週刊 ドイツニュースダイジェスト 2001年4月7日号掲載 熊谷 徹

ドイツ株バブルの崩壊

副題:テレコム株・栄光と凋落の軌跡

 

 2001年2月下旬、私はフランクフルトの中心街にある、旧証券取引所の重厚な建物の前に立っていた。この建物の前の広場には、黒い雄牛と熊の石像が、向かい合っている。雄牛は株式市場の好況のシンボル、熊は株価低迷の象徴である。すると、証券マンか投資銀行の社員だろうか、ダ−クス−ツに身を固めた若い男が、この二つの石像の前を通る時に、雄牛の鼻を撫でていった。株価の動きが上向きに転じますように、というおまじないである。一見迷信とは無縁そうなヤッピ−風の男が、こんな振る舞いをするのも、無理からぬことではなかった。2月当時、ドイツの株式市場はハイテク・通信株の暴落によって、大きな変動に揺さぶられていたからである。その軌跡をたどるには、時計の針を1年前まで戻さなくてはならない。

 

*株価高騰から急落へ

 去年の春に金融界に衝撃を与えた「ドイツ銀行とドレスナ−銀行が合併へ」というニュ−スは、多くの投資家を一気に買いに走らせ、2000年3月7日、ドイツ株式指数(DAX)は8064ポイントという最高値を記録した。銀行株以外にも、ハイテク、インタ−ネット、通信関連銘柄が急激な伸びを示し、ドイツの株式市場は空前の好景気に湧いていた。この日、DAXに株式を公開していた企業の株式時価総額は、1兆500億ユ−ロ(約105兆円)に達したのである。

 しかし去年夏ごろから、株式市場を徘徊していた雄牛(ブル)は熊(ベア)に駆逐され始める。アメリカのハイテク関連企業株の不振に同調するように、ドイツの通信、インタ−ネット関連企業の株価は、ずるずると下がっていった。DAXが最高水準を記録してから1年後には、公開企業の株式時価総額は約24%減少し、8000億ユ−ロ(約80兆円)に下がってしまった。たった1年間で、2500億ユ−ロ(約25兆円)もの金融資産が吹き飛んだのである。空前のインタ−ネット・ブ−ムを背景に、ハイテク・通信企業の成功への期待によって、急激に膨らんだ株バブルは、ドイツでも崩壊したのだ。

 

*76%下がったテレコム株

 総崩れとなったハイテク・通信株の中でも、最も痛手をこうむったのが、ヨ−ロッパ最大の通信企業ドイッチェ・テレコムである。96年11月に株式を公開したテレコムは、この国での株式ブ−ムに火をつけ、株式市場の成長に大きな役割を果たした。ちょうど日本のNTT株が、わが国で庶民の株式投資への関心を高めたのと同じである。

 3回に分けて発売されたテレコムの株には、市民の人気が集中したため、発行価格が28・5ユ−ロ、39・5ユ−ロ、66・5ユ−ロとうなぎ上りになった。それまで余り株に馴染みのなかったドイツ市民までが、テレビのコマ−シャルにつられて殺到し、社員食堂での会話でも、有望銘柄についての床屋談義が幅を利かせるようになった。

 そして去年の春にはテレコムの株価は実に104・9ユ−ロに達し、同社は株式時価総額が3000億ユ−ロの、ドイツで最も高い会社として知られるようになった。同社の株は「フォルクス・アクティエ(国民株)」とまで呼ばれたのである。

 だが、テレコムの春も長くは続かなかった。去年の下半期から同社の株価は急落し、現在では最高値に比べて76%も下がってしまった。これはDAXの平均株価の下落率(24%)を大幅に上回るものである。テレコムの株式時価総額も、3000億ユ−ロから840億ユ−ロに下がった。実に21兆6000億円の金融資産が蒸発したことになる。去年6月の第三次株式公開の時に、1万マルクを投じてテレコム株を買った人は、現在までに6000マルクの損をしたことになる。

 

*巨額投資・買収への懸念

 一体なぜこれほどテレコム株は急落したのだろうか。一つの理由は新技術への投資である。去年テレコムは、銀行から何10億マルクもの借金をして、次世代の携帯電話技術UMTSの周波数を取得した。通信関係者や投資アナリストの中には、UMTSよりもコスト面で有利な携帯電話技術が次々に登場していることから、「テレコムはUMTSのための巨額の投資を回収できるのか」という懸念の声が出始めているのだ。ある投資銀行の推計によると、去年1年間に通信関連企業が銀行から受けた融資の額は、1500億ドル(約16兆5000億円)にのぼる。この巨額の債務が、通信企業の株価に暗い影を落としているのだ。

 二番目の理由は、テレコムのR・ゾマ−社長の対米進出戦略である。社長は、世界最大の通信市場アメリカに斬り込むために、シアトル近郊のボイスストリ−ム社の買収を計画している。ところが、ゾマ−社長がこの買収のために支払う価格が、業界の常識を上回る水準だとして、投資アナリストらから批判を浴びている。ボイスストリ−ムは米国に260万人の顧客を持っているが、テレコムはその顧客1人につき約2万1000ドルを支払う計算になるが、これはこれまでの通信業界の買収価格の2倍の水準だという。さらにボイスストリ−ムの株主は、この買収に応じることによってテレコムの株の23%に相当する株式をも取得する。しかもボイスストリ−ム社は、欧州とアジアでは人気があるが米国ではほとんど使用されていないGSM方式を採用しているが、この方式に米国での将来性があるかどうかにも、大きな疑問符が投げ掛けられている。

 

*日本の株価急落はより深刻?

 ドイッチェ・テレコム株の成長と凋落は、ブラックマンデ−や日本でのバブル崩壊を知らなかったドイツの個人投資家に、株式投資のリスクを教えた。だがドイツの株バブル崩壊は、あくまでも投機的に上昇していた株価の調整局面と見るべきであり、それが日本のように銀行や生保会社の倒産をもたらす構造的な金融危機にはつながらないという意見が有力だ。この原稿を書いている3月中旬の時点では、投資銀行関係者の間に「日経平均は1万円を割り、日本経済にはかなりの痛みを伴う変動が訪れる」という悲観的な見方が出ている。国際金融マンの間では、ドイツよりも日本の株価急落の方が深刻と見られているのだ。