週刊 ドイツニュースダイジェスト 2001年11月3日号掲載 熊谷 徹

テロ組織の資金源を断て

副題      銀行口座のプライバシー制限に踏み切るドイツ政府

 

9月11日に世界貿易センターに突っ込んだテロリストの一人が持っていた航空券は、ファーストクラスだった。ボストン・ロサンゼルス間のその片道航空券の値段は、1197ドルだった。操縦席に近い座席を取るためだったのだろうが、安い買物ではない。彼らはドイツや米国に数年間居住し、航空学校に通ってきちんと授業料を払い、中産階級の人々が多い地域に家族とともに暮らしていた。ドイツでは当局の目にとまらないように、テレビの受信料まで払っていた。テロリストの一人は、攻撃決行の前夜にフロリダのバーで酒を飲み、従業員に財布につまった100ドル紙幣の束を見せびらかしている。極貧と窮乏生活に耐えて、西側社会に復讐するというこれまでのテロリストのイメージからは、かけ離れた姿である。

- 資金洗浄をキャッチせよ

こうした事実から、彼らの背後にあるテロ組織「アル・カイダ」が相当潤沢な資金を持っていることが想像できる。このため今年10月6日にワシントンで開かれたG7(主要経済7ヶ国)の財務相会議で、日米欧は国際テロ組織の資金の流れを断つための、行動計画を採択した。欧米諸国は単に軍事面からだけではなく、経済面からもテロリストに対する宣戦布告を行ったわけである。テロ組織の資金の動きをキャッチする上で、特に重要なのがマネー・ローンダリング(資金洗浄)の摘発である。テロ組織は、構成員に渡す資金の出所をわかりにくくするために、いくつもの銀行口座の間で送金を繰り返したり、大量の商品を購入して、別の国で転売したりする。最近では資金洗浄のためにクレジットカードを使うなど、複雑な手法が用いられている。このためOECD(経済協力開発機構)のFATF(資金洗浄に関する特別行動委員会)は、「マネー・ローンダリング」を金融機関が直ちに察知して当局に通報できるように、標準的な指針を策定することになった。

‐金融情報庁を新設

外国人居住者が多く、ヨーロッパ随一の経済大国であるドイツは、テロ組織の資金の流れを断つ上で重要な役割を期待されている。このためドイツ政府は十月上旬に、ドイツの3億件の銀行口座を集中的に把握する「金融犯罪捜査のための中央情報庁」を設置する方針を打ち出した。ドイツ連邦金融監視庁の中に置かれるこの省庁は、国内2900の金融機関に開かれている全ての口座の所有者名をデータバンクに登録し、テロ組織との関連が疑われる口座や、資金洗浄の疑いがある送金などについて、捜査当局に迅速に情報を提供することを目差している。各銀行のデータは回線で中央情報庁に直接結ばれるので、政府は常に最新の状態を把握することができる。捜査当局にとっては、銀行口座の名義人のリストや、送金記録、外国人局が管理する特定の国からの入国者のリスト、飛行機の操縦免許を持っている外国人のリスト、大学の登録者リストなどを、コンピューターによって比較・分析することによって、これまでよりも早く容疑者を浮かび上がらせることを狙っている。さらにこの中央情報庁には、役所間の対立を避けて、情報の流れをスムーズにするために、金融監視庁の職員だけでなく、捜査関係者、銀行、公認会計士も配置する。

‐脱税捜査にも使用?

ドイツは、資金洗浄に関する捜査では、他のG7諸国に比べて遅れを取っていた。これまでドイツでは、資金洗浄の疑いが検察庁に通報されても、各州の検察官は、金融市場や資金洗浄の手口に関する知識不足もあって、刑事事件としての構成要件を満たすことができず、通報された事案の97%は証拠不十分で立件されていなかった。米国や他のEU諸国はすでにこのような機関を持っており、FATFはドイツがこの種の組織を設置していないことを批判していたのである。連邦金融監視庁のJ・ザニオ長官は、「データバンクに登録されるのは口座所有者の名前だけで、残高は登録されない」と述べているが、野党や銀行関係者からは、こうした情報がやがて脱税捜査に利用されるのではないかという懸念も出ている。たとえばCDU・CSUで金融問題を担当するH・ミッヒェルバッハ議員は、「テロ組織や資金洗浄の取り締まりには賛成だが、正直な納税者や預金者までが一律に容疑者として見られるのは、受け入れられない。政府の方針はプライバシーを侵し、納税者を裸にしようとするものだ」と批判している。

‐ イスラム独自の送金システム

さらに、仮にG7諸国が銀行口座の名義人を集中的に把握し、資金洗浄の監視体制を強化しても、テロリストの資金の流れを完全に断つことは、容易ではない。イスラム諸国には、銀行を全く使わないで遠距離送金ができる「フワラ」という一種の信用制度があるからだ。例えばパキスタンからフワラ制度によってドイツに送金したいと思う人は、現金をパキスタンのフワラ・ショップに持ち込むと、合言葉を店主から受け取る。パキスタンのフワラ店主は、ドイツのフワラ店主に電話やファックスで合言葉を伝える。ドイツで金を受け取る人は、同国のフワラ・ショップで合言葉を言えば、現金を渡される。この制度は、欧米で銀行制度が作られる以前から、シルクロードで交易する商人らの間で、盗賊によって現金が奪われるのを防ぐために作られたもので、フワラ・ショップを営む回教徒らの間の強い信頼関係によって成り立っている。この制度は、ドイツの捜査当局がテロリストの資金の流れを解明する上で、大きな壁となるだろう。

‐小さな政府の終焉?

ただし、いかなる障壁が予想されても、欧米諸国はテロ組織の資金ルート摘発に全力を集中するだろう。特にドイツ政府は、懸命に努力していることを国際社会に示す必要がある。同時多発テロの実行グループの中心人物らが、米国に渡る前にハンブルグに住んでいたことなどから、テロ組織がドイツを出撃拠点にしていた可能性もある。そう考えると、5000人を超える犠牲者を出した史上最悪のテロ事件の捜査と、米国政府からの強い圧力の前には、「プライバシーの侵害」という野党や民間部門からの批判を無視しても、ドイツ政府は「銀行の守秘義務」を制限し、資金洗浄の取り締まり態勢を強化するだろう。ワルシャワ条約機構の消滅によって東西対立に勝利を収め、十年間にわたり、安定と繁栄の予感を味わっていた欧米の民間経済は、21世紀に入って対テロ戦争の余波で私権の制限を強いられ、政府の影響力が高まる可能性がある。ドイツ政府が対テロ対策資金を捻出するために、一方的な増税に踏み切ったことや、米国政府が航空業界の資金援助を行ったのもその現れである。対テロ戦争の推移によっては、「小さな政府・民間部門の活性化」を志向していた各国の動きにブレーキがかかるかもしれない。