電気新聞  2002年9月20日から22日まで連載    揺れるドイツ電力市場
                                                           熊谷 徹


(第一回)電力市場・自由化の衝撃

 今年8月8日、ドイツ電力市場の急速な変化を象徴する出来事があった。フランクフルトに電力取引所(EEX)が開設され、電力の売買が始まったのである。欧州のエネルギ−産業とスイスの先物取引市場が出資して創設したこの取引所では、初日に約1万2000メガワット時の電力が取引された。EEXのH・シュヴァイカ−ト取締役は「三年後にはドイツの電力需要の約20%が、取引所で売買されるだろう。マ−ケットの誕生によって、価格の透明性が高まるので、電力価格は今後さらに下がる可能性がある」と語る。

 ドイツで電力取引所が開設されたのは、今年6月に旧東独のライプチヒに誕生したLPXに次いで2ヶ所目。LPXの電力取引量は、ここ数週間で6倍に増えている。こうした電力取引所の開設は、1998年4月に、ドイツが欧州連合(EU)の指令を受けて実施した、電力業界の完全自由化がなければ考えられなかった出来事である。実際、この国の電力業界の地図は、地域電力会社の独占が撤廃されたことによって、2年前から急速に塗り替えられつつあり、電力会社は待った無しの構造改革を迫られている。そこで今回は、ヨ−ロッパで最も電力会社間の競争が激しくなっているドイツから、自由化最前線の状況を3回シリ−ズでお伝えする。

 ドイツ電力産業連合会(VDEW)によると、99年のドイツの電力消費量は、景気の回復にもかかわらず、エネルギ−節約措置や暖冬によって、前年に比べてほとんど増加せず、5140億キロワット時にとどまった。これに対して電力会社などが発電した電力量は5190億キロワット時。過剰発電容量が、深刻な問題となっている。99年に電力会社が販売した電力の容量は、前年に比べて0・7%とわずかに増えたのだが、激しい価格競争の結果、売上高は逆に12・5%も減って700億マルク(約3兆5000億円)になってしまった。つい三年前まで、独占企業としての電力会社に保証されていた利益の幅は、自由化によって急速に狭まりつつある。 この価格崩壊の勝利者は、顧客である。独占に終止符が打たれたため、企業も消費者も、価格の低い電力供給会社に乗り換えることが可能になった。新しい独立の電力供給会社や、顧客のために最も安い供給者を見つける仲介業者などが、市場に参入し、特に製造企業では、コスト削減のために別の電力会社に鞍替えするのが、日常茶飯事になった。

 VDEWのG・マルキ−ス会長によると、電力価格の下落によって、99年にドイツの産業界は110億マルク(約5500億円)、一般家庭も40億マルク(約2000億円)の電力料金を節約した。製造業界では、ある企業の電力料金が50%も下がった例もあるという。マルキ−ス会長は「競争のために、電力価格は、コストすらカバ−できない水準に達している。電力会社はこのような状態を長期間持ちこたえられない」と窮状を訴える。現在ドイツには900社の電力供給会社があるが、市場関係者の間では、激しい競争と集中の結果、企業数は100社程度まで減るのではないかという予測も出ている。電力業界で働く人の数は、91年以来ドイツ統一などの影響ですでに6万8000人減っているが、過当競争のために、今後4万5000人が職場を失うという悲観的な予測もある。これは、現在ドイツの電力産業で生活の糧を得ている15万人の内、実に30%にあたる数である。

第二部 進む業界再編

 ドイツの電力市場が2年前に完全に自由化されたことによって、この国の電力会社は、激しい価格競争にさらされ、一年間に売上高が10%以上落ち込むという深刻な事態に直面している。パイ全体が縮小しているからには、電力会社が生き残る道は合併によってマ−ケットシェアを確保し、規模の経済を実現する以外にない。実際、去年から今年にかけて、ドイツでは電力会社の合従連衡に関するニュ−スが連日のように伝えられている。

 まず去年9月には、ミュンヘンの電力会社ビアグ社とデュッセルドルフのベ−バ社が合併してエオン社を作り、ドイツ最大の販売発電量(1910億キロワット時)を持つ会社が誕生した。

 しかしエオンの業界トップの座は一年も続かなかった。今年6月にエッセンのRWE社(業界第二位)がドルトムントのVEW社を事実上吸収して、エオンを追い抜き、販売発電量2120億キロワット時という欧州で三番目の規模を持つ電力会社を創設したからである。従業員約17万人、売上高432億ユ−ロ(約4兆3200億円)という巨大企業が誕生したのだ。

