熊谷 徹 発表論文・記事一覧  その5

    
 朝日新聞社 旧・朝日ジャーナル (1992年5月廃刊)         

番号 発表時期 タイトル 内容
1 1991年
9月27日
50年目の墓標

侵略の傷痕めぐる
ドイツ人の旅
ドイツがソ連に侵攻してから50年目を記念して、ベルリンの平和団体「つぐないの証し」が、ナチスがソ連に残した傷痕を訪れるドイツ市民のツアーを企画した。その中には、かつてロシア戦線で戦った元兵士たちの姿もあった。

彼らは、白ロシアやウクライナでドイツ人が虐殺を行った村を訪れ、生存者から証言を聞いて回った。ドイツ人たちが、戦後半世紀経っても、過去との対決を続けるのはなぜか。筆者が過去の傷痕をめぐる旅に同行して、レポート。
1991年
11月22日
ロケット開発に
とりつかれた男たち

V2号チームの半世紀
1991年9月、旧東ドイツ北部のウゼドム島にある、ペーネミュンデに、この地で世界初の長距離ロケットV2号を開発した科学者やエンジニアら230人が集まった。故ヴェルナー・フォン・ブラウンとともに、ナチスドイツのために、ロケット兵器を開発した彼らの中には、その技術を買われて米国に移住し、NASAのアポロ計画に協力し、人類初の月着陸に貢献した者も多い。ドイツ統一によって、彼らは初めてペーネミュンデで同窓会を開くことが可能になったのだ。

しかし、参加者の中には、アポロ計画が終了した後、米国の司法当局から「強制収容所の囚人にV2号を製造させ、残虐行為に加担した」と追及され、米国の市民権を捨ててドイツに帰らざるを得なかった不遇の技術者もいた。「自分たちは科学と技術の発展に貢献したのであり、政治には関心がなかった」と彼らはしばしば主張するが、V2号がモラルなき権力のために開発された事実は否定することができない。科学者としての栄光に包まれながらも、戦争によって運命を翻弄された男たちの姿を描く。
1992年
2月14日
旧東独の
権力犯罪解明を阻む厚い壁
東西ドイツ間の壁を越えようとした市民への射撃命令など、東ドイツの社会主義政権がおかした国家犯罪について、ドイツの司法当局は特別捜査本部を設けて、刑事訴追にあたってきた。しかし、権力犯罪の解明は、検事の不足、証拠隠滅、東西ドイツの刑法の違いなどによって、遅々として進まなかった。

またこの種の犯罪の捜査は、当時の西ドイツの政治家の東ドイツとの関係など、灰色の部分にも光を当てる可能性があるため、ドイツ政府も本音の部分では、及び腰だった。権力犯罪捜査本部のクリストフ・シェーフゲン検事へのインタビューを交えて、国家による犯罪解明の難しさを浮き彫りにする。
1992年
4月10日
スーパーマーケットか
悪夢の記憶か
旧東ドイツ・フュルステンベルグにある、ラーベンスブリュック強制収容所の近くに、旧西ドイツの企業がスーパーマーケットを建設するという計画が明らかになり、世界中から抗議が殺到したため、開店は中止された。この問題の背景には、社会主義時代の東ドイツでは、「自分たちはナチスと戦った共産主義者の国」という意識が強かったため、ナチスの過去と批判的に対決する姿勢が、西側に比べて表面的で、収容所に属する敷地にスーパーを建てることを問題視する意識が育たなかったという事実がある。

大量失業に苦しむ地元の住民たちにとっては、雇用を生むスーパーの方が重要だったのである。強制収容所を生き延びた元囚人たち、慰霊施設の館長、フュルステンベルグ市長へのインタビューを交えて、東西ドイツの間に横たわる、ナチスの過去に関する認識のギャップを明らかにする。