週刊エコノミスト 2002年11月26日号掲載 日本とは似て非なるドイツ経済危機の本質 

                                                      熊谷 徹

80年代後半から90年代前半には、ドイツの経営者が、日本式経営を鑑としていた時代もあった。多くのドイツ人経営者が、まるで回教徒がメッカに巡礼するように、日本企業の見学に出かけた。その時代が嘘だったかのように、今日ではドイツ人の間で日本式経営や経済に対する不信感が高まっている。私は12年前からミュンヘンで働いているが、今年になって「このままではドイツ経済が日本並みに悪くなる」という声を、初めて聞いた。ドイツでも株式市場の低迷や企業倒産の増加によって、銀行や生命保険会社の業績が急激に悪化し、雇用への不安などから内需が急速に冷え込んでいるために、デフレの危険が指摘されているのだ。

だが日本とドイツの経済危機の本質は、細部を見ると大きく異なる。日本のように不良債権の額が50兆円、GDPの約10%に達するという異常事態は、ドイツでは発生していない。またわが国のように、大手の銀行、損保、生保、証券会社の破綻もまだ起きてはいない。ドイツでもバブルが崩壊したと言われるが、その本質は、ITや通信を中心とした株価の下落である。80年代後半の日本で見られた地価の高騰は、ドイツでは発生しなかったために、バブル崩壊の傷は日本よりも浅いのだ。また欧州通貨同盟の参加基準に、「公共債務のGDPに対する比率は60%以下」という規定があるため、日本のように公共債務比率が約130%という高水準には達していない。

ドイツ経済の病は、300万人から400万人の市民が路頭に迷い、失業率が10%前後という状態が、統一以来、約10年間にわたり慢性化していることである。しかも、同時多発テロ以降の不況で、失業禍はさらに深刻化しようとしている。特に今年に入って急激に業績が悪化した銀行業界は、高コスト・低収益体質を変革するための大幅なリストラを実施しつつあるため、失業者が一段と増える可能性がある。今月発足した第二次シュレーダー内閣で、W・クレメント氏が経済大臣と労働大臣を兼務したのは、二つの政策分野の整合性を高めることを目的としている。

これは、政策に一貫性を持たせるという意味では、日本で竹中平蔵氏が経済財政大臣と金融大臣を兼務したことを連想させる。ただし政策目標は大きく異なる。ドイツで雇用が増えないことの最大の理由は、人件費特に社会保障コストが高いことである。ドイツ企業は日本と同じように、年金保険や健康保険、失業保険の保険料の50%を負担しなくてはならない。手厚い社会保障サービスのために、これらの社会保険料率が高騰し、ドイツの単位労働コストは世界でもトップクラスとなっている。このため、ドイツ企業は利益を確保するためには、従業員の数を低く抑えなくてはならないのだ。公的年金は労働大臣の担当となっているため、経済大臣が労働大臣も兼務すれば、年金制度の改革によって保険料率の高騰を防ぎ、労働コストの上昇に歯止めをかけやすくなる。

また法律による規制が多いことも、日本とドイツの共通点の一つである。最近は少し緩和されてきたが、私がドイツに住み始めた90年代の初めには、法律によって商店は平日ならば午後6時、土曜日には午後2時に店を閉めることを強制されていた。当時は商品の値引きを禁止する法律もあり、最近になってようやく廃止された。労働時間についての規制も、日本以上に厳しく、実際に守られている。たとえば一日10時間以上の労働や休日労働は原則として禁止されており、この法律を組織的に破る企業は、多額の罰金を課せられたり、人事部長が刑事訴追されたりする。こういった規制は、グローバル化の時代に生き残りをめざす企業にとって、大きな足枷になりつつあり、規制を減らすことも新しい経済大臣の重要な任務なのである。

またこれまでドイツの大企業の間では、日本同様に株の持ち合いが盛んに行われていた。とくに銀行は取引先の企業の株を保有することによって、取締役会を監視するドイツ独特の組織である監査役会に役員を送り込み、企業の動向を逐一把握したり、結びつきを深くしたりしていた。しかし、グローバル化が進み、企業の合従連衡が日常茶飯事の今日では、重要な決定を行うためにいちいち大株主にお伺いを立てていては、経営陣は機敏に動くことができない。このため、シュレーダー政権が今年から一定規模以上の企業の株式売却益を非課税としたのに伴い、銀行を中心として株を売却する動きが進んでおり、今後は株の持ち合い構造が大幅に緩むことが予想されている。

ドイツ病のもう一つの原因は、社会保障が手厚かったことである。私の知人は「失業したけれども、国からの手当でふつうに暮らせるので、驚いた」と話していた。約400万人が失業しているといっても、日本のように、駅や河川敷に多数のホームレスの人々が、段ボール箱の中で寝ているという光景は見られない。現在の制度では、給料の安い職種で税金や社会保険料を支払うよりも、失業者として手当をもらっていた方が、手取り所得が高くなるため、失業しても日本や米国のように必死で就職しようとしない人がいる。個人主義の強いドイツでは、人々は日本ほど世間体を気にしないので、失業しても「悠々自適」の生活を送っている独身貴族もいる。このためドイツ政府は、失業手当を大幅に減らして、失業者が仕事に就くための圧力を高めることにしている。

経済危機の時代にも、人々は自分の生活を簡単に犠牲にはしない。サービス残業やヤミの労働時間が増えている一方で、年間30日の有給休暇をすべて取ることは当然の権利と見られており、制限を加えようという動きは見られない。日本のように仕事を苦にした自殺や過労死が社会問題にならないのは、わが国のような「無私の精神」、身を粉にしても与えられた課題をやり遂げるという考え方は、ドイツ人には想像も出来ないからである。高給を得ている管理職以外は、「仕事はあくまでも生活の糧をかせぐための手段で、個人の生活の犠牲は最低限にする」と考えている。

旧約聖書のアダムとイブの物語を思い出してほしい。人間は楽園で仕事をせずに暮らしていたが、神の教えに背いたために、楽園を追放され、自分で働いて生活の糧を得なければならなくなった。つまり大多数のドイツ人にとって、仕事はできれば避けたいものであり、それがプライベートな時間を過度に侵食しないように、注意するべきものなのだ。ドイツの国民一人あたりのGDPは日本の71%にすぎないが、ドイツ人は自分の時間を犠牲にしてまで、日本に追いつこうとは毛頭考えていない。彼らは、ドイツ人ほど休みも取らず、家族と過ごす時間を削ってまで働いてきた日本人の努力が、結局は不良債権の山を築き、世界第二位の経済を自ら深く傷つける結果にしか至らなかったことを、奇異の目で見つめている。その意味で、ドイツ人は経済危機の時代においても、日本人に比べるとまだ余裕があると言わざるを得ない。