週刊 エコノミスト 2002年7月9日号掲載 消えぬ欧州国際テロの恐怖

                                                熊谷 徹

最近日本に三週間滞在して強く感じたことは、イスラム系過激組織による、国際テロリズムに対する切迫感がないということである。企業関係者ばかりでなく、マスコミで仕事をしている人たちと話をしても、「あれは米国の問題であり、日本は関係ない」と考えている人が多いので、少し意外に思った。対テロリズム戦争についての報道もめっきり減り、日本だけにいると、なんとなく国際テロは過去の出来事のように思える。

これに対し、私が住んでいるドイツでは、国際テロは現在進行形の切実な問題だ。アル・カイダや対テロ戦争に関するニュースが、新聞の一面トップを飾ることは、今でも日常茶飯事である。またアル・カイダなどによる次のテロ攻撃への不安感も強い。こうした不安感はどこから来るのだろうか。

ドイツ政府は、同時多発テロの翌日にシュレーダー首相がブッシュ大統領に「無制限の連帯」を約束し、連邦議会で「米国が求める、いかなる形の援助も提供する」と宣言したことに見られるように、米国を軍事面でも全面的に支援している。ドイツは、三九00人の将兵を対テロ作戦「永続的な平和」に参加させており、アフガニスタンでは特殊部隊KSKの兵士百人が、米英軍とともに地上戦を行っている。さらにドイツはフリゲート艦など六隻をアフリカ沖に派遣しているほか、核兵器や生物・化学兵器が戦場で使われた場合に、直ちに検知できる特殊装甲車フクスをクゥェートに送っている。

ドイツなど欧州の捜査当局も、イスラム系過激組織への取り締まりを強化している。たとえば今年四月中旬には、フランクフルト高等裁判所で、短機関銃を持った警察官ら百人が警戒する中、五人のアルジェリア人テロリストに対する初公判が開かれた。テロ組織所属の罪で起訴された被告たちは、二年前のクリスマスにストラスブールの中心街で爆弾テロを行おうとした疑いを持たれている。彼らはアフガニスタンのアル・カイダの軍事キャンプで、テロに関する訓練を受けたものと見られている。捜査当局が「フランクフルト細胞」と呼ぶ被告たちの自宅からは、多数の銃器のほか、爆弾を製造するための化学薬品も見つかった。

またドイツ連邦刑事局は、今年四月下旬に全国十九ヶ所で家宅捜索を行い、パレスチナ系過激組織「アル・タウヒード」(神の部隊)」のメンバー十三人を、テロ組織所属の疑いで逮捕している。捜査当局は、このテロリストたちがやはりアフガニスタンで訓練を受け、ドイツにある米国やイスラエルの施設への攻撃を計画していた疑いを持っている。これらのグループの摘発によって、アル・カイダと関連のあるテロリストたちが、ドイツを単なる休息場所としてだけでなく、攻撃を準備する場所として使っていることが初めて明らかになったのだ。

欧州では、ドイツが積極的に軍事貢献を行っていることや、捜査当局がイスラム系過激組織への取締りを強めていることに対する報復として、次の大規模なテロが、ドイツなど欧州諸国で発生するのではないかという見方が強まっている。その予兆はすでに現われている。フランクフルトでテロリストたちに対する裁判が始まる直前の四月十一日、チュニジアのジェルバ島にあるシナゴーグ(ユダヤ教会)の前で、二十四才のチュニジア人が、液化ガスを積んだトラックを爆発させ、ドイツ人観光客十五人を含む二十人を殺害した。この島は紀元前六世紀からユダヤ人が住んでいることで知られており、ドイツ人には人気のある観光地だ。

ドイツの捜査当局は、犯人が犯行の一時間前にドイツに住む回教徒に電話をしていたことをつかんだため、この回教徒やその知人の自宅を捜索したところ、同時多発テロの犯人の一人であるモハメド・アタなどアル・カイダの構成員の電話番号を発見した。このため、ジェルバ島の自爆テロは、過激組織の取締りを強めるドイツ政府への、警告もしくは報復だったという見方も出ている。

その後もドイツ連邦刑事局やBND(連邦情報局)には、「アル・カイダに属するテロリストがドイツ、フランスもしくは英国の映画館、教会、航空機、フェリー、客船などを舞台にして数百人単位の人質を取り、ヨーロッパで収監されているテロリストの釈放を要求し、拒絶された場合には人質もろとも自爆する」とか、「イスラム系テロ組織が、ヨーロッパの空港に離着陸する旅客機を、携帯対空ロケット砲や、小型飛行機を使って撃墜する計画を立てている」といった情報が次々にもたらされている。一部の情報はかなり確度が高いと見られ、五月三日には連邦刑事局がドイツのすべての船舶会社に対して、テロリストによる乗っ取りの危険があることを正式に通告しているほどである。

ドイツなど欧州諸国で緊張が高まっている背景には、こうした情報がマスコミを通じて、社会に積極的に流されていることもある。捜査当局にしてみれば、同時多発テロの犯人たちが、わが身を滅しても大量殺戮を狙うという戦法によって、テロリズムの質を大きく変えてしまった現在、万一事件が発生した時に、「情報をつかんでいながら、警告を怠った」と批判されることを防ぐため、過去には公表していなかった未確認情報も、マスコミに流すようになったのであろう。

ドイツ政府の安全保障政策に関する諮問機関である、政策科学財団(SWP)のクリストフ・ベルトラム所長は、私の取材に答えて「同時多発テロの犯人たちは、大量輸送手段やインターネットといった、我々の生活を便利にしているインフラを悪用して、何千人もの人々を殺害した。したがって、同じような被害を将来防ぐことは難しい。現代社会はテロ攻撃に脆弱であり、完全に準備を整えることは不可能である」と述べ、テロの予防に悲観的な見方を示している。

グローバル化したテロ組織の矛先が、米国や欧州だけにとどまり、米軍基地や大使館・領事館を持つ日本に向かないという保証はない。アル・カイダは米国を遠く離れたアフリカでも、米国大使館に大規模な攻撃を加えている。しかも日本はすでにテロ対策特別措置法によって、米軍を支援しているのだ。疑心暗鬼に陥る必要はないが、欧米で国際テロ問題が、安全保障と治安をめぐる議論の中で最も重要なテーマとなりつつある今日、「対テロ戦争は日本にとって対岸の火事にすぎない」と思い込むことだけは、禁物だろう。