ドイツ総選挙の異常事態・二大政党はなぜ共に「敗北」したのか
今年九月十八日に投票が行われたドイツ連邦議会選挙では、日本と同じく構造改革が争点だった。しかし、日本の総選挙で与党が圧勝したのに対し、ドイツでは与野党ともに過半数を確保できないという、対照的な結果となった。私はドイツ統一以来、多くの選挙を観察してきたが、与野党とも「敗北」し、新政権の大枠が決まるまでに、投票から三週間もかかるという異常事態は、初めてである。
混乱の原因は、アンゲラ・メルケル率いるCDU(キリスト教民主同盟)と姉妹政党CSU(キリスト教社会同盟)の得票率と、与党SPD(社会民主党)の得票率の差が、わずか一ポイントにすぎなかったことである。最終得票率は、CDU・CSUが三五・二%、SPDが三四・二%。わずか四議席の差である。
この開票結果は、七年ぶりの政権奪還を狙っていたCDU・CSUだけでなく、マスコミや世論調査機関に強い衝撃を与えた。これほどの僅差になるとは、誰も予想していなかったからである。世論調査で定評のあるアレンスバッハ研究所は、投票二日前の時点で、CDU・CSUの得票率を四一・二%、SPDを三二・五%と予測し、約九ポイントの差がつくと見ていた。特に、CDU・CSUの得票率が、前回の連邦議会選挙の得票率(三八・五%)を下回ったのは、大きな番狂わせだった。
しかもCDU・CSUは、通常の連立相手であるFDP(自由民主党)の議席を加えても、過半数に達しなかったため、SPDや緑の党と連立の道を探らざるを得なかった。CDU・CSUは、十月十日にようやく、メルケルを首相とする大連立政権の樹立について、SPDと合意した。
ドイツで女性が首相になるのは初めてだが、そのことを盛大に祝福する雰囲気はない。投票から三週間も、政治の空白が続いたのは異例のことであり、この国が置かれた閉塞状況を象徴するものだからである。なぜドイツの有権者たちは、二大政党に過半数を与えることを、拒否したのだろうか。
その答えを見つけるには、一九九八年の連邦議会選挙にまで、さかのぼらなければならない。この選挙でシュレーダーは、十六年間続いていたコール政権を追い落とし、緑の党とともに連立政権を誕生させた。最大の懸案は、失業問題の解決で、シュレーダーは「私の業績は、失業者数を大幅に削減できるかどうかで、判断して欲しい」と公言した。
この国では統一以来、失業者数が三00万人と五00万人の間を揺れ動き、特に二00三年以降は、失業率が十%を超える状態が続いている。その原因は、手厚い社会保障制度のために、労働コストが世界で一、二を争う高い水準になっていることである。企業の間では、労働コストが比較的低い中東欧に、生産施設を移転させる傾向が強まっている。
社会の高齢化が進み、公的年金・健康保険制度の収支が悪化する中、シュレーダーは、国内雇用を拡大するには、社会保障サービスを削減し、社会保険料を引き下げて、企業の国際競争力を強化する以外にないと考えた。社会保障支出は年々上昇し、国内総生産に占める割合が、三三%に達している。西独経済が急成長を続けていた七0年代には、手厚い社会保障制度を市民に提供することは可能だったが、経済成長率がほぼゼロに近くなっている現在、同じ水準を維持しようとすれば、制度が破綻することは、誰の目にも明らかである。
シュレーダーは、こうした状況を打破するため、社民党の伝統とは一線を画し、一八八一年にビスマルクが社会保障制度の創設を発表して以来、最も大規模な改革(アゲンダ二0一0)に着手した。具体的には、年金の支給水準を実質的に減らして、民間の年金保険の購入を奨励したり、健保の自己負担を増やしたり、失業保険の給付金を生活保護と同じ水準まで減らして、失業者が再就職するための圧力を高めたりした。
一連の改革法案が、議会を通過して実現した理由は、万年野党SPDが政権の座につき、財界寄りで改革の必要性を指摘してきたCDU・CSUも協力したためである。つまり、与野党とも、各論の違いはあれ、国民の生活水準を引き下げる形での、痛みを伴う構造改革が必要だという総論では、意見が同じだったのである。
だがこの改革は、一朝一夕に失業者の数を大きく減らし、経済成長率を高めるものではなく、効果が出るには十年単位の時間がかかる。このため、シュレーダー政権が誕生してから七年目の今年になっても、失業者数は一九九八年に比べて減るどころか、約六0万人増えている。今年二月には失業者の数が五二0万人と、戦後最悪の水準に達した。
