対イラク戦争の泥沼

 米国の政治家や軍人は、イラクに対する攻撃開始前、「この戦争は短期間で終了し、民間人の犠牲も最小限ですむ」という印象を与える発言を繰り返していた。実際、前回の湾岸戦争に比べると半分に相当する25万人の兵力しか派遣しなかったことが、米国の楽観的な姿勢を物語っている。1991年の湾岸戦争では、数週間にわたる空爆の後、地上戦はわずか3日で終わった。ところが、米軍はイラク侵攻を開始してからわずか1週間で、10万人もの兵力を増派することを決定した。その理由は、米軍が仰々しく「衝撃と畏怖」と名づけた大規模な空爆の効果がとぼしく、イラク軍が抵抗を続けていることである。米軍は、快速部隊をバグダッドにいちはやく到達させ、首都を占領することによって、早期に戦争を終わらせる計画だった。人的損害が多くなる市街戦を避けるために、イラク国境とバグダッドの間の都市は迂回し、これらの都市を完全に制圧することは考えていなかった。第二次世界大戦中に北アフリカで、ドイツのロンメル将軍が使った戦法である。

ところが、米英軍はイラク南部のナシリアやバスラなどの都市で、イラク側の民兵の予想を上回る抵抗にあい、最初の1週間で60人を超える戦死者・行方不明者を出した。特に、民兵が平服の市民を装って、補給部隊などを襲撃する戦術は、米軍には予想外のものだった。つまり米英軍は、イラクの抵抗を過小評価していたのである。市街戦には、米軍自慢のハイテク兵器も、ほとんど役に立たない。地方都市でこれだけ頑強な抵抗にあうことを考えると、サダム・フセインに忠誠を誓っている精鋭部隊が配置されている首都バグダッドを占領する際には、より激しい抵抗が予想される。またイラク側の拠点から新品のガスマスクや防護服が発見されていることから、バグダッド攻防戦では、イラク側が生物兵器や、化学兵器を使用する可能性も高い。三月末にバグダッドの市場の近くにミサイルが落下し、50人もの市民が死亡したが、こうした悲劇が繰り返されるごとに、市民の米国への怒りと憎悪が高まっていく。ブッシュ大統領は、演説のたびに「戦争がどれくらい続くかはわからないが、我々は必ず勝つ」とお経のように繰り返しているが、米国内ですら、「戦略ミス」に関する批判の声が上がり始めている。将兵10万人の追加派遣は、米国のこの戦争に関する見込みがいかに甘かったかを、はっきりと表している。米国はイラクのベトナム化・ソマリア化を避けることができるだろうか。

週刊 ドイツニュースダイジェスト2003年4月5日号掲載