イラクで米国は「敗北」した

 イスラム教徒にとって犬は、豚に次いで不浄な動物である。米兵から2匹の犬をけしかけられ、素裸の無防備な姿で、恐怖に身をよじらせるイラク人。目をそむけたくなるような、苦悶の表情である。捕虜虐待の映像が一枚、また一枚と公開されるにつれて、アラブ世界の米国への怒りは高まっていく。

欧州でも、捕虜虐待事件への反響は、日本よりも強い。ここでは、ナチスがユダヤ人らに対して行った迫害の記憶が生々しいからである。9月11日事件以降、ブッシュ政権がテロとの戦いや、イラク侵攻を正当化してきた中で、
moral authority(道徳的権威)という概念は重要な位置を占めている。つまり、「ブッシュ政権の積極的な予防攻撃には、米国市民をテロ攻撃から守り、イラク市民をサダムフセインの圧政から解放するという、倫理的な正しさがある」とする主張だ。

だが捕虜虐待の発覚によって、ブッシュ政権の
moral authorityはアラブ世界だけでなく、欧州でも地に落ちた。現代の戦争では、イメージと情報によって、被占領国の市民の心をつかむことも重要だが、米国はその面ですでに敗北したと言わなくてはならない。捕虜虐待が一部の不心得者による犯行だとしても、破壊されたイメージを修復するのは容易ではない。ある米国人が、「この問題は今後40年間にわたり米国を悩ます」と言ったのは正しい。

米国が中東の産油国に侵攻して政権を転覆するという、歴史上初めての実験は、捕虜虐待事件によって、キリスト教国による回教国の抑圧というイメージを、アラブ世界で増幅しつつある。9月11日事件の直後にブッシュ大統領がうっかり口を滑らせた後、補佐官の助言で取り消した「テロとの戦いは、新たな十字軍遠征だ」という言葉を、多くのイスラム教徒が思い出しているだろう。

米国は、圧倒的な軍事力に物を言わせて、いつの日かイラクの抵抗勢力に対して勝利を収めるかもしれない。だが、アラブ世界の信頼をつかむという戦いには、当分の間勝つことができないだろう。過激派が米国の民間人の処刑シーンをインターネットで流したように、捕虜虐待はテロを拡大再生産しつつある。ファルージャやケルバラの市街戦の映像に、ガザ地区やヨルダン川西岸地区のイメージが重なる。

我々日本人も、戦後初めて関与した戦争の正当性が、不明確になりつつあることを、他人事と片付けることはできない。

週刊 ドイツニュースダイジェスト 2004年5月21日