週刊 エコノミスト 2002年4月9日号 掲載  さらばドイツ株式会社 熊谷 徹

二00二年一月一日は、ドイツ経済の歴史の中で、この国の企業環境を大きく変化させた重要な日付として記憶されるだろう。この日から、株式会社などが所有する他企業の株式の売却益に対する課税が廃止されたからだ。これは、シュレーダー政権が二000年に決定した税制改革の一環で、企業利益に対する二重課税を防ぐのが公式の理由である。だが、この課税廃止措置は、単に税制上の変化にとどまらず、ドイツの株式の所有構造、ひいては経営手法にまで大きな地殻変動をもたらすと予想されている。

株式の分散所有が基本である米国や英国とは対照的に、戦後の西ドイツでは、少数の大株主が、株式の大部分を保有して経営に影響力を行使するという傾向が強かった。ドイツ銀行の研究機関・DBリサーチによると、ドイツ企業の株式の五0%以上が、金融機関などの大企業に握られている。ロンドン・ビジネススクールのJ・フランクス氏らは、九五年にドイツの一七一社の大企業を対象に、株式の所有構造に関する研究を行っている。その研究によると、「株式の二五%以上が単独の大株主に握られている」と答えた企業が、全体の八五%にのぼった。さらに、単独の大株主が株式の五0%を保有し、その会社を事実上コントロールしている企業も、全体の半数以上に達している。

ドイツ経済のもう一つの大きな特徴は、大企業間の株式の持ち合いであった。DBリサーチによると、二000年の時点で保険会社アリアンツとミュンヘン再保険会社は、相互の株式の二四・九%を保有していた。またアリアンツとドイツ銀行は、相互の株式を約四%ずつ持ち合っていた。株式の持ち合いが、長期的な経営方針や、日々の取引関係に大きく影響を及ぼすことは、言うまでもない。ドイツ企業の特殊性の一つは、役員会の他に監査役会(Aufsichtsrat)という組織があり、役員会を監督していることだ。監査役会には、役員や労働組合の代表だけでなく、大株主である企業の代表も加わっている。

特にドイツでは、これまで資本市場よりも銀行が企業の資金調達の面で重要な機能を果たしてきたため、資金供給者である大手銀行は、しばしば大企業の監査役会にメンバーを送り込んできた。監査役会議では、企業の長期的な経営方針や役員人事など、最も重要な事項が決定・伝達される。銀行にとっては、そこに代表を派遣しておけば、取引先に関する重要な情報をいちはやくキャッチすることができるという利点がある。また、長年の取引関係で気心の知れた大手企業が、株式の大きな比率を持っていてくれれば、敵対的買収の脅威にさらされることもない。

このように、戦後西ドイツの大手企業は、株の持ち合いと監査役会への代表派遣によって、相互の長期的安定を保証し、共存共栄を謳歌して来たのである。こうしたドイツ経済の特殊な構造は、企業買収によってドイツに投資しようとする外国企業や、外国の機関投資家から、「透明性を欠き、参入しにくい」と批判されてきた。このため、ドイツの株式会社は、米英の株式会社とは異質な、障壁に守られた「ドイツ株式会社(
Deutschland AG)」という異名を持つことになったのである。ドイツ株式会社は、自由競争と市場原理を徹底的に追求する、アングロサクソン型の資本主義とは一線を画し、労使間の協調や社会保障制度による弱者保護など、社会における合意をも重視する「ライン型資本主義」を特徴づける重要な柱でもあった。

ところが、ベルリンの壁崩壊後の九0年代になって、ドイツ経済をめぐる環境は激変した。その火付け役となったのが、爆発的な株式ブームに伴う資本市場の急激な成長である。八0年代末までの西ドイツでは、株式市場はほとんど重要な役割を果たしていなかったが、九0年代に入ってドイッチェ・テレコムの株式公開などによって、市民の株式への関心が急激に高まり、ドイツ市場の株式時価総額は、八七年から九九年までに八倍に増加した。こうした中、「企業の目的はシェアホールダー・バリュー(株主価値)の増進にある」といった命題が、大衆にまで急速に浸透していく。

企業の業績が、日々の株価によって採点される時代が、この国にも訪れたのである。こうした環境の変化に伴い、多くの企業にとって安定を保証してきた株式の相互持ち合いが、今度は逆に足枷となり始めた。ドイツ企業つまり多くのドイツ企業もグローバル化やIT革命の波の中で、外国企業の買収や、他企業との提携、機構改革のために、敏速な判断と意志決定を迫られるようになったのだが、監査役会などで大株主の判断を仰がねばならないこれまでのシステムでは、とても小回りのきく経営はできない。特にドイツの多くの業種では、競争の激化によって、国内および欧州市場での成長率が鈍化したために、米国企業の買収によって、売上高や利益を伸ばそうとする傾向が強まっている。機敏な決定を要求される合併交渉には、鈍重な「ドイツ株式会社」の特殊性は足手まといである。いや、大株主が役員会の方針に反対する場合には、議決行使権をたてに、他社との合併などを妨害する危険すらある。このため、多くの大企業はフットワークを軽くするために、互いに所有している株式を売却しようと考えてきたのだが、売却益には多額の税金が課せられるために、仕方なく見合わせていたのである。