ダイムラー・クライスラーやフォルクスワーゲンなどの大手自動車メーカーを初めとして、多くのドイツ企業がコスト削減のために、従業員削減の方針を打ち出しており、人々の不安は高まっている。労働者だけでなく、銀行や保険会社でも、合理化のために解雇される例が目立っており、安定した職種とは言えなくなった。特に中高年層の間では、「明日はわが身か」という不安が強い。連邦家庭青年省の調べによると、五0歳以上の従業員を一人も雇用していない企業は、全体の四0%にのぼる。
経済成長率も、二00三年にはマイナス0・三%、去年は一・六%と低かったが、今年も内需の低迷によって、0・七%にとどまると予想されており、欧州連合で最下位だ。
このためドイツの有権者は、今年五月にSPDの牙城ノルトライン・ヴェストファーレン(NRW)州での州議会選挙で、シュレーダーに痛打を与えた。同州でSPDは過去四七年間で最低の得票率を記録して大敗し、CDUに政権の座を奪われたのである。人々は、改革で生活水準の引き下げを強いられる一方、改革の具体的な成果が感じられないことについて、怒りを爆発させたのである。
これを受けてシュレーダーは、「改革路線に疑義が示された」として、自分に対する不信任案を連邦議会で可決させ、連邦大統領に議会を解散して、一年早く総選挙を実施するという「鬼手」を使った。NRW州議会選挙で、改革路線に有権者が強い不満を表わし、党内でも責任問題が浮上して首相の指導力が揺らいだために、改革路線を続けるかどうかについて、国民全体の信を問うことにしたのである。
こうした中、野党CDU・CSUとFDPは、同州で勝った勢いに乗り、全国レベルでも過半数を取ると予想されていた。NRW州での選挙の直後にアレンスバッハ研究所が行った世論調査によると、CDU・CSUへの支持率は四六・九%に達し、SPDの二七・四%に対して約二0ポイントもの差をつけていた。また回答者の七五%が、CDU・CSUが勝つと予想していた。ところが、両党の間にあった二0ポイントの差は、投票日に、わずか一ポイントに縮まってしまったのだ。この三ヶ月間に何が起きたのだろうか。
最大の理由は、有権者が「メルケルが首相になっても、改革路線が継続される」という事実を悟ったことである。メルケルは、「有権者に対する正直さ」を重視するとして、選挙戦の最中に、「私が首相になったら、失業保険料率を引き下げるために、付加価値税を引き上げる」と宣言した。
また、「税制を簡素化するために、所得税率を一律二五%にする」と主張していた経済学者を閣僚に加えると発表したが、富裕層に有利で、低所得者には不利な政策だと批判されて、その方針を取り下げた。さらにメルケルは、中小企業で労働者を解雇から守っている法律を緩和し、経営者が合理化を実行しやすいようにすることなど、市民を幻滅させるような「公約」を次々に発表した。
メルケルは党のホームページの中で、有権者に対して「私は、皆さんが国の将来や、家族、自分の人生について、不安を抱いていることを、真剣に受け止めます」と述べている。しかし同時に、彼女が選挙戦で強調したのは、社会保障改革を継続するという固い意志であり、どのようにして雇用不安を減らすかという方策ではなかった。シュレーダーとのテレビ討論でも、メルケルは「政権交代の必要性」を繰り返すだけで、失業者を減らす具体的な方法などを提示するには至らなかったため、視聴者に好印象を与えなかった。
つまり、有権者は二大政党に過半数を拒否することで、シュレーダーとメルケルがともに進めてきた構造改革に「ノー」のメッセージを送ったのだ。一方、構造改革に唯一反対している左派連合は、得票率を前回の選挙の二倍に増やして八・七%とし、会派として連邦議会に議席を持つことに成功した。
左派連合は旧東独の政権党の後身・PDS(民主社会主義党)とSPDを脱退した左派議員が結成した党で、SPDから九七万票、CDU・CSUから二九万票を奪うことに成功している。欧州諸国には、伝統的な政党が自由に身動きを取れず、左派の弱小政党に有権者が移動するという状況について、「ワイマール時代を思わせる」とコメントする論調も見られる。
ミュンヘン大学・応用政治学研究センター(CAP)で国内政治研究グループを率いるマヌエラ・グラープ女史は、ドイツ人の間で、二大政党は失業問題などを解決する能力がないという、あきらめの気持ちが強まっていると指摘する。