 新しいRWE社は「合併によって毎年24億ユ−ロ(約2400億円)のコストを削減し、従業員を1万3000人減らす」と宣言している。そして、電力業界の大競争時代に生き残るために「マルチ・ユティリティ−」(多角エネルギ−供給企業)になることをめざす。同社によるとドイツの製造企業の80%は、コストを減らすために電気とガスの供給先を一社にまとめたいという要望を持っている。また電気・ガス・水の供給だけでなく、通信、廃棄物処理サ−ビスまで一つの企業に委託したいと望む企業も増えている。RWE社がガス事業に強いVEW社を買収したのは、そうした戦略の一環なのである。「創造的破壊」をモット−とするRWE社は、電力の価格競争ではなく、提供するサ−ビスの質を高めることによって、従来の電力会社のイメ−ジから脱皮し、新しい顧客層を開拓することを狙っているのだ。合併前のRWE社の欧州市場でのマ−ケット・シェアは2・3%にすぎなかったが、同社は10年後には市場占有率を、15%に引き上げる野心を抱いている。

 また、首都ベルリンでは、旧東独の電力市場の制覇をめぐり、熾烈な買収合戦が展開されている。発端は、今年8月上旬にハンブルグの電力会社HEWが、ベルリンの電力会社BEWAGの株式60%を買収すると発表したことである。HEWの親会社は、スェ−デンの大手電力会社バッテンファル。同社の狙いは、まずBEWAGを手中に収めてベルリンに橋頭堡を築いた後、東ベルリンで褐炭を使って発電を行っているVEAGを買収し、旧東独およびポ−ランドやチェコなど中欧市場に進出することだ。

 これに驚いたのが、BEAGの株式の26%を持っている米国の電力会社サザン・エナジ−である。同社は北欧勢に旧東独マ−ケット支配の構想を横取りされてはたまらないとばかりに、今月16日ベルリン地方裁判所で、HEWへの株式売却の差し止めを求める仮処分申請を行った。北欧と米国の電力会社がドイツを舞台に、旧社会主義国の市場を奪い合うという図式は、急激な自由化に踏み切ったために、生き馬の目を抜くような競争に投げ込まれた業界の一面を端的に象徴している。

第三回 慎重なドイツの消費者

 ドイツの電力市場の完全自由化によって、エネルギ−集約型のメ−カ−を中心として、より安い電力を求めて、電力会社を変える企業が増えた。では一般家庭の消費者は、自由化にどう反応しているのだろうか。

 先日ドイツの新聞で、こんな表が目にとまった。同じキロワット時の電力を買うために、全国の電力会社の間で電気料金にどれくらいの差があるかについての一覧表である。たとえば、一年間に4000キロワット時を消費する4人家族の家庭では、旧西独のボッフム市の公共電力会社の年間電力料金が、1014マルク(約5万700円)と全国で一番安い。全国で電気料金が一番高いのは、ミュンヘン市の公共電力会社で、ボッフムよりも31%割高になっている。また新聞には電力料金の請求書の明細についての解説や、各社の電力料金を比べるには、どこに着目したらよいかなどのアドバイスが載るようになった。さらにドイツでは社民党・緑の党の連立政権が99年4月から、消費電力1キロワット時あたり2ペニヒ(約1円)の環境税を導入した。このことも、消費者が電力会社を変更してコストを下げたいと考える要因である。 実際、ドイツの電気料金は高い。たとえば私が住んでいるミュンヘン市内のアパ−トは、100年前に建てられた伝統的な住宅で天井が高いため、ガススト−ブの熱が部屋の上の方に行ってしまい、足が冷えることがある。このため電気を使った温風機も使用しているのだが、そのことが原因で、消費電力量が高くなり、ミュンヘン市の公共電力会社に支払う電気代(売上税・環境税込み)は、1年で2454マルク(約12万円)にも達している。購買力を加味すると、これは日本円の24万円に近い感覚である。

 そこで、インタ−ネットでドイツ初の民間の電力供給会社「イエロ−」のホ−ムペ−ジを覗いてみた。同社はバ−デン・ヴュルテンベルグ州の公共電力会社EnBWの子会社である。ウエブサイトで見積りした所、現在の電力消費量をイエロ−で買えば、22%電気代を節約できることがわかった。年間544マルクの節約は、馬鹿にならない。私は早速、イエロ−に契約書を請求した。

 このように消費者にとっては、電力会社の変更は実に簡単だ。新しい電力会社に契約書を送らせて署名し、元の電力会社の請求書のコピ−とともに、送り返すだけだ。すると新しい電力会社が、元の電力会社に連絡を取って、電力供給を引き継ぐ。

 創立からちょうど一年になるイエロ−のM・ツェル社長によると、従来の電力会社から同社に乗り換えた顧客は、35万人。しかしツェル氏によると、ドイツの消費者の内、民間の電力供給会社に乗り換えたのは、これまでのところ2%にすぎない。このため同社は、最初の1年で130万人の顧客を獲得するという目標を下回ったことになる。

 市場調査会社ifmによると、ドイツ人の既存の電力会社への信頼感は意外に強く、安い電力会社を選んだ場合に、停電が起きないかどうか心配する消費者が多い。これが、価格だけで電力会社を変える消費者が少ない理由だという。

 しかし市場の自由化によって、ドイツの消費者の間で「電力も価格に差がある商品だ」という意識が強まっていることは確かだ。他社に差をつけ、消費者のハ−トをとらえるために電力会社が様々な工夫をしなくてはならないことだけは、間違いない。電力会社の戦国時代はまだ始まったばかりなのである。