九八年に首相に就任したシュレーダー氏は、フォルクスワーゲン社の監査役を務めた経験を持つなど、ドイツの財界・産業界と太いパイプを持つ。私も一度ベルリンの首相府で懇談会に出席して質問をしたことがあるが、伝統的な社民党員というよりは、大企業の重役というイメージの強い、実務家タイプの政治家である。そうした背景を考えれば、シュレーダーが首相就任後、ドイツ経済を再編成する上で最後の障壁となっていた企業株式の売却益への課税廃止が、なぜ必要であるかを瞬時に悟ったことは、想像に難くない。

実際、九九年十二月二三日に、ドイツ政府がこの課税廃止案を公表すると、ドイツ株価指数は約四%上昇して、それまでの最高値を記録した。外国の機関投資家らが、「アリアンツなどの保険会社や銀行が、現在保有している他社の企業の株式を手放して身軽になり、より機動的な経営をできるようになる」と考えて、これらの企業の株式に投資したからである。

ドイツの大企業はこの措置を歓迎し、施行を待たずに、保有株式の売却を早々に宣言する。たとえばドイツ銀行が他企業に持つ株式を管理するDBインベスター社のA・プファイル社長は、二000年の十一月に、ドイツの新聞のインタビューに答えて「遅くとも二00七年までには、ダイムラー・クライスラーなどドイツの大企業二0社以上に保有している株式を、全て売却する」と述べている。これによって、市場に放出される株式の時価総額は、約二00億ユーロ(約二兆二000億円)に達する。ドイツ銀行はこの売却によって巨額の利益を手にするが、この利益を中核業務への投資や、株式を公開していないハイテク企業への投資などにあてることにしている。

また去年アリアンツがドレスナー銀行の買収を発表したが、その過程でアリアンツは、ミュンヘン再保険との間で持ち合っている相互の株式二四・九%をそれぞれ約二0%に引き下げることを発表している。アリアンツがドレスナー銀行を買収した最大の目的は、総合金融機関(アルフィナンツ)として、資産運用部門を強化することである。アリアンツはドイツの製造企業の株式を多数所有していると見られているが、今後は本業である保険・資産運用ビジネスに資金を投入するために、メーカーの株式を積極的に売却するものと予想されている。株の持ち合い解消は、保有株式に釘付けにされていた流動性を解放して、本来業務への投資拡大を可能にするという利点もあるのだ。さらに企業の買収・合併も今以上に増えるだろう。

ドイツの証券取引所を運営するドイッチェ・ベルゼ社のW・ザイフェルト社長は、「課税廃止によって各国に比べて低かった株式の分散所有比率が大幅に増え、株式市場の流動性が高まるため、企業にとって資本調達コストが低くなる。このためドイツ企業の生産性は上昇するだろう。さらに流動性の高い株式市場は、起業家にとっても、資本調達が容易になるので有利だ」と述べ、政府の決定を高く評価している。またDBリサーチのギュンター・ドイッチュ氏も「今日のドイツ企業は、株主価値を常に増加しなくてはならない圧力にさらされている。こうした時代には、株の持ち合いに基づいていた従来のドイツのコーポレート・ガバナンス(企業統治)は適していない。これからのドイツ企業は、今以上に資本市場によって左右されるようになるだろう」と述べ、ドイツ政府の決定を、経済構造の改革を促進する重要な一歩と位置付けている。

私は米国に住んだ後、ドイツで十二年間働いているのだが、ヨーロッパで比較的歴史が浅いドイツは、「欧州大陸の中の米国」だという印象を持っている。ドイツが今回の課税廃止措置によって、資本市場によるコーポレート・ガバナンスを強化する道へ踏み切ったことは、年金や健康保険など社会保障の削減・自己負担の増加と合わせて、この国の経済が米国型モデルに接近し始めたことを物語っている。従来の「ライン型資本主義」が完全に消滅することはあり得ないが、ドイツの指導層は、「米英型経済の要素を取り入れて競争力を強化しなくては、不透明性に満ちた二一世紀を生き残ることはできない」という結論に達したのである。十年後のドイツ経済は、今日とはかなり異なる風貌を持っているに違いない。