「人々は将来への不安を解消してほしいという強い欲求を持っていますが、どの党も、人々に対して問題を解決できるという印象を与えることができませんでした。このことは、政党への信頼感の喪失につながっています」。戦後ドイツで、首相が有権者によって追い落とされたのは、一九九八年だけだったが、この時にはシュレーダーが、十六年間政権に居座り続けたコールに不満を持っていた人々に、変革の必要性を納得させることができた。これに対しメルケルは、政権交代が状況の改善をもたらすという希望を与えることができなかったのである。
社会保障改革について与野党の意見が一致していることに象徴されるように、両党の政策の違いは見えにくくなっており、投票する時に迷ったと語る有権者は多い。「六0年代には、米国との同盟や東方政策をめぐる議論に見られるように、CDU・CSUとSPDの間には、イデオロギー上の原則をめぐって、大きな違いがありましたが、現在ではそのような対立がなくなっています。したがって、有権者の党への帰属感が弱まり、投票直前まで、どの党に票を投じるか決めていない、浮動層の割合が非常に高くなっているのです」。
グラープ女史は、ドイツでは、どの政党も、改革を避けて通ることはできないと指摘する。国民も、経済グローバル化に適応するために、改革が必要であることを、総論としては理解している。しかし、いざ自分の年金や失業給付金が切り詰められるなど、各論の段階になると反対する。
「この国では、ネオリベラル的な政策は、過半数の支持を得ることはできません。グローバル化の時代に社会的な公正をどのように実現するのか、という市民の問いかけに対して、二大政党は答えを出すことができませんでした。また二大政党は、社会的な公正を重視することを人々にアピールし、信頼感を醸成することを怠ったのです」と分析する。
つまり二大政党が、「改革は短期的に痛みをもたらすが、長期的には失業者数の削減を実現し、社会保障制度の維持につながる」という側面を、有権者に理解させられなかったことが、過半数割れに至った原因だというのだ。
今年五月にフランスとオランダでの国民投票で、欧州憲法条約が否決されたが、その理由については、「市民が欧州憲法を、“社会保障よりも経済グローバル化を重視するネオリベラリズムの象徴”と考えて、ノーの意志表示をした」という見方が有力である。
その意味では、ドイツの有権者の大多数が二大政党に過半数を与えず、改革路線を拒否したことも、両国での欧州憲法否決と同じ文脈の中にある。EU(欧州連合)のバローゾ委員長は、ドイツの選挙後のインタビューの中で「この選挙結果の背景には、市民の強い不安感がある。フランスとオランダでも、同じような感情のために、欧州憲法が拒否された」と述べ、二つの現象の根は同じという見方を示している。
ドイツ語のAngst(不安)という言葉は、英語にも取り入れられているほど、ドイツ人の国民性を象徴する言葉だ。ワイマール政権を崩壊させ、ナチスという犯罪集団を政権につけたのも、大量失業や経済恐慌への不安感だった。
今年の選挙でも、経済グローバル化と改革への不安が、伝統的な政党の行動能力を奪った。「変革」を旗印に掲げていたメルケルは、選挙のキーワードが「不安」だったことを、見落としていたのである。
さてドイツで大連立政権が成立したのは、一九六六年のクルト・ゲオルグ・キージンガー政権以来三九年ぶり。当時の大連立政権は、エアハルト首相の指導力低下や経済不況によって停滞した政局を打破するために、両党が積極的に協力して、一時的に強力な政権を作ったものであり、今回のように二大政党が過半数を取れなかったために、やむを得ず大連立政権を作ったわけではない。
首相決定までに三週間かかったことからもわかるように、CDU・CSUとSPDの混成部隊では、従来の保守連立政権に比べて、意思決定にはるかに長い時間がかかり、政治の運営能力は、大きく劣る。
また新首相メルケルの指導力には、すでに疑問の声が出ている。彼女が「ドイツのサッチャー」として、改革をさらに力強く実行することを期待していた財界は、CDU・CSUの得票率が前回を下回ったことに、強い失望を表明している。メルケルは、ドイツ統一、CDUの不正献金事件という特殊事情によって、政治の世界に足を踏み入れてからわずか二年で中央省庁の大臣、十一年でCDU党首、十六年で首相になるという、異例の急テンポで権力の階段をのぼりつめた。
このため党内の実力者からは背を向けられている。また世論に逆行して、米国のイラク侵攻直前に、ワシントンを訪れて戦争を全面的に支持したことからもわかるように、正しい助言を行う有能なスタッフに乏しい。それだけに、政局運営は茨の道となろう。前回の大連立政権は3年間しか続かなかったが、今回の政権も短命に終わることは間違いなさそうだ。(敬称略)