昭和30年代回顧ブーム
 先日東京へ行った時に、「貸本屋」の看板を見つけて、少し驚いた。

「昭和30年代が戻ってきたみたいだなあ」と思った。私は昭和34年生まれだが、小学生の頃、京王線・千歳烏山駅の北側の商店街にあった貸本屋に、足しげく通った。

ガラスの戸をガラガラと横に開けて店に足を踏み入れると、古い本の匂いが、鼻をつく。

店内は、新刊本を売る本屋よりも心なしか薄暗い。

私のお目当ては、水木しげるの怪奇マンガや、白土三平の忍者もの、そして青林堂の「ガロ」だった。

雑誌や本の表紙には、汚れないようにパラフィン紙がかけてある。1冊の貸し出し料は、50円だったか、100円だったか。借りる時には身分証明書を見せるどころか、名前や住所を書く必要もなかった。

今に比べると、おおらかな時代だったのである。

戦後、貸本業界が栄えた時期があり、貸本屋のためのマンガを専門に描く漫画家もいたほどである。

だが高度経済成長期の到来とともに、国民に本を買う経済的な余裕ができたせいか、貸本屋は静かに姿を消していった。

だがバブルが崩壊して以降、景気がぱっとしない今日、貸本屋が復活し始めているというのは、興味深い。

ところで最近一部のキャラメルやチョコレートに、おまけとして、「食玩」という精巧な模型が付いているのをご存知だろうか。

中にはお菓子のおまけと言うには勿体無いほど、精密な模型もある。

この食玩ブームに触発されて、日本ではいま様々なミニチュア模型が発売されているのだが、その中に、昭和30年代に東京を走っていた、都電の精密模型がある。

私は小学生の時に都電に乗った時のおぼろげな記憶があるため、懐かしく思ったのだが、この模型をデザインしたのが、映画監督の実相寺昭雄氏と聞いて、驚いた。

実相寺監督は、前衛監督集団・
ATGを通じて問題作を次々に発表しただけでなく、昭和40年代に一世を風靡した空想テレビドラマ「ウルトラQ」や「ウルトラマン」の中で、異色の作品を制作した鬼才である。

中には、深刻かつ抽象的すぎて、子どもには難しすぎるようなドラマもいくつかあった。

怪獣映画を撮られていただけあって、やはりミニチュアがお好きなのだろうか。

この他の「昭和回顧ミニチュア」の中には、林間学校でカレーライスを作った飯盒(はんごう)、水泳教室用の発泡スチロールの板、鼓笛隊の楽器、入学式などで掲げる校旗、運動会の徒競走用のピストルなど、30年代生まれの人が見たら、懐かしさに目をうるませるような、模型も含まれている。

昔を懐かしむ思い出話ばかりするのは、年を取った証拠だと思い、なるべく未来のことを考えるようにしているのだが、日常生活の中でふと昭和30年代・40年代を思い出させるモノに遭遇すると、携帯やコンピューターはおろか、ファックスすら持っていなかった頃の日本が、脳裏をよぎる。

(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)

保険毎日新聞 2004年6月24日