表されていないが、英国のマスコミは少なくとも年間一千万ユーロ(約十四億円)にのぼると報じている。これはドイツのサッカー選手に対する報酬としては、最高金額である。旧東独人としては、最も輝かしいサクセス・ストーリーである。

* 「13」の背番号が示す自信

バラクを知る人々は、少年時代はおとなしい性格だったと語るが、サッカーに関しては野心家として知られる。その強い自信は、FCバイエルン・ミュンヘン時代のユニフォームに、キリスト教国では不吉な数字である「13」の背番号をあえて選んでいることにも現われている。

宗教的な迷信をものともしない、能力を持っていることを示したいのだろう。同時に、彼が少年時代を社会主義国で過ごしたことも影響している。「宗教は阿片だ」とするカール・マルクスの学説が重んじられた社会主義時代の東独では、キリスト教の影響が弱く、信者の数も西独に比べるとはるかに少なかったのである。

* 統一の後遺症は続く

バラクが選手としての人生を歩み始めたケムニッツでは、就業希望者の六人に一人が失業している。今年五月の旧東独の失業率は十七・四%で、旧西独の九・二%を大幅に上回っている。

統一から十五年以上経った今も、旧東独の経済復興は進んでいないのだ。ドイツ政府は、一九九一年から十二年間に、一兆四千億ユーロ(約百九十六兆円)もの資金を旧東独に注ぎ込んだが、旧東独の生産性は、西側の七割にしか達していない。

そのかわり賃金水準だけは、西側に急速に近づいたため、企業は旧東独を通り過ぎて、労働コストが安いチェコやポーランド、ハンガリーなどに工場を建設している。このため、旧東独には投資が進まず、新しい雇用が生まれないのだ。

旧東独の若者たちは、次々に旧西独に移住しており、今も旧東独の人口は減りつつある。東西ドイツの人たちと話をすると、統一直後に比べて、お互いに対する反感も強くなっているという印象を受ける。旧東独の経済水準が西側に匹敵し、東西ドイツの真の統一が達成されるまでには、まだ何十年もかかるものと見られている。東西ドイツの間には、今も目に見えない壁が残っているのだ。

* 旧東独市民の期待の星

こうした中、ワールドカップはドイツ人たちが一丸となってナショナルチームを応援し、西と東の違いを忘れられる、数少ない瞬間である。経済困難に悩む旧東独の人々、特に若者たちにとっては、自分たちの地域からの出身者が、ナショナルチームを率いることは、大きな希望を与えるだろう。

彼のサクセス・ストーリーは、素晴らしい業績さえ示せば、出自は問われないという、自由主義社会の象徴でもある。彼が旧西独人からも応援されていることは、東西間の目に見えない壁を崩すきっかけとなるかもしれない。

桧舞台ワールドカップで、バラクはどのような妙技を見せるだろうか。旧東独の人々は、固唾をのんで見守っている。

北海道新聞文化面掲載(2006年6月7日)